震災と津波と原発

のりさんからの返信

「荒川に何か書いて欲しい」というのりさんの一言がきっかけで、このシリーズは始まりました。それに応えて荒川さんも原稿を寄せてくれました。事態は進行中なので今後もどんどん更新していきたいと思います。今回はのりさんからの返信です。

 

のりさんは職場で遭遇した

仕事場(NHKエンタープライズ)でパソコンに向かい『さらばモハメド・アリの時代』という番組の翻訳チェックをしていました。地震の瞬間は隣の机の本棚が"大崩壊"しそうになったので同僚と必死に支えていました。

 

福島原発事故に思う

福島第一原発の5基の原発がトラブルに陥り、しかもその時点での冷却機能が失われているのを見て背筋が凍り付き、「もし、事故が収束することがあったら、これからは原発がなくても暮らせる社会をつくるしかない」と思いました。

これまで電力の多くを原発に頼ってきたわけですが、たとえ想定を越えた津波であったにせよ、1回の災害で「東日本を放棄せざるおえない」ような"種の危機"を
招くのはリスクが多き過ぎます。「より安全な原発をつくるべきだ」との議論も聞こえてきますが、経済規模は小さくしても安全な社会をつくるべきだと思います。

 

 

以上のりさんからのメッセージでした。

皆様コメントをお寄せください。

(大輔)



連日テレビをつけっぱなしにして、「最悪の事態」には陥らないでほしいと、いらだちながら祈る日々です。
これをアップしている3月19日夜、福島原発では3号機への放水作業がつづき、周辺自治体の自主避難がつづいています。

この間、私がかかわっている映像ドキュメントのメーリングに2回、福島原発事故をめぐって日々のことを書いたので、それをここにアップすることにします。長文だけど。

私は原子力の専門家ではないし、原発や放射能のことを勉強したのはチェルノブイリ原発事故のときのこと。正確ではないところや、私が間違って理解しているところもあると思う。それぞれの時点で考えたことを書いたので、その後の発表から修正すべきところもあるはず。そのつもりで読んでほしい。
わかりにくいところもあるので、そのへんは質問してくれたらできるだけ答えます。

荒川俊児


●福島原発事故をめぐって 第1信(3月15日昼記)

荒川です。この数日間、仕事も手につかない状態で、テレビをつけっぱなしにして、福島原発がどうなるかばかり気にしていました。(まあ仕事に追われていないということもあるのですが。仕事がばたっととまった)
ことの深刻さに見入り、いらだつばかりで、やっと福島原発について考えをまとめようとはしはじめたのですが、この事態のなかでいま何が言えるのか、さらには何ができるのか、まだすっきりはしていません。まあ、ともかくこの間のことを書いてみます。

3月11日(金)

福島原発は地震の直後に自動停止はしたのですが(核分裂はとまった)、その日の夕方近くに非常用ディーゼル発電機の一部が動かないという話が出て、その後、すべてが動かなくなったと報道されたときには、ショックというのか、なんとも言いようのない気持ちになりました。

核分裂はとまっても熱は残っているし、発電によって燃料棒のなかには核分裂生成物(死の灰ともいう)が大量に生まれていて、それは崩壊をつづけるので熱を発する。だから崩壊がおちつき冷めるまでは、給水ポンプをまわしつづけ、冷却しないとならないのです。
ところが停電でポンプがとまり、さらには非常用発電機も動かなくなったというのです。

もし冷却できないとなると、その熱で核燃料が溶け始め、つまり炉心溶融(メルトダウン)が起こり、さらには内部の圧力上昇などで原子炉容器が壊れでもすれば、核分裂生成物、つまり放射能(放射性物質)が次々と外に出てしまう。その壊れ方が爆発的なら、チェルノブイリ原発事故と同じような事態になるわけで、そうなるとほとんど打つ手はなく、「最悪の事態」です。
だからそれを避けるには、なんとしても炉心を冷却するしかないのです。

3月12日(土)

3月11日の夜中、発電車が到着したという報道を聞いて、一安心と思ってこの日は寝たのですが、翌12日になると事態は収まるどころか悪い方向へ向かってました。
いったい電源車はどうなったんだと怒鳴りたくなったのだけど、冷却装置が働かず圧力制御ができず、内部の水蒸気を放出するという話になっているのだった。

午後2時すぎには1号機の周辺でセシウムを検出。本来セシウムは燃料棒のなかにおさまっているべき核分裂生成物で、つまり燃料棒の一部が損傷していた。それが外に出たということは、外へ漏れ出すルートもできてしまったのか、それともすでに放出されていたのか。

そうこうするうちに5時ごろだったか、午後3時36分に福島第一の1号で爆発が起こったという話。日テレがその場を遠くから撮っていて、見るとすごい勢いで爆発している。
原子炉は大丈夫なのかと思ってはらはらしているところにやっと夜9時前、枝野官房長官の会見で格納容器の破損はないという話。
そして1号炉を海水で満たすことを決めたという。
海水で満たすということは、この原発は二度と使えなくなるわけで、それでもやるとすれば冷却用の水がもうなくなっているのだろうか。

夜10時には、TBSが周辺住民が被ばくしていたことを報道。福島第一から約3.5キロの双葉高校グランドで避難ヘリを待っていた双葉厚生病院の患者たちが1号の爆発を目撃、ヘリが来ないので病院に戻り被ばくをチェックしたら、調べた3人のうちすべてが除染が必要なレベルだったという。
この爆発による被ばくの可能性もあるが(のちの報道で爆発の衝撃というのか圧力をかんじたという)、すでに放射能入りの水蒸気の放出は行われていたので、この爆発以前にも相当量の放射性物質が周辺に放出されていた可能性も高い。

その後、1号機の海水注入作業が進められているのだか、どうなっているのかわからないまま明け方5時半、原子力安全・保安院の記者会見で海水注入はできて、このまま海水の供給が続けば問題はないと発表される。
が、このとき裏方からペーパーが届いて読み上げられたのだが、福島第一の3号で「全給水流出」が起こったという。
ええ?なんで、と思っていると記者から、電源車は何台も入っていましたよね?といった質問。答えを聞いて驚いた。「電源車は2号を優先して3号にはついていない」。なんでなんだ。

3月13日(日)

翌13日は昼前に映像ドキュメントの桜井さんの電話で起き出し、テレビをつけるのだが‥‥、こんどは3号が危ないという話になっていた。明け方の保安院記者会見で出た話が進行していた。
発表されていなかったのだが、3号機は夜中の3時前には冷却機能をすべて失っていて、こちらも水蒸気の放出と注水を進めるという話。
この3号機は、プルトニウムを燃料にして燃やすプルサーマルという危ない発電を実施している原子炉。つまり燃料棒にはウランだけではなく、プルトニウムもつまっている。
事故当初から原発の事情を知る人たちのあいだでは、3号機だけは何も起こらないでほしいと話が出ていた原子炉。(昨年9月23日より発電開始)

午後2時半ごろには、東北電力の女川原発で異常な放射線値を測定したとの発表。
異常値が出たのは前日夜11時ごろからで、最大値は通常の約700倍とのこと。
推測だけど、前日の1号炉の爆発のときに上空にまきあげられた放射能が風に乗って約120キロ、7時間半かかって女川原発にたどり着き始めたということだろう。

この日は、周辺住民の被ばくが次々と明らかになり、人への除染作業が始まったことが伝えられる。
その影響が広がるのを恐れているのか、不安をあおらないという方針なのか、テレビのコメンテーターにしても解説者にしても、「不安はない」「問題はない」といった発言ばかり。ウソつくなと、腹立つばかり。あおる必要はないけど、事実は事実としてきちんと語るべきだ。

よく語られるのが「直ちに人体に影響をおよぼすレベルではない」「健康に影響が出る被ばく量ではない」というやつ。「被ばくと言っていいのかどうか、被ばくではなく、服が汚染されただけ」なんて言いだすやつもいるし、「レントゲンで受ける被ばく線量に比べるとたいしたことはない」、「東京ニュ─ヨーク間の航空機に乗れば受ける程度」とか。

確かにすぐに目に見える障害(急性障害)が出るレベルではない。除染も行ったわけで、その意味で、「直ちに人体に影響をおよぼすレベルではない」はウソではないけど、時間がたったらどうなのか? 時間がたってから出る障害(晩発性障害、ガンや白血病)は、受けた被爆線量に応じてある確率で必ず出るのだから、「急性の障害は出ないけど、長期間たってからの障害はわからない。何年かたってからガンや白血病になる可能性はある」と語るべきなのだ。(被爆線量に応じてガン白血病発症の確率は一応計算できる)

胃へのレントゲンは身体の一部(胃)に対しての照射で、全身への被曝ではないから、同列に比較するのはまずいと思う。全身への被曝に換算するとその何分の一かになるはず。それとも全身に換算した数字を出しているのだろうか。

しかも単位の混同があって、この日、福島第一原発の境界で測定された1000マイクロシーベルト/時というのはとんでもない線量なのに、公衆の被曝線量の限度は1000マイクロシーベルトだから同じ程度なんて言う人までいた。
公衆の線量限度は1年間に受ける線量の限度を決めたもので、一方いま語られているのは1時間あたりの値。もし福島原発の境界にいたなら、たった1時間で年間の線量限度に達するというレベル。そこに10時間いればその10倍もあびてしまう大変な数値なのだが‥。それで解説者といえるのだろうか。
(ちなみに、福島原発の事故前の通常値が0.04マイクロシーベルト/時。5マイクロシーベルト/時が原子力災害対策特別措置法で「異常事態」を通報すべき値で、500マイクロシーベルト/時は「緊急事態」を通報すべき値)

水蒸気の放出にしても「弁が開いてガスの放出に成功しました」なんて語っているが、それは放射能放出に「成功」したということなのに。
どれだけの放射能が放出されたのか、記者は問おうとはしないけれど(いまわからないかもしれないけど質問したっていいだろう)、放射能放出は1基ではないのだから、根拠のない推測をしてしまえば、スリーマイル原発事故をすでに超えている気がする。

この日、3月13日に広河隆一さんと日本ビジュアルジャーナリスト協会の計6人が現地に入ったところ、福島第一原発から約4キロの双葉町役場玄関(10時20分)、双葉厚生病院(10時30分)と、両地点とも1000マイクロシーベルト/時まで測れる測定機の針が振り切れたと伝えられる。
OurPlanet-TVのYouTubeチャンネル(http://www.youtube.com/watch?v=IqqLU4q1dBg)

4キロ離れてそれだけ出て、女川原発の120キロでも検出できてしまう、今日14日には「救援」に来たといわれる米軍ロナルド・レーガン号までもが放射能を検知して北へ移動した(要するに逃げた)というのだから、かなりの放射能が出ていると理解すべきだ。そのうちロシアも検出したと発表するときがくるのかもしれない。
まだ雨が降らないだけ幸いで、雨が降ったら上空の放射能は落ちてきてもっとひどいことになる。

ネットで調べると、『朝日新聞』が16時30分付で、東電社員2人が不調を訴え搬送されたことを伝えている。1号、2号機の中央制御室で全面マスクを着用して作業中だったという。
考えてみるとあの現場で働いている人たちのことはまったく伝わっていない。いったい何人の人が、どのような態勢で対処しているのかといったことが記者会見で質問されるのは見たことがない。

放射能入りであっても炉が圧力で壊れないようガスを放出し、海水を注入して炉心を冷やし炉心溶融を少しでも抑えるのは、「最悪の事態」を避けるため。私もほかに方法はないだろうと思うし、現場の職員たちが命がけで努力しているのを想像すると、なんとかやりとげてほしいとしか言えない。
でも東京電力にしても保安院にしても記者会見に出てくるお偉いさんたち、少しは謙虚に語れと言いたい。マスコミもそれに乗っちゃまずいだろう。もっと追及すべきだし、あとになって、避難した人たちは戻れないとなったらどうする気なんだ。ちょっとあつくなってますが‥。

3月14日(月)

そして今日3月14日、こんどは3号機が爆発した(午前11時)。あとで現場の映像を見たが、1号機のとき以上の爆発力で、白煙がほぼまっすぐと上空に向かい、かなりの高さまであがっている。
午後5時ごろには2号機も冷却機能喪失という発表。はじまりは外部電源がなくなったためだという。またもや発電車だ。

福島第一原発は、1号、2号、3号が自動停止して、そのすべてがいまなお「最悪の事態」をかかえている。
そして第一原発の陰に隠れて注目されていないけれど、福島第二原発も1号、2号、3号、4号が自動停止し、うち冷温停止にいたり安定したのは3号だけ。内部ガスの放出も行っているようだし、ポンプが故障したという話も断片的に伝わってきたりする。(いまネットで調べたら、1号、2号はポンプが再稼働し冷温停止したとのこと。一安心。4号はポンプを修理しているという)

と書いたのは昨日というか今日の明け方。
で、起きた3月15日昼。事態は大変なことになっていた。

動いていなかった4号で爆発音がして火災。2号でも爆発音がして圧力抑制プールが破損、つまり格納容器の一部が破損。3号機周辺で40万マイクロシーベルト/時が出て、30キロ圏が屋内待避。東京、埼玉、神奈川、千葉でも放射能が検出されているという。


●福島原発事故をめぐって 第2信(3月17日記)

荒川です。前回のつづきをとは思ったのですが、次々と悪いことが起こり、何をどう書いたらいいのやら‥。

3月15日(火)

まず一昨日3月15日に起こったことであげるなら、最大の問題は、運転していなかった4号機までが爆発(朝6時ごろ)と火災を起こしたこと。
建屋外壁に8メートル四方の穴が2つあき、白煙(水蒸気)があがっている。使用済み核燃料を入れていたプールの冷却ができなくなり、水素が発生し爆発したもようという。原子炉だけでなく、使用済み核燃料までもが‥。

地震直後からプールの循環がとまっていて、前日14日04:18には84℃に達していたというのだから、なぜ放っておいたのだと腹立ちがおさまらない。

これはこれまで以上に深刻で、使用済み核燃料には発電によって生まれた核分裂生成物(放射性物質=放射能)が大量に入っていて、しかも、過去に運転した核燃料が何百体と入っている。さらに、プール内では水に覆われている(覆われていた)だけで、外気に解放されている。

いま海水を入れてなんとか冷却しようとしている原子炉内の核燃料は、それでも圧力容器と格納容器に覆われている(すでに格納容器の損傷も起き放射能を放出しているにせよ)わけだが、使用済み核燃料になにかあれば、そのまま外気に出てくる。
しかも圧力容器内の燃料と違って、こっちには制御棒がささっていない。
そして最大の問題は、そこにある核燃料の数だ。破損・溶融が起こったときの放射能放出量は、桁違いの話になってくる。

いま正確な数がみつからないけど、4号機のプールには783体入っていて、うち約130体が交換直後という話があるので、ざっと6基分の使用済み核燃料がそこにあることになる。

使用済み核燃料のなかには、報道によく出てくるヨウ素、セシウム、ストロンチウムのほか、プルトニウムも含まれている。
以前のデータがあったと思って調べたら以下のデータをみつけた。放射能の種類ごとに細かく書いてあったのだけど、要点だけ。

◎100万キロワット級の原発を1年間運転したときに生まれる核分裂生成物の量
(つまりは核燃料のなかにある放射能)

放射能の量は全量で18万(10×15乗ベクレル)、摂取限度の約2500兆倍。
このうち、
希ガス(クリプトン、キセノン)は放射能の量で3.5%、摂取限度でゼロ(気体で体内には蓄積しないと考え摂取限度は定義されていない)
ヨウ素は放射能の量で1.7%、摂取限度で3.2%。
セシウムは、放射能の量で2.4%、摂取限度で12.2%。
ストロンチウムは、放射能の量で2.4%、摂取限度で4.2%。
そしてプルトニウム。放射能の量で33.9%、摂取限度で32.4%。
      3分の1はプルトニウム↑

翌3月16日には、4号機の使用済み核燃料プールだけでなく、14日の爆発で建屋上部が吹き飛んだ3号機でも白煙(水蒸気)があがり、3号機のプールも危ういという。(3号には514体、4基分の使用済み核燃料)
4号も3号も燃料プールが沸騰していしているという(それが水蒸気になるから白煙として見える)。3号の圧力容器内の燃料棒にはウランだけではなく、前回に書いたようにプルトニウムもつまっている。

いま必死になってヘリコプターやら放水車やらで水を入れようとしているのは、上のような放射能が放出する事態が考えられるからで、抑えられないと桁違いにやばい、ほんとに「最悪の事態」。

戻って3月15日に起こったことでもうひとつあげると、2号機でも爆発音(朝6時14分)がして、圧力抑制プールの一部が破損したこと。
圧力抑制プールというのは格納容器の一部で、3気圧が1気圧になったというから、格納容器は外とつながったことになる。
核燃料の入っている圧力容器はまだ保っているようだが、圧力容器から出た放射能は格納容器に出て、さらには外部へと出っぱなしになる可能性が高い。海水を送り込んでも、流れ出てしまう可能性もある。
(翌3月16日午後には、2号機につづき3号機でも圧力抑制プールの圧力が低下、同様の事態に陥った可能性が伝えられる)

3月15日午前の枝野長官の記者会見では、3号機付近で400ミリシーベルト/時が出たことを発表。つまりは40万マイクロシーベルト/時。
このときは枝野長官もケタが違うことを指摘して「人体に影響をおよぼすレベルであることは間違いない」とはっきり語った。
このとき30キロ圏の屋内待避を発表。屋内ではなく、ちゃんと圏外へ避難させろよ。

原発の周辺の放射線が高く、作業がむずかしくなっていることも伝えられる。
夜中には、厚生労働省が事故に対処している作業者の被爆線量限度を250ミリシーベルトまで引き上げると発表。
(従事者は1年で50ミリシーベルト、5年で100ミリシーベルト以内となっていて、国際的には事故対応時には500ミリシーベルト以内となっている)

この日3月15日には、福島県いわき市、茨城県北茨木市、栃木県宇都宮市、群馬県前橋市、埼玉県さいたま市、東京都、神奈川県横須賀市と、つぎつぎと放射線が測定されたことが明らかになった。
そのほとんどが空間放射線値で、それをひき起こす放射性物質の種類がわからないのだが、東京では微量のヨウ素とセシウムが検出されたという。
これらは3月14日11:01の3号機の爆発でまきあげられた放射能だと思える。

それで東京にいてもいいのかという話も出始めるのだが、そのことはあとでまとめて。

3月16日(水)

翌3月16日、昨日は昼過ぎ、宮崎からの電話で起き出しテレビをつけると、いったいどうなっているのだこれは?。
テレビで現場の映像が出たのだが、3号からは白い煙がもくもくと上がり、2号の海側の壁の穴からは灰色がかった煙が上がっている。

15日のところで書いたが、4号につづき3号でも使用済み核燃料プールが沸騰して、使用済み核燃料があやういという。

夕方近く、自衛隊ヘリコプターによる空中からの海水散布が準備されるが、放射線量が高いとやめてしまう。
事故対応には250ミリシーベルトとなったはずなのに、自衛隊は50ミリシーベルトなんだそうだ。
時間とのたたかいになっていて、時間がたてばたつほど使用済み核燃料は沸騰する水の中で損傷していくわけで、そうなれば250ミリシーベルトどころではなくなるのに。

3時すぎに事務所に行くと、川原さんがやってきて、夕方には吉川もやってきて話になる。
森まゆみさんからも電話がかかってきて話。森さんは仕事先の九州にいて、娘に避難しなさいと話しているという。

避難するか避難しないかは、特に東京のように少しは離れている場所では(といっても230キロ)、こうすべきと語るのがむずかしい。最終的にはひとりひとりが判断して、自分でどうするか決定することだと私は思う。
現在の東京の放射線量で避難する必要はないけど、「最悪の事態」になった場合には、東京でも避難が必要になるかもしれない。そのときには、逃げようはないと私は思っている。いまのうちに避難できる人は(特に若い人は)東京を出るというのは、ひとつの選択肢だと思う。

1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故は、爆発を起こして炉心がむき出しになるという、史上最悪の原発事故だった。爆発によって放射能は風にのってヨーロッパを襲い、日本にも放射能が降った。炉心がむき出しになったことで、その後も放射能は継続して放出された。
それから25年たったいまでも、チェルノブイリ原発の30キロ圏は居住禁止(永久立入禁止)となっているし、250〜300キロ離れた地域にも広大な立入禁止地域ができている。(風による放射能の流れと、そのときに降った雨が高汚染地域を決めたのだと思う)

菅首相は「チェルノブイリとは違う」などと語ったが、福島原発だって格納容器が壊れ、圧力容器も壊れて、炉心がむき出しになれば、放射能は大量に出てくる。それが爆発的なら、上空にあがって、風にのってチェルノブイリであったのと同じように広範囲に広がる。
しかも、使用済み核燃料はいまなお冷却ができていないわけで、すでに書いたようにこっちは外気に解放されていて、なにかあれば炉心がむき出しになったと同じこと。4号で6基分あり、3号には4基分ある。
つまり放射能の量でいえば、福島原発では"数十基分"の原発事故が進行している。チェルノブイリどころではない。

◎放射線量をどう考えたらいいのか

放射線量について、その数値をどう考えたらいいのか、ひとりひとりが判断する材料を書いておくと‥

公衆の被曝線量の限度は、累積で年1000マイクロシーベルト=1ミリシーベルトと決められている。

この数値ならいいのかどうかはおいておいて、また空気中に浮遊する放射性物質を内部に取り込まないという前提で(内部に取り込むとその後、体内被曝がつづく)、計算の方法を書くので、それぞれの人が計算してほしい。

◎何日で公衆の限度に達するのか

年1000マイクロシーベルトというのは累積なので、もし報道で1マイクロシーベルト/時と伝えられるなら(毎時の線量なので)、1000 ÷1マイクロシーベルト ÷ 24時間=42日
つまり、同じ放射線量がずっとつづくならそこに42日間いると、法律が定める限度に達する。

10マイクロシーベルト/時なら、1000 ÷ 10マイクロシーベルト ÷ 24時間=4日。つまり同じ放射線量のなかで4日間いると、法律が定める限度になる。

20マイクロシーベルト/時なら、1000 ÷ 20マイクロシーベルト ÷ 24時間=2日。つまりそこに2日間いると、法律の定める限度に達する。

実際には時間とともに変動するので、正確には1時間ごとの数値を足していくのだけれど、ここではざくっと把握すればいいので、朝と夜で変わったら、そのまんなかあたりで計算。
これは数値が上がったときで、平常値なら、1000に行くことはないです。350くらい。
(別の単位もあって、マイクログレイ/時=マイクロシーベルト/時で計算)

15日に東京で出た0.4マイクロシーベルト/時というのは、平常が0.03〜0.04だから約20倍で、たしかに異常だけど、1000に達するのは52日間それがつづいたときで、今回は1日で風向きがかわって太平洋沖に流れていった。

呼吸などでとりこんだ内部被ばくのことをいう人もいるけど、このレベルでは考えてもしょうがないと思う。内部被ばくは、いまは原発周辺の人たちが問題で、東京では食品の汚染が出たとき。

人に勧める気はないけど、私の個人的な目安は東京で1マイクロシーベルト/時が出たときと、5〜10マイクロシーベルト/時が続くとき。

被ばくはしない方がいいに決まっているし、公衆の被曝線量限度というのも引き下げた方がいいと私は思っているので、人にこうしたらいいと勧める気はない。上のことはあくまで目安としてあげたと受けとめてください。あとは自分で計算して、私は法律の半分とか、自分で判断することです。

◎まずは周辺住民を避難させるべき

問題は東京ではなく、周辺の人たちだ。

この間、福島県では3月15日から南相馬市(30キロ圏内)で20マイクロシーベルト/時、福島市で23マイクロシーベルト/時といった数字が明らかになって、それは多少減りつつも、17日現在もつづいている。

先ほど、17日23時すぎのNHKでは、各地の測定値が地図上で示され、福島は12.3マイクロシーベルト/時と出ていて、このときに解説者は「福島市にしても、だいぶ高いけど問題はない」などと言っていた。ほんとにひどいと思う。
福島市ではもう2日続いているわけで、明日には法律が決める1000マイクロシーベルトに達してしまう。

私はまずなによりも屋内待避中の30キロ圏の人々を避難させてほしい思う。すでに空気中にはヨウ素やセシウムも出ていると思えるので、内部に吸い込まない手立てをとって。
そして避難範囲を拡大し、1000マイクロシーベルトに達しそうなところから、順次避難させてほしい。
法律が1000マイクロシーベルトと決めているのだから、法的にも国が率先してやるべきことだ。
そして想像したくはないけど、「最悪の事態」のときのことを考えたら、近い人からともかく避難させるべきだ。

米国が80キロ圏の米国人に避難勧告をしたのは、だから根拠のないことではない。彼らなりのデータ分析を行った結果だと思う。まあ、帰るところがあるなら、無理にいる必要はないわけだし。

3月17日(木)

そして今日3月17日。昨夜は庄屋に明け方まで飲みに行ったこともあって、ぐっすり寝入って3時すぎになって起き出したのだけど、ともかく白煙だけは見えなくなっていた。(白煙があがるということは、放射能がそれといっしょに上空にあがり、広範囲にまき散らされるということ)
午前中に自衛隊のヘリコプターによる放水があって、夕方には警察の高圧放水車の放水、自衛隊の消防車の放水があるという。
そして事務所に出て、これを書き始めた。

今日驚いたというか、日本でもやってほしいと思ったのは、ドイルのシュピーゲル紙のサイト。
福島原発から出た放射能が、どのように拡散していたかをシュミレーションして、動画にしている。
記事部分(http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/0,1518,750988,00.html)から地図をクリック。

3月12日15:36(地図上では時差が8時間?あるようだ、ドイツ語わかる人は教えて)の1号機の爆発では、放射能は北へ宮城、岩手を通って東の太平洋に向かったが、14日11:01(地図で3:00)の3号機の爆発以後には風向きが南へと変わっていき、15日02:00(地図で18:00)ごろには東京に到達。これが東京で測定されたわけだ。そして静岡の浜岡原発あたりまで覆い、その後、風の向きが変わって、16日16:00(地図で08:00)には太平洋へ流れていった。17日14:00(地図で6:00)まで。

何を根拠にこれが出ているのか不明で、ドイツ語がわかる人は教えてほしい。

遠くのドイツで、限られた情報をもとにしてこれだけのことができるのに、なぜ日本ではできないのだろうか。遅れてでも公開されるなら役立つと思うのだが。
順次更新されているようで、いま見たら18日14:00(地図で06:00)まで出ていた。半日ぐらいでサイトに反映されている。
誰か日本の気象庁、気象学者でこれができる人はいないのだろうか。

17日未明の東電の記者会見で、送電線の設置を準備しているとの話あったという。すべては非常電源が使えなかったことに始まるんだから、電源を復活させるのは最優先課題のひとつ。とっくに始めていたんじゃなかったのか。腹の立つ。

放水は始まったが、3号、4号の核燃料プールはいまだおさまっていない。

荒川俊児

こいぶーさんはその時生徒たちの前にいた

群馬のこいぶーさんから返信がありました。
こいぶーさんは群馬県で教師をしています。
震災の瞬間にはクラスの中で生徒たちを前にしていました。

机の下に入って、机の足を持って!

小学校の校舎2階の教室内。5時間目が終わり、そろそろ放課という時刻。私は子どもの前に立っていました。地震発生直後に3~4人の子が「揺れてる」「地震だ」とそれほど深刻な表情ではなく言った。私もその直後に揺れを感じたので、いつもの避難訓練と同様に「机の下に入って」と言う。私は事務机の下に、子どもたちは児童用の机の下に。その後「机の脚を持って!」と声をかける。 

机の下にもぐるとすぐに強い横揺れ。一瞬のうちに大きな地震であることが分かった。揺れが長く続き、少し収まった後も再びゆれだす。揺れの大きさがこれまで体験したことないものであることを認識。とても怖かった。コンクリート校舎なので、「このまま潰れたら死ぬなぁ・・・」と死をちょっと覚悟。 

近くの教室からは叫び声や泣き声がずっと続く。しかし、我がクラスの子どもたちはかなり冷静で、叫ぶ子も無く、静かにしていた。ときおりしゃべる声が聞こえたので、「静かに!」と注意。この注意は2回か3回した。 

人数確認〜集団下校を決定

しばらくすると校内放送があり、上履きのまま校庭に避難して並ぶ。学級ごとの人数確認がすぐに終わる。こういう場合、子どもたちは静かにしていることになっているのだが、結構うるさい。私の担任しているクラスはここでもおおむね静かだったが、他のクラスでは泣いたりしている子も。隣に並んでいる5年生はおしゃべりがうるさい。うーーむ。 

全クラスの人数確認が終わり、校長が「私が長い間生きてきた中でも一番大きな地震でした」というようなことを子どもに話す。 と、ここで生徒指導主任の教員が子どもたちがうるさいことに対してやや長い時間を使って説教。 何人かの教員から「集団下校」をしたらどうか、という声が出始める。この「集団下校」の担当者は私。そこで、校長のところに行き、その提案をするとその場で「集団下校」が決定。

 迎えにくる保護者で少々混乱

「オレンジメール」という名の携帯電話への一斉送信システムで保護者に「集団下校」を通知。しかし、このシステムは遅延が生じることがよくあり、また、携帯電話を登録していない保護者や、携帯電話を変えたり、メールアドを変更しても学校に連絡してこない保護者もいるのであてにならない。 

そこで、校長が「電話連絡網でも連絡してください」と言う。が、職員室には少数の教員がいただけなので徹底されず。私はすぐにPTAの学級委員長に電話をした。 一旦、教室に戻り、帰りのしたくをすぐにして再び校庭に出る。今度は靴に履き替える。 校庭に出る際、他の教員が「こんなときに電話連絡網なんて言ったって、時間が無いよ」とぼやく。ごもっとも。 ここで再びクラスごとの人数確認。2年の4クラスはすぐに確認できたので、学年主任の私が校長に報告。 

しかし、他の4つほどの学年がなかなか確認できない。その原因は、迎えに来た親がいたための混乱。 地震の大きさと「集団下校」の連絡を受け、保護者が続々と学校にやってきて子どもを連れ帰る。一応、担任に話してから帰るのだが混乱。

無事に集団下校が完了 

「3時20分に校庭に出て、3時30分に下校開始」という当初の予定は崩れ、3時40分頃?に下校開始。教員は「集団下校」訓練時に決められた通りに子どもたちと一緒に歩いて下校の安全を確認。 

私の勤務校では、避難訓練が年3回、「集団下校」訓練も3回で計6回の訓練をしていて、逃げたり校庭に並んだりというのはかなりよくできました。だめだったのは「おしゃべり」。「泣き・叫び」は、まあしょうがないんだけどね。 

福島原発事故に思う

机の下にもぐったとき「死」を意識しましたが、1号炉の爆発映像を見て再び「死」を意識しました。 原発はもう廃止して欲しいです。 これまで、反戦平和運動・労働組合運動にはかなり労力を注いできましたが、もし、このまま無事に生き延びることができたら、反原発運動にも労力を注ぎたいと思います。 

これを書いている3月19日午後8時30分現在。関東地方でのテレビ映像のすべてで原発報道番組が無くなっています。 NHK総合は、マッキンリー登山、教育テレビは料理・・・。画面の枠には文字情報が流れていますが・・・・。 私としては原発ライブ映像を24時間流していて欲しいです。 (が、NHKの30キロ離れた距離からのテレビ映像は驚異的!! あんな距離からあれほどの映像が撮れるの??!!) 

でもって、ほんとは群馬から避難したいんだけど、まだ学校が終わっておらず、このまま沖縄に逃げると生き延びることができると思うけど、もしも、原発事故が大きくならずに収束した場合、職場に戻れなくなることは確実。うーむ困った。 

すでに、勤務校では、家族ぐるみで避難した子どもが私の知る限り1家族います。連絡帳で「なぜ前橋市は終業式を早めないのか?」というような苦情を学校に伝えてきた保護者も私の知る限り2名。 前橋市教育委員会からは教員向けに文書が出た。放射能について群馬県のHPに載っているものをほぼそのまま載せ、隅に手書きで「保護者からの問い合わせには数値をあげて・・・」と安全を強調するもの。 

ところで、群馬は公共交通機関が貧弱で、車がないともうたいへん。で、、私の車の燃料残量メモリは残り2個。ガソリンスタンドは軒並み「品切れ」。うー。まあ、自転車通勤すればいいんだけど、この時期は花粉症がひどく、放射能も心配で・・・・・・。 以上です。

以上こいぶーさんからの報告でした。
皆様コメントをよろしくお願いします。
(大輔)



おさの日記

おさは荻大にはあまり関わらなかったと言っている。
だが、あっこちゃんの同級生で宮崎の映画のころから我々の仲間になった。
今ではmixiの日記で時々コメントを交換している。きょうの日記に彼女の思いがつづられていた。
さっそく転載の許可を頂いたので以下に掲載する。日記のタイトルは「日本の勇気」だ。

せめて子どもを守りたい

まるで特攻機を見送るようです。
原発に放水、修理に向かう作業員の方たち。
被災地に被爆避地域に向かう物資輸送トラック。
原発が動かないために停電で亡くなる方達。
地震や津波で災難に見舞われた方は勿論 その余波はとどまるところを知らない。
被災地に物資を募る倉庫が自転車で30分くらいの場所にあったのをツイッターででみつけたが、遅かった、もう出発してしまった。 次の便がいつ出るか聞いてみてあとで行ってみよう。

せめて子供を被爆から守りたい。
未成年の疎開を真剣に政府が考えてほしい。
欲しいものを我慢して募金してくれる子供たちに感動していたってだめなんだ。
国は国民は政府は約束してほしい もう絶対に原発はつくらないと。
被爆するとこんなになっちゃうんだ とチェルノブイリの資料を見せたいが、どれも目を覆おうものばかりでとても子供に見せられたもんじゃない。

何がどう大丈夫なのか?
 
核の廃止国とか綺麗事をよくも唱えたな。
そんなに安全なら皇居につくれと 建設当時に言った言わないと高校の先生から聞いたことがある。
今の事態が想定外など嘘もいい加減にして欲しい。
東京電力さんに頭を下げさせるのか?
政府は土下座しないのか?してもらっても もう遅いが・・・

大丈夫って、一体何がどう大丈夫なんだ。
大丈夫と言い続けて 日に日に状態は悪くなっているじゃないですか。
今までだって散々政府の隠し事に騙されてきた訳だが あんなに「大丈夫」といわれ続けると、優等生のお人好しの日本人はつい言われたとおりに信じて待っててしまうですよ。
まさか手遅れにならないですよね。
もうこまでという事態になって 天皇陛下や総理大臣が軍用機で逃げないですよね。
日本に生まれた以上もう心中は覚悟しないといけないのか?
海外で 日本の冷静さを褒めている様にも聞こえるが 落ち着いているほうがおかしい。

子どもたちの未来を考える

子供たちにのしかかるのは 赤字国債や高齢者社会だけじゃなく核の後始末だったのか・・・

たまたま近所のスーパーでアルバイトをしている次男が、いつものシフトを超えて日々休憩もなく手伝いに行って非常事態を目の当たりにしている。
万引きする人も文句を言い散らす人もいっぱい見たらしい。
仕事から帰った長男は仕事に行くために父親の代わりにガソリンスタンドに並び 帰宅したのはいつもの寝る時間を過ぎていた。

この子達の未来が原発現地で作業してくれている人たちの勇気に守られているのかと思うと手を合わせずに居られない。

テレビは真実を伝えているか?

多くの有名人が募金をしてくれています。
有名人がTVで被災地に送る物資の募集情報や ACが何故延々と流れているのかとか 詐欺や悪質な行為をやめるようにとか 停電時の準備や過ごし方とかを代わる代わる紹介してもらったりするといいと思います。 この連休週末 計画停電は行わないというが 自宅だからこそ電気を使わないように過ごそうとか呼びかけて欲しい。

西日本の人たちにだって一緒に見てもらってもいいじゃないですか。
同じようなニュース番組を各局で放映しているけど 捜索・安否確認の呼びかけ専門のTV番組があっても良いと思う。
携帯会社がそのサービスをしているが、基地局がなくなったり携帯を持っていない老人や充電できていない人たちはどうしろと・・・

通常の娯楽番組やドラマも放映しているけど、あまり見る気になれない。
今やメディアの力は大きいので TV局も もっとこの非常事態を考えた番組を流して欲しいと思う。
ミス連発の行き当たりばったりの生放送でも誰も文句言わないよ。
被災地の人たちを支援する人たちの情報を伝えるとか どこでは何が欲しいとか どうして欲しいとかを放映する番組もあると良いと思います。

今東京に居て何ができるのか現状じゃわからないのが本当のところ。
未来を憂うより今をどうしたらいいのか・・・
こんな時こそ、国民にきちんと ちゃんと 本当の真実を伝えてもらいたい。



以上おさの日記を紹介しました。
皆様のコメントをお待ちしています。
(大輔)

アンケートを試みた

震災から1週間、荻大の仲間たちは無事だったのだろうか
?
ちょうどそこへのりさんからメッセージを頂いた。
「こういう時こそ長年環境問題に取り組んできた荒川に何か書いてほしい」という内容だった。
ずっとUstreamで震災報道をただ眺めていた自分だがのりさんに背中を押された気がした。荻大ノートで皆に連絡してみようと思いアンケートを試みた。質問は二つ。

1)いつどうやって遭遇したか?そのときどう思ったか?
2)福島原発事故についてどう思うか?

するとさっそく沼辺さんから返信があった。
千葉に住んでいる沼辺さんはその時早稲田にいた。
以下は沼辺さんからの返信に大輔が見出しを付けた。

沼辺さんは早稲田を移動中だった

当日は地下鉄で早稲田まで出向いて昼食を摂り、早大の演劇博物館の展示を観たあと、夕方から講演会のある四谷三丁目へ移動しようと、早稲田通りまで戻って信号待ちをしているところでした。

不意に足元から突き上げるような衝撃を覚え、目の前で信号機と電柱が激しく揺れています。周囲の建物という建物が悲鳴のような軋み音を上げ始めま した。咄嗟に「とうとう東京に大地震がきた」と直覚し、「ビルからの落下物を避けなければ」とじりじり後ずさり。背後にあった寺の境内に足を踏み入れる と、水盤が波だって溢れています。とりあえず安全そうな場所なので、その場に立ちすくむこと五分ほど。ひとまず揺れは収まりました。
 
そこで携帯から自宅に電話をかけると繋がらず。ふと周囲を見回すと、建物から飛び出した人々が路上でこぞって携帯を手にしている。これでは通じ るわけがないと諦め、とりあえず目的地の四谷まで歩くことに。もちろん頭上と足元に細心の注意を払いながらです。途中で何度か余震があり、外壁が剥がれた 家や崩れた塀も目にしましたが、甚大な損害はなさそうです。なのでこの時点では「大したことはなさそう」と多寡を括っていました。

ヘルメットに防災頭巾

一時間ほどかけ目的地である四谷三丁目の国際交流基金ビルに到着。案の定、講演会は中止とのこと。講師が到着できず、しかもホールの壁が崩落した、係員からそう聞かされてギョッとしました。「これは結構大きな地震らしいぞ」と。
 
とにかく千葉の自宅に帰りたいと思いました。こんな日に地下鉄は怖いので、JRの四谷駅を目指して歩き出すと、逆方向(つまり新宿方面)へと向か う人波が圧倒的に多い。それで「ははあ、JR総武・中央線は動いてないな」と察しました。ヘルメットを被ったサラリーマンやOL、防災頭巾姿の小学生たち ともすれ違い、ただならない雰囲気。「これはおおごとだ」と、いよいよ緊張感が走ります。

JR四谷駅はもちろん改札閉鎖。そこのTVで初めて大地震の報道に接しました。ただし、情報は錯綜し、津波の第一報もまだだったかと思います。公衆電話があったので行列して自宅にかけてみると、繋がりはしましたが家人は不在。とりあえず伝言で無事を伝えました。

段ボールの寝心地を知った
 
このまま四谷駅前に屯していても無意味なので、土手沿いに市ヶ谷、飯田橋と歩きました。「少しでも千葉に近づこう」と考えたからです。飯田橋駅のTVで都内のすべての電車が停まっていると聞かされ、この段階でいよいよ腹を括りました。

周囲はもう暗いし、寒くなってもきた。時計をみると七時。歩き疲れて喉も渇いたし腹も減った。今のうちに食べておこうと駅脇のショッピングビル 「RAMLA(ラムラ)」のタイ料理屋で夕食。一時間ほどして辞去すると、ビルの一階の床には手回しよくブルーシートが敷かれ、希望者には段ボールが配ら れました。「まあいいや、ここなら雨風が凌げる」と観念して、段ボールを貰い、その場にしゃがみこみました。傍らの公衆電話がようやく自宅に繋がり、互い の無事を確かめあうと「今夜は飯田橋で夜明かしする」とだけ告げて、自分の場所に戻ってごろりと横臥。段ボールの寝心地を初めて知りました。

福島原発事故に思う

地震列島に原発を作ればこうなるのは当然の帰結です。想定内のことがただ起こっただけ。以前からそうわかっていながら、声を上げることもせず、この国家的暴挙をみすみす許してきたわれとわが身がどうしても許せずにいます。

逃げられる人はどうか逃げてほしい。特に年若い人たちは。Go west!

もしも生き残れたら、今度は必ず声を上げることを誓います。



以上、沼辺さんからの返信をご紹介しました。
皆様のコメントをお待ちしています。
(大輔)

戦後最大の惨事

2011年3月11日に日本を襲った東北関東大震災。それは10メートルを超える津波を伴って瞬時に2万人近い犠牲者を出しただけでなく、福島原発事故という恐るべき副産物を生み出して現在(3月19日)も進行中だ。

福島原発は1971年に営業運転を開始。その後1979年に6号機の営業運転が開始されるまで、着々と原子炉を増設していった。ちょうど荻大の仲間が出会った頃には2号機の営業運転が始まっていた。70年代は原発が次々と建設されることに地域住民の不安が増大し、我々の前にも公害問題の延長線上に生じた新たな社会問題として「原発」が横たわっていた。

30年以上たった今、我々はこの戦後最大の惨事を前に何を語り発信できるだろうか?

荻大メンバーとの対話の中から探っていこうと思う。

大輔の場合

まず自分のことから始める。地震が起きた時、僕はオーストリアのアルプスのふもとにいた。発生が日本時間3月11日の14時46分。8時間の時差があるオーストリアではまだ朝の7時前だった。その日は2日に亡くなった義父の葬儀の日だった。8時頃起きてネットで朝日新聞をチェックした。その時に宮城県沖を震源とするマグニチュード8.8の大きな地震があったことだけ知った。

10時過ぎ義父の家に親戚が集まり始めた。皆すでに地震のニュースを知っていた。口々に「日本で大地震があった」「君の両親は大丈夫か?」と声をかけてくれる。東北の地震なので横浜に住む両親に影響があるはずは無いと思っていたが、心配になって電話をしてみた。電話の向こうからのんびりした調子の母親の声が聞こえた。何も被害はないということだった。だがこの頃には7メートルから10メートルの津波が東北地方を襲ったという報道が少しずつ伝わってきた。

13時から葬儀が始まり、付近のレストランで親戚や友人一同と食事をしたが、そこでも僕と挨拶する人は口々に「日本の地震は大変なことだ」「君の家族は無事か?」と声をかけてもらうことになった。オーストリア人の関心の高さを感じた。僕は声をかけてくれる皆さんに、被災地は日本の北部なので東京に近い横浜に住む自分の両親は無事だった、と説明した。その時は横浜の両親に避難を勧めることになるとは思ってもみなかった。

津波の脅威と原発事故の恐怖

翌朝届けられた新聞は一面トップで日本の津波による大惨事を伝えていた。テレビのニュースでも映像が出始めていた。僕はUstreamでNHKをはじめとする民放各局の特別番組を見始めた。繰り返し流される津波の空からの映像に息を呑んだ。田園地帯が飲み込まれていく様子が映し出されていた。ヨーロッパでの報道はまず大津波の恐ろしさ、そのメカニズム、そして次に原発問題に絞られていった。

オーストリアはすでに原発を捨てた国だ。だがチェコが国境付近に旧式の原発を稼動させているので、原発事故には非常に神経質になっている。お隣のドイツは原発推進国だったが、政権交代後原発を廃止する路線をとってきた。それがここ数年の地球温暖化でもう一度原発を見直す機運が出てきているところだった。それだけに両国のテレビニュースは日本からの中継を交えながら原発事故の状況を詳しく伝えようとしていた。

週明けの新聞は一面トップが津波の爪あとのすさまじさ、2、3面の見開きは原発問題で埋め尽くされていた。立体的な原子炉のCG画像に詳しい解説が付け加えられていた。最大の関心は、これがチェルノブイリのような汚染を世界中にもたらすかどうかだった。ヨーロッパ人は1986年のチェルノブイリ事故を忘れたことがない。あの時まき散らされた放射性物質は半径300キロを汚染し、ヨーロッパ各国はおろか日本にまで到達した。それが気流に乗って数日でやってくることを彼らは良く知っている。

オーストリア人のカミさんは「私が東京にいたら娘を連れて沖縄に逃げる」と言った。そういえばかつて東海村の臨界事故のときに関西にいたヨーロッパの体操チームがあわてて帰国したことがあった。300キロから500キロの距離ならば、風向き次第で数日で放射性物質が流れてくることがわかっていたからだ。今回、日本政府は福島原発から半径20キロを避難対象とした。だが、仮にチェルノブイリのような事態になれば、原発から250キロほどの横浜に住んでいる僕の両親や姉夫婦にも放射能汚染の危険が生じる。もちろん東京にいる同僚や友人たちにもだ。

不思議の国ニッポン

僕はまず両親と姉夫婦に避難を勧めた。しかし皆まじめに話は聞くものの、いざ避難となると現実的に考えられないようだった。何人かの友人も同じだった。その背景には「冷静な行動」を呼びかける日本政府とNHKや民放各局の論調が影響しているようだ。一方ドイツやオーストリアの外交関係者らはすでに15日には東京を発っている。フランスは自国民に(東京ではなく)日本から出国するように呼びかけてエールフランス便を増発させていた。

日本に住み財産を有する日本人が、おいそれと避難できないのは理解できる。だが僕にも理解しにくいのは、日本政府や保安院や東京電力の人々が妙に落ち着いていて危機感が見られないことだ。一方で菅直人は「最悪の事態では東日本がつぶれる」とまで言い切っている。それなのに首都圏の住民を避難させない。その自信、確信はどこから来るのだろうか?アメリカやヨーロッパの各国が日本政府と日本人を不思議な存在としてみているのは、その根拠のない自信のようなものが理解できないからだと思う。

なんとかなるさ。まさかそんなひどいことにはなるまい。きっと放水がうまく行くよ。きっと電気が来てまた冷却システムが復帰するさ。そうすればラッキー!・・・などといったような期待感がいま日本を包んでいるようだ。それは果たして現実となるのだろうか。

後は祈るだけ

昨日18日はUstreamで原子力資料情報室の記者レクをライブで見た。原子炉の設計者である後藤政志氏と田中三彦氏が、今何が起きているかについて説明してくれた。とてもわかりやすかった。

1号機と3号機では圧力容器に破損が生じている可能性があり、冷却できなければいずれメルトダウンが始まる。2号機では下部の圧力抑制室に破損が生じているので、海水を注入しても抜けてしまい、こちらもいずれメルトダウンが始まる。いずれも冷却システムが復帰しない限り最悪の事態が避けられないという見通しだった。4号機の使用済み燃料はかなりの量になることもわかってきた。

この原発問題、今日からの3連休が山だという。後は祈るばかりだ。

(大輔)