小田急線各駅飲酒

祖師ヶ谷大蔵は小田急線のなかでは大きな町だ。色々バラエティーに富んだ商店があるので、訪れる機会が多い。しんゆり映画祭野外上映の「日本酒同好会屋台」を出すときは「祖師谷鈴木精肉店」の牛肉コロッケを「あて」に出すため買いに行くし、服の直しを妻が面倒臭がるときは「ママのリフォーム」に行く。また夕方一っ風呂浴びたいときは「そしがや温泉21」に行くし、東日本大震災以前には福島県のアンテナショップがあり、この地下に美味しい蕎麦屋があった。 

こんな祖師ヶ谷大蔵で地元の人々に愛されているやきとり屋が「たかはし」だ。 夕方6時を過ぎると店のなかに「立ち」の行列ができることが多いので、一昨日開店の5時半前に祖師ヶ谷大蔵の駅に降りた。5時28分に店の前に行くとまだ暖簾がかかっておらず、店の中の照明もついていなかった。外に並んでいる人もいなかったので、並びの店をチェックしておこうと50メートルほど通りの奥に歩いていった。2分後くらいに、ふと振り向くと、暖簾がかかったようだったので、店の前に戻っていくと営業は始まっている雰囲気だった。 

「これは、一番乗りだな」と思ってドアを開け驚いた。もう客が7人入り、いつの間に焼いたのかもう焼き鳥(焼きとん)を口にしている客までいたのだ!  「この素早さはなんだ!」と思いながらカウンターの奥の方に座って、「ホッピーと"なか"の焼酎」と頼む。この店ではホッピーと言うと「ホッピーセット」が出てこない。池袋の「ふくろ」もそうだが、別々に頼むシステムだが、こちらの方が焼酎の量が多く良心的だ。

 焼き鳥(焼きとん)は久しぶりなので隣の客を見ると、1本ずつ焼いてもらっている。しばらくホッピーを飲みながら様子を見ていると「しろ」「あぶら」「ナンコツ」と客から声が飛ぶたびにオヤジは1本づつ焼いている。この店は1本づつ焼くシステムだったかなと思い「たん」と「なんこつ」とオーダーすると私のときだけは2本焼き出す。多分常連で知っている客は1本という了解ができているのだろうが、オヤジは私に「2本ですね」と聞くそぶりも見せなかった。 

その後1時間近く70才近くに見えるオヤジの姿を観察していたが、かなりワンマンに焼いているようにも見えた。ある客が「アスパラ」と叫ぶと「まだ野菜は早い」とつぶやき焼かなかったし、4品くらい立て続けにオーダーした客には 2品しか焼かなかった。また、入店して態度の悪い客がいると「タン」とオーダーしても黙って反応すら見せなかった。また「しろ」を塩で頼んだ客には「シロはたれだけ」と客の反応もまたずに「たれ」につけて焼きだした。

 私も最初は「横柄なオヤジだなと」と思っていたが、しばらく見ているうちに、このオヤジのマイペースさには一つ一つ理由があることが感じられてきた。いっぺんに沢山のオーダーをする客を無視するのは、いっぺんに焼いてしまったら、いい状態で焼き鳥を食べてもらえないからだし、野菜は "口直し"食べてもらい肉とのバランスを考えているのだろう。「シロはたれだけ」は味に対する自信だろう。 ただ普通、客商売でそういうことをやっていれば、客が減りそうなものだが、「たかはし」の場合は「味」と「常連に対するコストパフォーマンスの良さ」が店の繁盛を支えている。多分この"頑固オヤジ"を見たくて通う常連もいるのだろう。

段々オヤジがオーケストラの指揮者のように見えてきた」「俺の指揮棒を見ろ」「俺にシンクロしろ」と言っているようだった。だからオヤジの指揮が気に入らない客はこの店に来ないだろうし、今は、オヤジとこの店が好きな客が存在するので、成り立っているのだろう。 

「たかはし」のような地元に密着した居酒屋は、末永く繁盛してほしい。幸い「三代目」と呼ばれる息子も一緒に働いているので3代目の代までは大丈夫だろう。店内でオヤジの写真を撮ろうかとも思ったのだがジロリと睨まれたのでやめた。

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千歳船橋は海に近いわけでもないのになぜ船橋という地名がついているのか不思議に思っていたが、今回調べてみると、元々湿地帯で、昔交通の便のために船橋を架けたからだという説と船橋吉綱の一族が住んでいたからだという説がある。そして千葉の船橋と区別するために古くからのこの一帯の地名「千歳」を頭につけたらしい。

世田谷代田駅と同様に千歳船橋駅はほとんど途中下車することがない駅である。新百合ヶ丘に引っ越してから、この13年間に記憶にあるかぎりでも1回しか降りたことがない。そのときの記憶では飲み屋などほとんどなかったような気がしていた。

ところが、今日夕方、駅の南口を歩いて驚いた! 10分歩いただけで、入ってみたいと思う居酒屋がゴロゴロとある街だったのだ! 千歳船橋の商店街は、近隣の駅と比べても独特の雰囲気を持っている。なぜか肉屋と居酒屋が多く、昭和30年代のレトロな商店街の匂いを残している。まず、5月14日に開店したばかりだという焼き鳥屋に入った。焼き鳥屋といっても、串揚げやおでんもある大衆居酒屋だ、焼き鳥と串揚げを2本づつ、それとユズサワーを頼んだ。レベルの味には達している。次に入ったのが串揚げ屋。串3本とサワーのセット500円と安いセットがあったので注文した。なかなか美味しい。この2軒で「千歳船橋恐るべし!」の印象を持った。

そしていよいよ事前にネットの「食べログ」で調べていた「かんぴょう」という店に入った。「食べログ」の居酒屋ランキングでは千歳船橋はほとんどの店が「3.0」前後。「なぎ屋」というチェーン店が「3.51」、「かんぴょう」が「3.17」で頭ひとつ抜け出ていた。チェーン店は「小田急線各駅飲酒」に書かないことにしているので「かんぴょう」に入る。

店に入るとカウンターが6〜7席とテーブルがあり、照明もしゃれたシックな内装。カウンターの隅に座り、「鶴齢」の冷やと大皿の牛すじの炒め物の料理を注文。なかなかいける。ただ隣のアベックがいちゃつき始めたので、この店の評価は次回に譲ることにして席を立つ。

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そして、1週間後の夕方6時、再び「かんぴょう」に入る。今回はカウンター内に店のご夫婦がいて客は常連客が1人という静かな雰囲気。まず、日本酒は今回も「鶴齢」を頼み、食べ物は大皿に乗っていたブロッコリーを頼む。「味付けはどうします?」と聞かれたので「お任せします」と答えると、「マヨネーズじゃつまらないし、アンチョビのソースにしてみようか? でも日本酒に合うかな?」とマスターが迷っていたので「アンチョビのソースでお願いします」と頼む。でてきた「ブロッコリのアンチョビソース付け」は少し「塩っぱい」感じだったが、濃厚な「鶴齢」とマッチしていた。
マスターはもともと青山の割烹料理屋で働いていたという。12年前に独立し、千歳船橋に店を開いたというが、腕の方はまあまあのようだし、なかなか研究熱心に見受けられた。それと奥さんが活発な方で常連と話しながらマスターをサポートしていた。その後料理は岩がき(480円)を食べ、日本酒は秋田の「新政」を飲んだが、両方とも美味だった。お会計は2980円と私の計算通り。この店は今後も通う価値があるように思われる。

その次に訪れたときは若干不幸な展開だった。

店に到着し、カウンターに座ったところまでは幸せな展開だった。マスターは「今日は大きなホヤが入荷しているよ」と言い、奥さんは「秋田の濁り酒があるけれどどう?」と言った。即決で両方頼んだ。ホヤは大きなホヤで新鮮そうだった。私は本当はホヤは中の塩水で食べるのが好きなのだが、そこまで新鮮かどうかはわからないので、黙っていた。ホヤは酢で洗われて出てきたが、身が厚く、独特の甘みが口の中に広がった。「青森の酒で胃に洗い流したいなあ」と考えていると、メニューに青森の酒「豊杯」の名が目に入った。「豊杯」は弘前の杜氏、三浦兄弟が作る美味しい酒だ。「いいなあ。頼もう!」と思った。幸せはここまでだった。 

突然店に「いいですか!」という声とともにおばちゃん軍団が入ってきた。何かの集まりの後らしく、賑やかな集団でカウンターとは離れた窓際のテーブル席に座ったのでさほど気にしていなかったのだが、この集団の入店で店は突然忙しくなった。 生ビールとお通しが出されるところまでは普通の展開だったが、おばちゃん軍団の注文はなかなか決まらなかったので、カウンター内の動きが若干乱れ始めた。つくね焼が注文されたが、焼き始めてしばらくしてから一人のおばちゃんが、「私だけタレでなく塩で焼いて」と叫ぶとマスターは困ったような顔をした。多分手順に何か問題が生じたのだろう 

さらにマスターを困惑させる出来事が起こった。カウンター内にはその日は新しい若い男性アルバイトらしき人物が入っていたが、注文の「ほうれん草のサラダ」を作るのに手間取っていた。奥さんが側に行って手伝いだしたが、マスターの声が飛んだ。「手伝うな!手伝っていたらいつまで経っても仕事を覚えないだろうが!」その声に、奥さんは離れていった。マスターの厳しい視線が若い店員に注がれ、彼は明らかに緊張しているのが分かった。そしてミスを犯した。まな板の隅に置いてあったものを捨てるとマスターの大声が飛んだ。 

「何してるんだ!いま、何を捨てた!」 若い店員は青ざめた表情でうつむいた。 

「今日わさびはそれしか無いって、話したばかりだろうが、馬鹿野郎!」 

そこにまたサラリーマン客3〜4人が入店してきた。奥さんと若い店員は慌てて接客に走ったが、店内は混乱していた。気がつくと私の日本酒グラスは空で、次の食べ物の注文もしていなかったが、店側で私の状態に気を使っている人は皆無だった。「今夜これ以上この店にいてもいいことは何もない」と感じた。側を通り抜けようとする奥さんに「お勘定をお願いします」と言い、2310円払い席をたった。

ただ、この出来事でこの店が嫌いになったわけではない。一生懸命仕事をしているなかでのミスや混乱なので、起きるときは起きる。そういうとき常連ができることは、静かに見守るだけだ。直すべきところは店が当然分かっているはずだ。次に行ったときどのように修正できているか、見守るのも常連の役割だ。
<前の文章の続き>

昨日「T」に4年ぶりで行ってきた。時間はまだ「女将さん」が姿を見せない夕方4時過ぎを選んだ。緊張しながら雑居ビル1階の「T」の前に行き、ガラスドアを横に開けるとそこには、昔と変わらない豆絞りを頭に巻いた親父さんがいた。カウンター左端のかつての指定席に座ると「本当に久しぶりだね」と声をかけられた。女将さんのことを話すのは避け、「体調を崩してしばらく酒をやめていました」と答える。「何を飲みます」と聞かれたので鹿児島の芋焼酎「財宝」をロックで頼む。芋の薫りが香ばしい。

食べ物は「鰺の酢締め」をまず頼み、それから問題の「つくね揚げ」を注文。5分後
ちゃんと3個が皿にのってでてくる。いつもと逆に二個に醤油を一個にソースをつけて食べる。とても美味しい。小一時間過ごし計算通りのお勘定を払い店をでた。
経堂については、なかなか書き始めることができずにいた。理由はある時期とても愛して毎日のように通っていたにもかかわらず、ある出来事が理由でぱったりと行かなくなってしまった店があるからだ。「T」というその店は夫婦でやっている店で、2000年、リハビリ病院から退院し、復職した私は飲酒を夕方に限ることにしたのだが、そのとき通勤途中に発見したのが、経堂で夕方4時に開店するこの店だった。

通い始めると「T」はいい店だった。酒は日本酒と芋焼酎の美味しいものをだし、
食べ物も魚料理と肉料理の美味しいものを出していた。比較的に安い店だったが、時々は1個1000円のサザエの壺焼きを出したりもしていた。マスターは鹿児島出身のとても人なつっこい性格の人で、客もコアな酒好きが多かった。ここで知り合った近くの陶芸教室の先生と親しくなり、陶芸教室に通い出したこともあった。飲んでいて飽きない店だった。芸能人もときどき顔をだしていた。マスターと同郷の西郷輝彦と何回か同席したことがあった。

鮮烈な思い出もある。ある夕方店に入ると、女優の宮下順子さんと離婚したばかりの李 麗仙さんが "べろんべろん"に酔っぱらって大声をあげていたことがあった。その声は「男なんてなによ!」というものだった。男を知り尽くした女性2人の罵倒だけに説得力があり、その上酔って目もすわっていたので迫力があった。"うるさがた"の常連男性がカウンターの隅にいたが、二人とは目を合わさないように下を向いて飲んでいた。からまれた場合男性に勝てる見込みは「千に一つ」もなかった。私もカウンターに座ってから注文の声をあげることができず、マスターがにが笑いしながら持ってきたビールを1時間のあいだ黙って"ちびちび"飲んでいるしかなかった。

ただ、これは幻影だったかもしれない。後日「しんゆり映画祭」のゲストとして
来られた宮下順子さんと打ち上げで同席したとき「経堂の居酒屋でお見かけしたことがあります」と話しかけたが、「経堂の居酒屋なんか行ったことないわ」と即座に否定されていたので、多分私は酔って幻影をみたのだろう(ということにしておこう)。

こんな飲兵衛には申し分のない「T」だったが、一つだけ欠点があった。女将さんが「お勘定」をするとき、必ず私の計算より10%くらい高めにずれるのだ。たいした額ではないので気にしないことにしていたが、あるときから足が遠のき1年ぐらい行かなかった。そして1年後に行ったとき決定的なことが起こった。


この店の名物は「つくね揚げ」だ。美味しいうえに3個で380円と安い。私は3個のうち2個をソースで、1個を醤油で食べるのが好きだった。その日も「つくね揚げ」を頼むと女将がこう言った。

「のりさん、つくね揚げ一皿2個だからダブルで4個頼まない?」

その瞬間店を沈黙が支配したのが分かった。常連客はだれでも「つくね揚げ」を食べる
ので一皿3個は誰でも知っているのだ。年配のYさんは唖然とした顔で女将さんを見ていた。マスターがあわてて「つくね揚げは一皿3個だよ」と叫んだ。

それから、もう4年間「T」に行っていない。「小田急線各駅飲酒」に書いたからには、
今どうなっているのか、確認にこれから行かなくてはならない。だから、この店については「荻大ノート」に書きたくなかった。行くのが怖い。

                               <続く>
豪徳寺はおしゃれな町と思われがちだが、戦後すぐは闇市があり、その面影が世田谷線山下駅周辺には今も残っている。そのせいかホッピー居酒屋も多い。その代表格が「晩酌の店住吉」だ。
私がこの店に通い出したのは7年ほど前、確か雑誌「古典酒場」に掲載されたのを読んで訪ねた記憶がある。当時、カウンターのなかは夫婦でやっていた。

320x320_rect_11653500.jpgのサムネール画像記憶に残っているのは、空いているカウンター席に座り、かばんを床に置いたところ、おかみさんがすぐに「イタリア製のカバンをそんなところに置かないで」とBRIDGESのカバンを隣の席の上に置いたことだ。

初めて来店した客のカバンをすぐにイタリア製と見抜くとは「できる!」とおかみさんに一目置いた覚えがある。







それから週一くらいのペースで通ったが、この店のカウンターは開店の5時から6時にかけて、常連の座る席がだいたい決まっている。一度5時過ぎにカウンター左隅に座ったところ、常連たちからにらまれた。そこはほぼ毎日通っている常連の席だったのだ。その視線のプレッシャーに耐えかねテーブル席に移ったところ、店の雰囲気が一気に和むのが、感じられた。

私がこの店で頼むメニューはほぼ決まっていた。ホッピーはセットで頼み、中を二つ追加、その間にマカロニ・サラダとサンマの一夜干しを頼む。お腹が空いているときはもう一品、それでも2000円はしない。

そんな「晩酌の店住吉」だが、確か3年くらい前、カウンターの中からマスターの姿が消えた。どうしたんだろうと思っていたが、ある日常連とおかみさんが、マスターが病気で倒れたことを話題にしているのを耳にした。内臓系の病気らしかった。その後おかみさんが料理もつくるようになったので、てんてこ舞いの忙しさだった。私も1品目は手のかからない「マカロニサラダ」を頼むようになった。その後3年近く店から足が遠のいた。

先週、「小田急線各駅飲酒」を書くために3年ぶりで店を訪ねた。暖簾をくぐり戸を開けると3年前と同じ風景があった。マスターは復帰しておらず、カウンターのなかはおかみさん一人だった。カウンターの右隅に座った。するとおかみさんが口を開いた。
「そこは常連さんの席だから、一つ左に寄って。」

以前右隅は常連席ではなかった。3年間の時間の流れを感じた一瞬だった。


「小田急線各駅飲酒」、今回は梅ヶ丘駅。前回の世田谷代田駅よりははるかに居酒屋も多く、
これまでに寿司屋の「美登利寿司」などで飲んだことはあるが、自分で積極的に飲みに行く居酒屋はない。そこで今回も「居酒屋探し」を行うことにした。

梅ヶ丘なら世田谷代田と違って事前の「食べログ」を調べなくても入りたい居酒屋は見つかるだろうと、「ぶらり散歩」をすることにした。駅北口から歩いて5分、入ってみたい居酒屋はすぐに見つかった。看板には「花神」の文字。店内はよく見えないが、カウンターとテーブル1、2個の標準的な広さに見えた。

入店するとカウンターに客が一人、カウンター内には大将がいた。すぐ「いらっしゃい。初めてだね」の言葉。すぐこういう言葉が出てくるのは、大将が客をよく見ている証拠でまずは好印象。「初めてです。よろしくお願いいたします」と挨拶してカウンターに座る。
「今日はサッカーのW杯アジア最終予選オーストラリア戦があるから暇で新しい客は嬉しいね」と大将がひと言。


「何を飲みます?」と聞かれたのでメニューがないか見回すが、飲み物のメニューがない。
減点1。とりあえず、ビールで様子を見るかと「中生」を一つ頼む。食べ物のメニューは正面のメニュー板に色々書いてあったが、それらは刺身が中心だった。目の前に大皿があり美味しそうだったので、それを頼むことにする。「ツブ貝の煮付け」と「野菜」をお願いする。野菜はアスパラの水煮を中心に7~8種類の皿があったので「アスパラを入れてあと2つくらい見つくろってください」と注文。値段がわからないので若干の不安はあったが、ここは腹をくくって頼む。

出てきた「ツブ貝の煮付け」はとても美味しかったし、アスパラも本来の味をうまく引き出している。頑固そうな親父だが、かなりの職人と見た。

大将の話によると店は34年営業しているとのことだが、梅ヶ丘地元の客は少なく、自分の味を好きな遠方の客が多いとのこと。かなりの自信家だ。隣の60才前後の常連客も話しかけてきて、もう20年来の客でかつてはクレージー・キャッツの安田 伸・竹腰 美代子夫妻とよく飲んだ思い出話を始めた。多分この店はコアな金を持っている常連に支えられている店なのだろう。しかし、そういう店特有の "厭味な"感じはまったくない。それは大将の持っている"真っ直ぐな"人柄が大きいと感じられた。

入店して1時間たつ頃突然大将がメニュー板に「サザエの刺身 950円」と書いた。カウンター内のサザエを見るとかなり大きい。「どこ産ですか?」と聞くと「伊豆半島産」とのこと。以前新橋の「そうかわ」という店で伊豆産の同じくらいのサザエを食べたとき2000円以上したことがあったので、かなりお得だ。これは、私が客として試されていると感じ、「950円なら」と思い切って注文した。出てきたサザエを食べるとその"香り"が素晴らしい。「いい香りですね」と言うと、大将は「ニコニコ」笑って「そう言われると嬉しいね」と答えた。その笑顔をみただけで、サザエを注文して良かったと思った。

さて緊張の「お勘定」。日本酒も4合飲んだのでもしかすると7000~8000円するかなと思ったが、5000円でお釣りがきた。多分「また来るように」と少し安くしてくれたのだろうと感じた。しかし、この店に常連としてくるには、4000円弱必要だと感じた。私が居酒屋に出せる額は2000円台だ。
たまに、旨いモノを食って大将の笑顔が見たくなったらまた行こう!

「小田急線各駅飲酒」下北沢駅を書いたあと4か月世田谷代田駅で停車して書けずにいる。

書けない理由は、仕事が忙しかったこともあるが、一番大きな理由は、書くべき店が見つからないのだ。この駅に降りて飲んだ居酒屋もなければ、飲みたい居酒屋もない。一度世田谷代田駅に降りて居酒屋を探したが、飲みに入りたい店は見つからなかった。 "コジャレタ"店は何軒かあったが、生活のにおいや"飲兵衛の巣"の雰囲気は全くなかった。それを感じ取ったのかチェーンの居酒屋さえ存在しない。

しかし、世田谷代田に飲兵衛がいないはずはない。今一度、昨日居酒屋探しをおこなうことにした。ただ "闇雲"に探しても見つからないだろうと思い、「食べログ」で「世田谷代田」「居酒屋ランキング」で検索し一軒の店にとりあえず行くことを決めた。店の名は「串鉄」点数は3.17。口コミには次のように書いてある。

シモキタもここまで歩いてくると人もまばらで、ガキンチョもいなくなります。渋〜くて美味い居酒屋があるとは聞いていたのですが、初めてやってきました。店名から串焼き屋かと思いましたが、いわゆる居酒屋です。ポテトサラダと刺し盛り頼んでサッポロビール(←ポイント高い)で乾杯。刺身も美味しいですが、ちょっと一手間かけた料理が絶品です。おかぁさんと丁々発止のやりとりをしながら達筆のお品書きを解読し、絶品の酒肴を愛でる、ということができるオトナじゃないと楽しめないかも知れませんね。

夕方5時半に世田谷代田駅に降り立つ。「串鉄」に電話したが、誰も出ないので、店にとりあえず向かった。駅から離れた住宅街の中の方にあったので、夜になると、酔って駅に歩いて帰れなくなることを危惧したのだ。最近自分の記憶力に自信が持てなくなっているので、道を曲がるたびに、目印を記憶していく。10分ほど歩いて店が見つかったが、まだ開店していない。店から一人男性が出てきたがノレンはかかっていない。

仕方がないのでとりあえず、駅の北側環状7号線沿いを歩いて別の店を探すことにする。5分ほど歩いて「呑肴」という焼鳥屋が見つかる。中に入ると洒落た造りの店で、カウンター7~8席でマスター1人が準備をしていた。まず、ホッピーのセットを注文。450円という標準的な値段。ただ、焼酎の量は少し少ない。焼き鳥は1本からでも注文できることを確認し、タンと雛皮を2ほんづつ注文。みな1本120円という標準的な値段。焼き上がってきたタンの味は "イマイチ"だったが、雛皮はジューシーで量も多い。

下見のときは、一杯一品にすることにしているので、これだけで店を出るつもりだったが、雛皮のレベルの高さにもう少し飲むことにする。ホッピーの「なか」を頼み、「タマネギのホイル焼」を注文。しかし、この追加注文がこの店の評価を下げた。追加の「なか」は300円だったが,私の人生で最小量の「なか」。タマネギも今が新タマネギの旬のはずだが、パサパサした小玉だった。もうこの店に足を運ぶことはないだろう。

6時30分に再び「串鉄」に足を運ぶが、まだ開店していない。先ほど店からでてきた男性が店主らしかったが、あまり感じが良くなかったので方針を変え、隣の「酔太郎」という店に入る。戸を開けるとカウンターの中に70才前後のママさんがいて開店準備中。
「少し待っていてくれる」と言われたので「座って待たせていただきます」と言って椅子に座る。少しするとトイレから出てきた先客が店のノレンを掛け始める。多分常連客なのだろう。店の雰囲気としては悪くない。

5分ほど待っているとお通しの「モヤシのあえ物」がでてくる。何か一品頼もうとメニューを見る。冷や奴350円。煮込み450円など普通の値段。ただカウンターの上におでんの鍋があり、メニュー板にもおでんのネタが一品一品丁寧に書いてあるので、頼もうと思ったのだが、値段がどこにも書いていない。メニューを見直すがここにも書いていない。とりあえず日本酒2合600円を常温で頼み、杯を傾けながら、何か不自然なものを感じ、何故値段が書いていないのかじっと考えた。

店を見回し、どう考えてもこの店の主役は「おでん」である。常連なら必ずおでんを頼むだろう。その値段が何故書いていないのか?書く必要がないほど定番なのか?それともママの胸先三寸で決まるのか?などなど考えていて25年ほど前、大阪のおでん屋での出来事を思い出した。

そこは美味しい店だったが、やはり、値段がメニューなどに書かれていなかった。おでんのネタのなかに「鯨のさえずり」があった。鯨の舌の部分で珍しい部分であることは知っていたが、値段を聞かず注文した。店の客の間に緊張が走るのを感じたが、構わず食べた。とても美味しかった。しかし、その感動は「お勘定」のとき「驚愕」に変わった。さえずり一個が1万円近くしていたのだ。それ以来、私は値段のわからないものを注文しないことにしている。「酔太郎」でもそのポリシーは守ることにした。「お勘定お願いします」と一品も頼まずいうとママは驚いた顔をしたがすぐに「900円」ですと言った。日本酒2合600円。お通し300円。明朗会計だった。この店にはもう一度来るかもしれないと思った。

それから世田谷代田の駅近くを歩いていて「ぐすく」という看板が目に入った。名前から沖縄居酒屋だろうと思い入ってみた。この店のことはあまり覚えていない。泡盛をロックで2合くらい。料理は何を食べたか記憶にない。親父と小一時間話していたと思う。話の内容もあまり覚えていないので、ここに書くことはできない。ただ悪くない店だという感触が残っている。もう一度訪問して書くべきことがあったら、書き足すことにする。


下北沢は若者の街だ。南口に降りて南口商店街を歩くと10代、20代の若者たちの人の波に飲み込まれ圧倒的にそれを感じる。居酒屋も"こじゃれた"店が多く、私のようなおじさんに似合う店は少なく、この連載を書き始めたとき、どの店を書くか迷った。


しかし、この春から通い始めた焼き鳥屋がある。その店は南口の商店街を下りきって右に曲がるとすぐある。店名は『八峰』という。

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入った瞬間に"当たり"の感触があった。カウンターに常連が3〜4人座り、店主と店員も"ただもの"でない雰囲気を漂わせていた。チェーン店にはない居酒屋の「くすんだ」歴史が店に充満していた。雰囲気は一言で言うと「おやじの巣」。


ホッピーセットをまず注文すると、ジョッキにたっぷりの氷とたっぷりの焼酎が注がれてきた。何をたべようかと壁に貼られたメニューを見ると「つくね」の文字が「私を食べてください」と眼に飛び込んできた。こういうときは、素直にその声に従うことにしている。

「つくね2本たれで」と注文すると「ゆず入りとニラ入りどちらにします?」と聞き返してきた。「?」。もう一度壁に貼られたメニューを見ると確かに両方書かれている。「1本づつというのはいいですか?」と聞くと「いいですよ」との答え。4〜5分待つと、少し大きめのつくねが焼かれて出てきた。

まず「ゆず入り」を食べる。噛むと肉汁のほかに口の中にゆずの香りが広がる。次に「ニラ入り」を。しっかりしたニラの味がつくねとマッチする。この口の中のつくねを冷えたホッピーで胃に流し込む。「ああ!幸せだ!」


入店10分で私はこの店が好きになった。店のなかを見回すと中高年の客たちがみな、幸せそうな顔をして飲んでいる。

よく見ると見知った顔があった。知り合いかなと思ったが違った。写真家の浅井愼平さんだった。同年配の人たちと楽しそうに「小上がり」で飲んでいた。しばらくしてお勘定を頼む。

ホッピーセット+なか2杯、つくね2本、雛皮1本、突き出しで2000円。焼き鳥が大きめなので、気持ち高めだが、まあリーズナブルか。この店とは長いお付き合いになる予感がする。


このほか下北沢には「酒党 安寅」 (しゅとうあんどら)という美味しい店が北口にある。食べ物に合わせたお酒を出すというコンセプトの店なのだが、酒と食べ物に凝っていて、食べ物はとても美味しい。合わせる酒も日本酒だけでなくシェリー酒や泡盛も合わせてくれる。私はこの店の「水茄子のサラダ」がとても好きだが、これを食べるとき酒が進み過ぎる傾向がある。

東北沢は代々木上原と下北沢に挟まれた地味な駅だ。大きな商店街もなく急行も止まらない。しかし、この駅には私の大好きな店があった。「あった」と過去形で書いたのは、この連載で取り上げようと改めて取材に行ってみたら消えていたのだ。店の名は「バル・エンリケ」という。

ネットで検索して調べたら2年前に中目黒に移転している。2年間ご無沙汰していたのかと驚いたが、決して店にいやなことがあって行かなかったわけではない。一人で飲みに行くと4000〜5000円と単価が若干高かったのでNHK退職後生活のダウンサイジングを行っていたので行かなかっただけだ。2人で行ってワイン1本とニシンの酢漬けとパテとパンで済ませれば、計5000円、一人2500円ほどで済むのだが、この店によく一緒に行っていた人物の仕事が変わり、一緒に飲みに行けなくなってしまったのだ。

昨日、食べログのサイトから印刷した地図を手に、移転した店を訪ねてみた。開店時間の5時半に店を目指して歩いていくと、それらしき店の前でマスターが玄関前を掃除していた。「お久しぶりです」と挨拶すると、私を覚えていたらしく「本当に久しぶりだね」と驚いたような顔で答えてくれた。「掃除が終わるまでちょっと待っていて」と言われたので、近くの垣根のあたりに座って待った。店を見ると3階建ての細長い建物の1階が店舗。2・3階が住居になっているようだ。

しばらくすると、マスターから「中に入って」と言われたので中に入る。4人掛けのテーブルが2つとカウンター席が12席ほどある。男性の料理人1人と客席係1人がいる。しばらくするとこの日から働くらしい女性アルバイト2人がやってきた。これだけ雇えるということは繁盛しているのだろう。

メニューはワインと食べ物2種類。私はワインのことはよくわからないので、初めて行く店では一番安いワインを飲むことにしている。このことは作家の沢木耕太郎さんから教えられた。沢木さんは海外旅行の経験が豊富だが、いい店は必ず一番安いワインにリーズナブルなワインをメニューに載せているという。以前「バル・エンリケ」でワインを飲んだときも、訪問するたびに、安いワインから順番に飲んでいき5回目に美味しいワインに出会った。値段は2800円くらいだった。6回目に同じワインを頼むとマスターは大きくうなずいた。それ以降、客としての扱いも少し変わったように思う。新しい店のリストを見るとそのワインは無かった。一番安いワインは3100円。まずそれを頼んだ。


この店の料理で一番好きな「ニシンの酢漬け」を頼んだが、今の季節は「サンマの酢漬け」しかないとのこと。残念!サンマの酢漬け、野菜のパテ、アンチョビを盛り合わせたプレートと小エビのアルアヒ-ジョを頼む。サンマの酢漬けはニシンの酢漬けには及ばない。
パテは肉の方が美味しい。小エビのアルアヒ-ジョはエビの美味しさをしっかり出していた。お勘定は5400円。プレート3点盛りにしてもらったので考えていたよりは安い。

マスターと雑談すると東北沢では13年ほど営業していたとのこと、移転の理由ははっきりと聞けなかったが2年ほど前といえば、もつ鍋、ジンギスカンなどで、中目黒がまだブレイクしていた時期。お客の多いこの場所への移転を選んだのだろう。また来よう。

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代々木上原はオシャレな街だ。近くには高級住宅街があるが、古くからの住民も多く、小田急線沿線では一番美味しい店が多いのではないだろうか。「ゆうばーる」「鮨勘」「ジーテン」「老四川飄香(ピャオシャン)」「とんかつ武信 分店」。昼飯時に会社のスタッフの女性たちと何か美味しいモノの食べに行くとき代々木上原まで足を伸ばすことが多い。

そんな代々木上原で私がのんびりと日本酒を飲みたいとき訪れるのが「笹吟」だ。
訪れると必ずスタッフやオーナーの成田満さんが笑顔で迎えてくれる。今回、取材で店を訪れて、成田さんの生まれは私と同じ昭和28年であることがわかった。以前は青山の方で西洋料理のレストランをしていたとのこと。道理で日本酒の居酒屋にしてはセンスが垢抜けている。

「笹吟」の開店は1996年と15年前。私が福岡から東京に転勤で帰ってきた年だ。ちょうど地酒ブームが起こったころではないだろうか。店の看板にも「お惣菜と地酒の店」と書いてある。
席数は38席と "中箱"だが、店としての一体感は保たれている。私はこの店でカウンターに座り、成田さんに目の前で日本酒をついでもらい、その日本酒に合う「おつまみ」を聞いて食べるのが好きだ。先日「太平海」を飲んでいるときに出してくれた「タコとキュウリの酢の物」も美味しかった。
そういう店だから客単価は普通の居酒屋よりも少し高いが、こういう店が流行るのも酒文化の発展につながるのでないだろうか。連れ合いと一緒にきている夫婦が多いし、85歳になる私の母親もこの店のファンだ。

酒場には、店によっては時に「華やかな雰囲気」も必要だと思う。以前この店のテーブル席で母親と飲んでいたとき、ちょうどリーマン・ショックの頃だったと思うが、店全体がなんとなく「暗い」雰囲気に包まれていた。突然、成田さんのいるカウンターの方向で「ポーン」という音とともに「ワー」という歓声が上がった。そして、発泡した日本酒が天井まで吹き上げる光景が目に入ってきた。「秋鹿 霙もよう」を不用意に開けてしまったのだった。「秋鹿 霙もよう」は"危険な"酒だ。千枚通しで慎重に気を抜いていっても10分近くかけないと酒が吹き上げてくることがある。

そのとき,成田さんの様子を見るとなんと「ヤッター」というように喜んでいた。普通ならお客さんに酒がかかるのではと慌てふためくか、開けた店員を怒るところだが・・・・。しかし、子どものように喜んでいる成田さんの様子を見ていると、驚くべきことが起こった。店のあちこちから「その酒をくれ!」という声が飛び出したのだ。それまで、暗い雰囲気が支配していた店が、いっぺんに明るい雰囲気に支配され、笑い声が聞こえるようになった。「これが酒場だな」と私も明るい気持ちに包まれた。

酒販店によっては「笹吟」を厳しく評価しているところもあるのは知っているが、この一件以来「そんなことはどうでもいいじゃないか」と思っている。

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 代々木八幡は八幡宮の近くに開けた商店街を中心とした町だ。私の実家にも近いので古くからよく知っている。近くを「春の小川」に歌われた宇田川が流れ、小さいころはオタマジャクシをとったり、笹舟を浮かべて遊んだりしていた。確かNHKの「新日本紀行」で「東京の山の手と下町の接点」というようなナレーションを聞いた覚えがある。
 大きな商店街なので、何軒か居酒屋はあるのだが、私が好きな居酒屋は残念ながらない。ただ飲む場所はある。それは商店街の裏、井の頭通りの近くにある中華料理店だ。

 店名は「他人」という。町の中華料理店としては随分変な名前だ。店は老夫婦と息子の3人でやっている。主人と息子は顔がそっくりだが、もしかしたら他人なのだろうかと疑問に思っていたが、今回の文章を書くにあたり思い切って聞いてみた。もしかすると「息子の出生には人に言えない秘密があって」的な話がないかと期待したのだが、まったく、そのような話はなかった。ただ親父さんは私の頭の上を指さした。するとそこには一枚の小さな紙があって、つぎのように書いてあった。

「他人のゆらい。かわいい子には旅をさせろ。他人の飯を食べさせなければ出世しない」
このことわざは先代の店主が大事にしていたもので、その店主から店を引き継いだ親父さんが店名にしてしまったという(もしかすると、引き継ぐ前の店名が「他人」だったかもしれない。老酒をたくさん飲んで酔って聞いていたのでよく覚えていない)

 さて、この店で私がお酒(主に老酒)を飲むとき頼む食べ物は、主に3つある。「酢豚」「カニ玉」「肉団子」。街の中華料理屋として佇んでいる「他人」だが、この3品については、普通の店のレベルを超えている。商店街の表通りには小じゃれた中華料理屋もあるが、この店の3品のレベルには手も届かない。親父も「酢豚」「カニ玉」「肉団子」の3品の注文が入ると明らかにテンションがあがり、鍋を振る腕も力強くなる。値段も3品とも1250円と少し高いが、うれしいのは、酒飲みのために「酢豚」と「肉団子」にはハーフサイズ(750円)が存在する。

 大相撲の時期になると、私は夕方5時頃にこの店に入店し、ビールと酢豚ハーフを注文し、ゆっくりビールを飲みながら大相撲をテレビ観戦し、酢豚ができると老酒を頼むのが好きだ。街の中華料理屋で酢豚を食べながら観戦する魁皇。日本人としての醍醐味ではないだろうか。

代々木八幡・他人 代々木八幡・他人

参宮橋は生まれ育った実家に近い駅なので、隅々まで知っている。現在も実家と職場に近いのでよく利用している。青少年オリンピックセンターが近いので、そこを利用するフリーの客が多いが、地元客も多く、昔から面白い居酒屋が存在する。かつては「劇団四季」も存在したので居酒屋で久野綾希子さんにお酌をしてもらったこともある。
地元で一番古い焼鳥屋「七福」は、1964年東京オリンピックの年の開店だ。35年前、この店で合宿中のバレーボール日本代表の大古選手と隣に座って飲んだこともある。ところがこの店の2代目マスターが今年1月急逝した。今後「七福」がどうなるのか心配だ。

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最近参宮橋で私がよく飲むのは、「二代目 おいらせ」という店だ。
元々年配の夫婦が営業していたのだが、奥さんが亡くなり、その後マスターが入院したため、店の常連客が店主を代行していたのだが、入院中の老店主が死去したのち、2009年9月11日に、今の店主中森さんがあとを継いだ。
中森さんも客の一人だったが、料理人としてのキャリアを持っていたので、店の数少ないメニューを一新し、雑然とした店をリニューアルした。彼は昔大阪でテレビ局の大道具をしていたこともあるという。
私が初めて訪れた2009年11月には、焼き鳥、串揚げ、おでん、焼き魚にとどまらず、お好み焼きからカレーまで狭い店で50種類近いメニューを用意していた。客の食べたいものはすべて出す、というポリシーにしたという。初回この店のジントニックと野菜のピクルスが気に入った私は、その後よく通うようになった。

この店は本当に狭い。カウンター6席しかないので、客の多くは地元の飲兵衛の一人客だ。
去年10月、「おいらせ」は、東京12チャンネルの日曜ビッグバラエティ「激セマ繁盛店」で紹介された。
私もテレビ業界の端くれにいるので、撮影があると聞いたとき、「普段やっていないことはやらないように」とアドバイスしたのだが、やはりそういうわけにはいかなかった。撮影中、担当の女性ディレクターが急に注文を出したらしい。 

「店の入り口近くに座っている客がトイレに行くのを撮影したいので、そのとき、トイレに近い席に座っているお客全員が店の外に出るところを撮影させてください」 

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この店のトイレは店の一番奥にあり、混雑時に入り口近くの客がトイレに行くのは大変だ。しかし、普段いくら狭くてもそこまではしない。後ろを通れるように、席を少し前にずらしたり、トイレの隣の席の客が、トイレのドアが開けられるように立ち上がるくらいだ。
マスターが「普段そんなことはやっていないよ」というと、女性ディレクターは言ったという。 「いえ、演出ですから」。

幸い放送では、そのシーンはカットされていた。放送では地元客を大切にする店として紹介されていたので、放送後番組を見た客が殺到することはなく、胸をなでおろす展開となった。
その後客もメニューも徐々に増え続け、メニューはとうとう70を超えた。金宮焼酎がこの店の基本なので、お勘定も安い。金宮焼酎(720ミリリットル)一本2400円がキープしてあれば、お勘定は千円台と財布に優しい。


 連載第1回は居酒屋の数の多さに困った新宿だったが、第2回は、居酒屋の少なさに困る南新宿である。なにしろ少し北に歩けば甲州街道と新宿の高層ビル街。南に歩けばすぐに代々木駅で、商店街らしきものがあまりない。
 しかし、1軒だけ書くべき店がある。その名は「MOONBOW」。昼間はカレーライスの店で、去年11月4日に初めて入店してこの店の「ナスと挽き肉のカレー」に恋してしまい、週に2〜3回通っている。
 なぜそんなに通えるかというと定期券があるので、仕事場の代々木八幡から南新宿までの交通費がかからないのだ。通勤定期は新百合ヶ丘−代々木八幡のお金が支給されているのだが、実家のある参宮橋や「中ちゃん」のある新宿に行くことが非常に多いので、数千円自分でたして新百合ヶ丘−新宿の6か月定期を買ったほうが、結果として安いのだ。
 
060102MOONBOW03.jpg なぜ「MOONBOW」の「ナスと挽き肉のカレー」に恋したのか? 恋に理由はない。一口食べた瞬間に舌がしびれ、鼻孔がしびれ、3分後には脳髄までしびれていき、その後半日間体じゅうがしびれていたといったら大袈裟だろうか。いや、その感動は半日間、私の体を貫いていた。このへんのところは実際に食べなければ分かっていただけないだろう。富士見台「香菜軒」のカレーを共に愛する沼辺さんには是非とも一度食していただきたいところだ。

 先日、近くの居酒屋でこの店の常連とたまたま隣り合わせて聞いたところでは、「MOONBOW」のカレーの鮮烈さの秘密は、その調理法にあるという。普通カレーをつくるときスパイスの香りは多めの油で一気に炒めてとるが、「MOONBOW」では前日からお湯を沸かしそこに何種類かのスターター・スパイスをホールのまま入れるというのだ。どうりで、味に油っこさがなく、スパイスの香りが一気に体を刺激するわけだ。

 この店のユニークなところはただの「カレー屋」でなく「ロックカレー屋」であることだ。
店主のUさんは現役のロック・ミュージシャンで去年店の10周年には、第1回「代々木ロックフェスティバル」を行い、その腕前を披露したという。昼に店に入ると「バラカン・モーニング」の録音が流れ、モニターには秘蔵のロック・ビデオが映しだされる。

 ところで、「なぜこの店が各駅飲酒の対象になるのだ」と疑念を持たれる方もいらっしゃるだろうが、御心配なく。カウンターの隅には「鶴見」や「マッカラン」がある。夜の営業ではバーに変身するのだ。ただ、まだ私は行ったことがない。

 と、ここまで書いて夜の営業に行かないわけにはいかないと思い、昨夜行ってきた。「食べログ」には夜は9時からと書いてあるのだが、これまで2回夜9時10分頃に行って閉まっていたので、アジアカップ「日本−サウジ戦」の前半戦が見られないリスクを犯して9時40分頃南新宿駅を降りる。駅の裏へ歩いて1分。近づいていくと店から明かりが漏れている。入店するとまだカウンターにまだ買い物袋やビールが置いてある。マスターが「あ、ごめん。座って待っていてくれる? カレーの仕込みに時間がかかって・・・」と笑いながら話しかけてきたので、こちらもリラックスできた。

 3分ほど待っていると片付けも終わり、「何を飲む? 夜のメニューはないんだけれど」と言われたのでカウンターの隅にある『南光(泡盛)』をロックで頼む。神谷酒造のこの泡盛は無濾過で泡盛本来の味を楽しめるので、九州に住んでいたころから好きな酒だ。『南光』ロックとともにピーナッツがでてくる。しばらくすると「音楽は何が好き?」と聞かれたので、「色々聞きますが、ロックでは『ザ・フー』です。」と答えると『ザ・フー』のDVDを次々に再生してくれる。ロジャー・ダルトリーのステージを見ながら『南光』を飲んでいると酒が進む、進む。このままではサッカーが見られなくなると、2杯おかわりしてお勘定をしてもらう。

「1杯500円で3杯だから1500円」と言われる。安いし、ピーナッツのチャージ代もなくDVDも見られるという超良心的料金設定だ! また行こう! 昼間売り切れていなければ、夜もカレーが食べられるそうだ。

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これから小田急線を新宿から小田原まで各駅一つの居酒屋をとりあげ連載を始める。チェーン店を取り上げるつもりはない。開店年数にかかわらず、各駅の地元に根付いた居酒屋を書き続けていきたいと思う。私も居酒屋で飲み始めて40年近い歳月が経つが、居酒屋に行く理由は、ただ酔いたいだけではなく、店の店主や常連に会いたいからだと思う。そして、その店の共同体的な雰囲気のなかにひたり、自分の座標軸を確認したいのだと思う。世の中には数限りない居酒屋があるが、その一軒一軒に固有の世界が存在する。その世界を書いていきたいと思う。

新宿から自宅のある新百合ヶ丘まではおおよそ各駅ごとに書きたい店のめどがたっている。サラリーマンの飲酒は帰宅途中の途中下車が基本である。各駅に常連である店があるので新宿から新百合ヶ丘までの23駅については書く自信がある。しかしその先、柿生から小田原までの24駅はまるでわからない。

長征である。毎月1駅のペースで書くと4年近くかかる。中国共産党・紅軍の長征でさえ2年あまり。この「小田急線各駅飲酒」を通して、色々な居酒屋と出会い、あるいは再会して、自分の60歳以降の人生を豊かなものにし、革命を起こしたい。
などと大きなことを書いたが、ただ飲兵衛の漫遊記に終わるかもしれない。まあ、お読みください。

●第1回 新宿駅

新宿駅でどこか1軒と考えると難しい。居酒屋は数限りなくあるが、その多くはチェーン店であり、地元に根付いて駅にも近くこの連載の趣旨に合う店というのはなかなかない。すぐに思いついたのは「思い出横丁」の「つるかめ食堂」で、この1年間よく行くようになったのだが、夏頃から改装中で建物は取り壊され、いまは影も形もない。
この店でのエピソードはいくつかあるが、おやじさんや娘さん(?)にいま話を聞くことができないので、エピソードが広がっていかないし、写真を撮ることもできない。
悩んだ末、小田急線の新宿駅から少し離れているが、私にとっての帰宅途中に立ち寄る居酒屋ということで、新宿ゴールデン街の『中ちゃん』という店のことについて書くことにした。

私が『中ちゃん』に初めて行ったのは、1973年。大学1年生の頃だと記憶している。当時、通い出した同じゴールデン街の店『レカン』のママである「のりちゃん」に、『レカン』が深夜12時の閉店後連れていってもらったのが最初だった。
『レカン』ものりちゃんの旦那が映画のカメラマンだったので映画関係者が多かったが、『中ちゃん』もマスターの吾郎さんが役者あがりだったこともあり、若い映画関係者演劇関係者が集まる店だった。大学で映画研究会に所属していた私にとっては、そこで交わされる会話は魅力的であったし、なにより、女優の卵など若くて可愛い女性と話ができるので、自然と足が向いた。

1969年に開店した『中ちゃん』だが、当時の常連には明治学院大学映画研究会OBの集団や「転形劇場」の役者だった大杉漣さんなど、元気のいい若者たちがいた。何がきっかけだったのか分からないが、彼らと「ホワイト・ドランカーズ」という草サッカーのチームを作り、日曜日に二日酔いの状態で試合をしたことが何回かある。
チーム名は、『中ちゃん』でみんながボトルキープしていたサントリーの「ホワイト」に由来している。当時常連のほぼ全員が「ホワイト」をボトルキープしていた。当時「ホワイト」は市販で1000円。『中ちゃん』のボトルキープで3000円だった。

話が思い出話にそれたが、当時のゴールデン街の飲み方は「はしご」が基本だった。学生だったのでそれほどお金を持っていたわけはないのだが、毎晩3軒4軒と「はしご」をしていた。「レカン」「中ちゃん」に始まって「ひしょう」「ちろりん村」「くらくら」「ナナ」「サーヤ」「ふらて」・・・そして最後に「小茶」。
それができたのはゴールデン街の店の多くに「チャージ」が存在しなかったからで、ビール1本400円で1時間くらい飲んでいられたし、顔を知った"先輩"がいると1杯ありつけた。
大学4年のときアテネフランセ文化センターが開講した「映画美学技術講座」に毎日通っていたので、講師の映画関係者とのコネクションが飛躍的に増え、深夜ゴールデン街で遭遇すると「先日の講義のお話で質問があるんですが?」と近づいては、ビールや食べ物をハイエナのごとくご馳走になっていた。
そういう若者たちが店を行き交う当時のゴールデン街のエネルギーは凄まじいものがあり、それが街の魅力になっていた。そして多くの夜は深夜0時40分近くになると勘定をすませ、小田急線0時50分新宿発の最終電車に乗るために、店をでて全力疾走した。どんなに飲んでも、不思議と乗り遅れたことがない。いや、乗り遅れた記憶がないだけかもしれない。朝、目がさめて、知らない人の家にいた記憶は山のようにある。

それから40年。ゴールデン街もすっかり高齢化した。「中ちゃん」のマスター吾郎さんも60歳くらいになったはずで、2年くらい前に大病を患い、深夜の営業を控え、開店時間を夜7時から夕方5時に早めた。客も高齢化し、私のように病気持ちが増えたので、夕方早い時間に飲む客が増加したのだ。

この店の名物は毎月第1金曜日に吾郎さんが作る「特製カレー」。最近客が以前より減った『中ちゃん』だが、第1金曜日だけは7時頃になるとカウンター約8席が必ず満員になる。この「特製カレー」をフランスパンと一緒に食べると最高の「あて」になるのだ。なかにはタッパウエアを持参して「お持ち帰り」を頼む客も何人かいる。

バブルの時代に地上げで「消滅」の危機が噂された「新宿ゴールデン街」だが、それから20年。最近は若い世代の店主も増え、最近はこの夏、大久保公園で「新宿ブルースナイト」というコンサートを企画するエネルギーもみせた。まだまだ、これからの「新宿ゴールデン街」に期待するのは私だけではないだろう。

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(のり)