あれもこれも

この書籍を手にした時の最初の感慨をどう言えば良いだろうか。

手に取って最初に思ったのは「こんなに分厚い単行本になったのか」ということ。
滑らかな手触り、ずっしりと重いその重量。
表紙カバーはブルーで、忘れもしない小説すばる連載第一回の冒頭に掲げられた林美雄さんの写真。42年前の8月25日に代々木公園で初めて見た、林さんの顔のクローズアップだ。

白い帯にはすっかり白髪になった久米宏さんの顔写真と言葉。
「この本は、林美雄の、そして僕たちの奮闘記です。」
目を閉じると42年前の出来事が洪水のように脳裏に押し寄せてきた。
この分厚い本にはたしかに「僕たちの奮闘」が詰まっている。

「僕たち」とは林美雄さんや久米宏さんら当時のTBSアナウンサーの方々であり、
パックインミュージックのリスナーだったパ聴連、荻大の友人たちであり、
ユーミンや石川セリら70年代の歌姫たちであり、
「歌う銀幕スター夢の狂宴」の関係者と出演者たちであり、
60年代と70年代を駆け抜けた多くの有名無名の人々のことでもある。

サブタイトルは「林美雄とパックインミュージックの時代」。
著者の柳沢健さんは膨大なインタビューと取材を重ね、時代の空気を見事に描き切った。
1970年代を語る書籍はこれからも出版されるだろうが、時代そのものを群像劇として活写したこの作品は、後に続く若者たちや研究者たちにとって必読の書となるだろう。

本文中の証言と証言の間に挟まれる著者の言葉は時に涙を誘い、
時には微笑を誘う。
そして万感の思いで読み終わった時に、あとがきに綴られた著者の最後の一言が胸に響いた。

「人の世ははかない。はかない世を、人は懸命に生きる。
本書は、懸命に生きた人々の小さな記録である。」

若かった「僕たち」は、きっと多くの過ちをも犯したに違いない。
だが、このたった2行の言葉によって、
この書籍に収められた「僕たちの奮闘」のすべてが許されたようにも感じた。

柳澤健さんに、心から感謝したい。








2016年8月28日(日)、
西荻窪で「1974年のサマークリスマス」についてのトークショーがあります。
ゲストは著者の柳澤健さん、聴き手が主人公のひとりで元リスナーの沼辺信一さんです。
主催は西荻ブックマーク。下記にそのリンクと主催者の口上をご紹介します。
42年目のサマークリスマスを西荻で過ごしませんか?
多くの皆様のご参加をお待ちしております。

<リンク>

第94回西荻ブックマーク

<以下は主催者の口上です>

日時:2016年8月28日(日)
開場:16時30分
開演:17時
終演:19時(予定)
会場:ビリヤード山崎 2階 (東京都杉並区西荻北3-19-6)
料金:1,500円 (要ご予約)
定員:50名

 

【イベント概要】

ユーミン、《八月の濡れた砂》、タモリ、橋本治、野田秀樹・・・
あの音楽も、映画も、才能も、TBSアナウンサー林美雄が見つけて世に出した。
1970年代、若者たちから熱烈に支持された伝説の深夜ラジオ番組に光を当てた新著『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』が巷で話題になっています。

 

第94回西荻ブックマークでは、この本の著者でノンフィクションライターの柳澤健さんをお迎えし、なぜ林美雄という存在に惹かれたのか、当時

「林パック」がどのように聴かれたのか、今この時代を採り上げる意味などについて、縦横に語っていただきます。
聴き手は当時の熱心なリスナーで、取材対象として本の成立に貢献した沼辺信一さん。

 

沼辺さんは10年前、西荻ブックマークの第2回イベント「誰も知らなかったロシア絵本」にも登場されています。

本当にいいものは隠れている。だから自分で探さないといけないと林さんは言った。

自分が人知れず埋もれていたロシア絵本を発掘できたのも、林さんの精神に導かれたお陰かも」と沼辺さん。

 

70年代の青春をめぐって繰り広げられるお二人の白熱トークを、

3日遅れですが「2016年のサマークリスマス」にお届けいたします。

 

【出演】

柳澤健(やなぎさわ・たけし)
1960年生まれ。文藝春秋で『週刊文春』『Number』などの編集者を経て独立、
ノンフィクションライターとして『1976年のアントニオ猪木』
『1985年のクラッシュ・ギャルズ』『日本レスリングの物語』
『1964年のジャイアント馬場』などを上梓している。吉祥寺在住。

 

沼辺信一(ぬまべ・しんいち)

1952年生まれ。フリーの編集者を経て川村記念美術館で学芸員を15年ほど務めた。
50歳でリタイアしてからは千葉で悠々自適の日々を送る。
著書は『12インチのギャラリー』、『幻のロシア絵本 1920-30年代』(共著)など。


参議院選挙の前に振り返っておきたいと思い、安保法案をめぐる昨年9月の国会前の映像をまとめました。
こちらの皆さんにも見ていただけたらと思い、このページに埋め込みました。
どんな思いであのときあの場にいたのか、54人の声です。

●2015年9月 国会前の人びと〜国会前で聞いた54人の声


ついでに、
この1年「18歳のためのレッスン」というシリーズを続けていました。
以下が全11回のリストになります。気になるのがあったらどれか一つでもごらんいただければと思います。

(http://www.eizoudocument.com/0135komori&sealds.html)
(http://www.eizoudocument.com/0139higuch&sealds.html)
(http://www.eizoudocument.com/0517takahashi&student.html)
(http://www.eizoudocument.com/0140nishitani&student.html)
(http://www.eizoudocument.com/0142kokbayashi&student.html)
(http://www.eizoudocument.com/0703hama&youth.html)
(http://www.eizoudocument.com/0518lesson07maeda.html)
(http://www.eizoudocument.com/0519lesson08junkerman.html)
(http://www.eizoudocument.com/0144lesson09sawachi.html)
(http://www.eizoudocument.com/0704lesson10yamada.html)
(http://www.eizoudocument.com/0146lesson11sokyonshuku.html)

(http://www.eizoudocument.com/0020lesson.html)
(http://www.eizoudocument.com/0143DVDlessonseries.html)

(荒川俊児)
書店に並ぶ一週間ほど前、集英社から宅配便で届きました。皆もそうでしょうが、この本の取材協力者の一人でしたから。
ページを捲る前に、ひととおり本の外回りをしげしげ点検。何よりまず、装丁が秀逸だと感じました。口をひんまげた顔写真のインパクト、地色のブルーのすがすがしさ。恐る恐るカヴァーをめくると、橙色の表紙本体に四十数年前のリスナーたちの懐かしい姿が現れ、皆の視線が一斉にこちらに向けられるのに、思わず胸が一杯になりました。深夜ラジオの送り手が受け手たちを包み込むという仕掛けに、デザイナーの周到な配慮が感じられる。
そして帯に記された久米宏さんの推薦文----「この分厚い本は、彼の、そして僕たちの奮闘記です」とある一節には真情が漲っていますね。 

久しぶりに全体をざっと再読しましたが、自分自身のことがしきりに出てくるので、なかなか冷静に読めないのが玉に瑕かな。これは連載時と同じ印象です。もっとパ聴連=荻大の皆の発言がバランスよく均等に、ポリフォニック(多声的)に絡み合うように進行したらいいのに、もっと心穏やかに読めるのに・・・と、どうしても思ってしまう。
そのことは連載時にも何度か柳澤氏にメールで指摘したのですが、「誰かひとり、狂言回し的な準主役が必要。事の次第を詳しく憶えているのは沼辺さんしかいない」との返答でした。当時、必ずしも主導的な立場でなかった者がしゃしゃり出て、多くを語っているという図々しさが、ちょっと「自分的に顰蹙」なのです。 

その一点を別にすれば、これはまさに画期的な読み物ですね。単に林さんと林パックのクロニクルというに留まらず、1960~70年代のTBSが醸し出す活気、局アナたちの青春群像、どん底の日本映画を復興させようという熱い機運、まだ若く無名だったセリやユーミンらの素顔など、読みどころが満載だと思います。 

連載をまとめるにあたり、皆から指摘のあった誤りを訂正し、あちこち表現や事実関係が改められています。例えば1974年のサマークリスマス当日の模様も、小生が実家でみつけた当日メモをもとに、事の成り行きが全面的に書き直された。三月初めに最終的なゲラが集英社から送られてきて、小生はそれも通読しましたが、もうほとんど指摘すべき誤りはなくなっていました。書籍化に際し、正確を期すべく誠実な努力が払われたと感じた次第です。
「林美雄とパックインミュージックの時代」について、これを超える評伝はもう二度と出ないでしょう。

最後に、これは全く個人的な印象なのですが、表紙カヴァーと表紙本体に記されたこの本の英語タイトル "Summer Christmas, 1974" に、思わずグッときてしまった。これって、あのロバート・マリガン監督の忘れがたい秀作《おもいでの夏》(ジェニファー・オニール主演)の原題 "Summer of '42" をなんだか思い出させませんか? 
われらにとって、あの1974年8月こそは「おもいでの夏」だ、という感慨が胸に溢れ、ミシェル・ルグラン作曲の主題歌が耳の底で静かに流れ始めました。
2016年5月26日は荻大ノートにとって特別な日。
「1974年のサマークリスマス〜林美雄とパックインミュージックの時代」発売日です。
352ページの単行本、版元は集英社、著者は柳澤健さん。
荻大ノートに集う仲間たちの多くが柳澤さんの取材に応じました。

取材が進むに連れて、当時知らなかった事実も次々と掘り起こされて行きました。
中でも大きなことは、かつて「荻窪大学」(荻大)というゆる〜いつながりの集団があった、
ということが単行本の活字となって紹介されることだと、個人的には思います。

荻大ノートはかつて荻大に置いてあった連絡ノートをWEB上に再現したものですが、
今回の出版を機会に、このページを訪れてくれる方もいらっしゃるかもしれません。
そして「新たな再会」や「新たな出会い」の可能性も期待できます。
私はこれを新たなスタートと捉えて行きたいと思います。

荻大ノートの原則は「公開と発信」です。
そこで「1974年のサマークリスマス」の刊行を記念して、
皆様からのお便り、読後感想文、近況報告、関連情報などを募集いたします。

レギュラー執筆者の皆様はいつも通りの方法で参加して下さい。
新規ご参加の方はコメント欄にてお便りをお寄せ下さい。
匿名でも筆名でも結構です。また非公開をご希望の方はその旨お知らせ下さい。

多くの皆様のご参加をお待ちしております。


あの311から4年が過ぎ、これまで一部を除いて再稼働をとどまって来た日本の原発。
しかし多くの反対の声にも関わらず、川内原発の再稼働が強行されてしまいました。
いくら反対してもデモに足を運んでも無駄なのか、市民運動の限界か、と悲観したくもなります。

しかしそんな中、新安保法制の憲法違反と衆院での強行採決をきっかけに、エネルギー行政も含む安倍政権への大衆の怒りが爆発しそうになっています。
きっかけとなったのはSEALDsという学生組織。大学生を中心とした彼らの「おかしいことにはキチンと声を上げよう」という訴えが、いま多くの人々を奮い立たせようとしています。

8月30日には国会前での大規模行動が予定されています。
参加出来る方は参加して、今の政権に対する抗議の声を国会に届けましょう。
詳細情報は下記のリンクでご覧下さい。
mixiの荻大コミュでも呼びかけが始まっています。

総がかり行動実行委員会HP
http://sogakari.com/?p=627

SEALDs HP
http://www.sealds.com/



執筆者の皆様へ

2013年8月27日以降、荻大ノートのサイトがスパム攻撃を受けています。
公開している記事に対して、英語や日本語で意味不明のコメントが大量に送りつけられています。現在しゅんさんと私で対応中ですが、執筆者の皆さんにも影響があるのでお知らせします。

荻大ノートでは、記事に対してコメントが寄せられた場合、執筆者と編集長と管理人にメールで「コメントが届いた」と知らせるシステムになっています。スパムコメントや嫌がらせのコメントがあった場合に、それらをチェックして非公開・削除できるようにするためです。

そのため、仮に「コメントが届いた」という「お知らせメール」の宛先(メールアドレス)を、仕事やプライベートのメールアドレスに設定している場合、大量の「お知らせメール」が執筆者に届くことになります。

ちなみにこれは、荻大ノートの問題ではなく、公開のサイトではよくあることです。
これを防ぐためには、荻大ノートに登録した執筆者の方のメールアドレスを変更する必要が出てきますが、メールアドレスの設定さえ変更すれば、大量のメールはストップさせられます。

ですので、困っている方がいらっしゃったら、私かしゅんさんにメールでお知らせ下さい。
よろしくお願いいたします。
大輔


荻大ノートでは、年末年始企画として「SAYONARA2011」と「KIBOU2012」というタイトルで皆さんからの原稿を募集しました。東日本大震災と福島原発事故に見舞われた2011年を振り返り、2012年と今後の日本を展望しようと思ったからです。

タイトルを変えたのに大した意味はありませんでした。
2011年中に届いた原稿は前者で2012年になってからの原稿は後者で・・・というくらいのつもりでした。ローマ字にしたのは「さようなら」とか「希望」だと日本語としての意味を限定しすぎるので、できるだけ皆さんが書きやすいように、ローマ字にすることでそれをぼかしたつもりでした。

でも結果は「SAYONARA」で原稿を寄せてくれた方はいましたが、「KIBOU」で原稿を寄せてくれた方はいませんでした。唯一「KIBOU」の原稿を送ってくれたこいぶーさんも、もともとは「SAYONARA」の原稿が年明けに届いたというのが実情です。つまり誰も希望を持って2012年を展望できなかったということです。これは相当深刻だな・・・というのが僕の感想です。

2012年以降を展望するキーワードはまず「脱原発」だと思います。
ですが、これがいまひとつ前に進んでいない。それが「希望」を失わせているのかもしれません。

国民はこぞって「脱原発」を望んでいるのに、電力業界と経団連などが「原発は必要だ」という主張を展開しています。5月1日現在は大飯原発の再稼働問題が当面の焦点となっていますが、これからの日本が国として脱原発で行くのか、それとも(考えたくもありませんが)原発推進で行くのか、根本の方針がどこからも提示されていないのが実情です。

誰もこれから先のことに「希望」を抱けないのは、実はこうした政府及び国民全体の「思考停止」が原因になっているのではないでしょうか?

荻大が実際に荻窪にあった1970年代、私たちはきょうよりも明日が「より面白く」になるように信じていました。「より良く」なるかどうかは分からないけれど「より面白くなる」「面白くしよう」と考えながら社会に巣立って行ったのだと思います。

それから30数年。荻大の皆さんはそれぞれの現場でひとりひとり信じる道をひたすら歩んで来たはずです。それぞれの現場で挫折感も達成感も味わってこられたと思います。そして気がついたらいま現在の日本があります。これは多かれ少なかれ我々の世代が作って来た社会です。

30数年が経ち50代後半から60代になった皆さんは、本当に今の日本に「希望」を抱けませんか?
だとしたら明日からの1日1日を何を糧に生きて行くのでしょうか?

もう一度我々の世代が「希望」について語り合えるように。
荻大ノートの存在がそうした語らいの場になれば良いと、いま思います。

2012年ももう3分の一が終わりました。
でももうしばらく「KIBOU2012」の募集を続けたいと思います。

皆様の「希望」を語って下さい。
よろしくお願いいたします。

すでに2月も半ばを過ぎましたが、「KIBOU 2012(「青春の殺人者」上映会レポ付き)」です。

皆さんの「SAYONARA 2011」を読むと「○○さんが亡くなった」とかの"引き算"の話ばかりで「あーもうみんな○○だなぁ。私の仕事相手の小学2年生なんて毎日が新しいものとの出会いの連続で、『掛け算九九を覚えた!』『逆上がりができた!』『鍵盤ハーモニカが弾けるようになった!』『町たんけんで怪獣公園に行った!』『新しい漢字を5つ覚えた!』・・・なのになぁ」と、思ったのでした。

で、自分を顧みると・・・、うーーーー。
いったい、何歳くらいでプラスの人生からマイナスの人生に転じるのでしょうか?

さて、「KIBOU 2012」の前に、一応、2011年を振り返ると・・・・。

私にとって2011年は、「3・11」の記憶と共に、moonridersの「無期限活動休止」宣言の年として記憶される年になりそうです。「東京一古いバンド」「東京一は日本一」というキャッチフレーズの下、一部には高い評価を受けてきましたが、一般の方々にはほとんど受けなかったバンドでした。

moonridersはこれまでも実質的に活動休止状態のときがしばしばありましたし、最近でもメンバーそれぞれはソロでの活動がメインで、moonridersの仕事は年に一度という感じだったのでした。
それなので、今回の活動休止宣言も「何を今さら」という戸惑いをほとんどのファンは感じたはずです。
バンドの中心人物である鈴木慶一氏はかつて「誰か一人でも欠けたら解散する」と言っていたので、「誰かが亡くならない限り解散はしない」とばかり思っていたのでした。(まあ、今回は解散じゃないけど・・・)

実は、私は大学生のときにそのmoonridersのコピーバンドをしていたのでした。役割はボーカル。鈴木慶一役です。私はコピーバンドを作るくらいmoonridersが大好きだったので、活動休止直前のホール・コンサートである中野サンプラザでは演奏を聴きながら、いろいろなことが脳裏に浮かんできました。
その中には荻大のみなさんと一緒に聴いたハイドパーク・フェス(大雨でサンダルが流されて行方不明に・・・!)のこともありました。また、都内各所のホール・コンサート、小岩井農場でのライブ、フジロックでの客の少なかった(笑)ライブ、新宿ロフト、今は無き日清パワステ・・・・・・・・。

一応「活動休止」なんだけど、ファンの多くは「解散」と感じています。
サンプラザではmoonridaersの文字の入った赤い風船が天井から降るというこれまでに無い演出があったり、12月30日のタワレコ新宿店での屋上ライブ(当然、これはビートルズ最後のライブとなったルーフトップ・コンサートを意識したもの)をしたり、翌、31日の高円寺HIGHでのファンクラブ会員向けの無料ライブをしたり・・・と終焉感を出しまくりの2011年末だったのでした。
おまけに、「ミュージック・マガジン」の2012年2月号の表紙はmoonridersなんだけど、それに添えられている文字が「特集 さよならムーンライダーズ」・・・。
「さよなら」は使っちゃダメでしょ・・・。

活動休止の理由は一切明らかにされていないんだけど、ちょっと気になったのが2012年1月に新宿ロフトで行われた「さるはげロックフェス」に出演した鈴木慶一氏の歌。最後に「君はガンなのだ」(「The Lost SUZUKI Tapes」に収録)を歌ったんだけど、その最後の最後、歌詞を替えて「俺はガンなのだ」と歌ったのでした。
もしかして、これが活動休止の理由なのかな??????????????????


そんな2011年、出会いもありました。
それは荻大ののりさんも関わっている「5時からシネマ」で長谷川和彦監督(ゴジ)と原田美枝子さん♡にお会いできたこと。
新百合映画祭の脇道企画として始まった「5時からシネマ」ですが、その第1回上映作品が「青春の殺人者」。「『5時』だから『ゴジ』にしよう」というすばらしい発案で選ばれたのがゴジの第1回監督作品の「青春の殺人者」(キネ旬ベストテンで第1位)。
私はこの映画は大好きで、当時、キネ旬にシナリオが載ったのも読んだりしていたのでした。(DVDも持ってる!)

荻大のみなさんが裏で大活躍して成功させたのが「歌う銀幕スター 夢の狂宴」(1975年)で、その舞台演出を手掛けたのがゴジ監督。当時、田舎の高校生だった私は映画を大量に見られる環境に居なかったためその企画には近づかず、群馬でひっそりと暮らしていました。なので、私はみなさんと違って、当時、ゴジ監督と出会ってはいなかったのでした。
(そんな私が「夢の狂宴」のちらしを見たのが林美雄さんのこともしばしば記事にしていたミニコミ誌「ぱっくにゅうす」の表紙!でした。そのミニコミを発行していた田中孝司さんも一昨年にお亡くなりになりました。合掌)


2011年11月19日、川崎市アートセンターに到着。荻大の大輔さんと合流。のりさんとも挨拶。

久しぶりにスクリーンで見た「青春の殺人者」。やはり集中できる映画でした。
上映後、トークゲストとしてスクリーン前に登場したゴジ監督と原田美枝子さんのお話はとても興味深いものでした。印象に残ったのはゴジ監督の緻密さ。これまで私がゴジ監督に対して持っていた印象は、「つねに酔っ払っていて、何に対しても『ガハハ』と笑い飛ばして豪快に処理?してしまう」というものだったのですが、実はそうではありませんでした。

「青春の殺人者」を撮影するにあたっての事前の準備はかなりのものでした。映画の原作のモデルとなった親殺し事件のあった千葉県市原市には8カ月間も通ったとか、その裁判も傍聴したとか・・・。
でも、撮影そのものはやはり豪快でした。映画の中で店を燃やすシーンがあるのですが、これが無届け! 他にも、自動車の検問シーンで自動車の大渋滞シーンが写っているのですが、その渋滞はその検問シーンの撮影で実際に起こってしまった(起こしてしまった)渋滞だったのだとか!

その後、「5時からシネマ」スタッフ設営による「おでん交流会」が開かれ、ゴジ監督と原田美枝子さんとお話しすることができました(原田さんのサインももらった!!)。原田さんは私と同年齢なのですが、いい感じに歳を重ねている感じで、とっても上品な雰囲気を持っていました。

当日は「撮影禁止」ということで写真は撮れなかったのですが、スタッフがお二人の記念写真を撮っていました。そのときにカメラに写った原田美枝子さんは、「青春の殺人者」撮影当時の高校生に戻ったかのような明るくてすてきな笑顔でした。周りにいたみんながカメラのモニター画面を見て「とっても素敵」とか口々に言ってましたが、ゴジ監督と一緒だったからこその笑顔だったに違いありません。

会場に「青春の殺人者」のポスターの色違いの2枚がスタッフによって用意されていたのですが、それを前にして原田さんが教えてくれたのは、2枚のポスターで原田美枝子さんと水谷豊氏の名前の印刷順が逆になっていたこと。周りにいた一同「おう!」とどよめきました。
その2色刷りのポスターを前にして、「こんな安上がりのポスターは他に無いよ!」と豪快に笑ったのはゴジ監督。

ゴジ監督はその「おでん交流会」の後、話の尽きない映画業界志願者の若者とかたくさんの人を引き連れて近くの店になだれ込んだようです。その中には大輔さんもいました。大輔さんは酔っ払って何を話したか覚えてないようですが、「おでん交流会」で原田美枝子さんに名刺を渡してナレーション仕事の可能性を伺ったのは覚えてますよねぇ・・・?

 

ところで、2011年の年末。私は沖縄県庁に3日間詰めて、辺野古の環境影響調査書の提出阻止のための座り込みに参加していました。「沖縄県庁での行動」で、すぐに思い浮かぶのが教公二法阻止のための立法院の包囲行動。今回の座り込み者の中にもその関係者がいて、「当時はデモ隊の周りには高校生がいて、『先生がんばれ!』と言っていた」というようなことを話す人もいました。
今回の座り込みは当時の人数から見るとごく少ない人数でしたが、その奥には沖縄県民大多数の応援があったのは容易に感じられました。日米政府の悪行に対し身体を張って抵抗するという沖縄の運動はすばらしいです。が、沖縄県民にこのようなこと何十年も続けさせる日米政府に対しては怒りでいっぱいです。


そんな2011年が終わり、2012年。
私は異動の年で、4月に職場が変わる予定です。群馬県教委の方針で、教員は8年間同じ学校に勤務すると異動させられるのでした。やっぱり異動は一大行事。おまけに、私の場合は異動するたびに、児童用の机・椅子のサイズの大改革と、持久走大会の大改革をしてるので、それもけっこうたいへんなのでした。

そして、今年は労働組合の中の超多忙な役職に復帰します。今回はややのんびりやって睡眠時間を確保できるような組合活動を目指したいと思っています。

ということで、職場も組合仕事も変わるので、この1年間はかなりたいへんな年になるのは確実です。でも、やっぱりライブハウスにはどんどん通って、今年もすばらしい音楽にたくさん出会いたいと思います。

終わり

キボウ2012は書けそうにないので、遅ればせながらサヨウナラ2011を。

私にとって2011年は、福島原発事故の年でした。フクシマにはじまりフクシマに終わったというかんじです。
そして年越し。なんとも憂うつというか、晴れない気分で、絶望的という言葉も浮かんでしまい、内向きになるばかり。

原発事故のことはいろいろにあるのだけれど、こんな気分になる最大の問題は、いまも福島に人が住みつづけていることです。
原発事故の被害を小さく見せたい、「収束」を語りたい政府は、福島の人たちを逃がそうとはしないし、一方には、逃げようとしない(その事情は想像できるにせよ)ここにいつづけると頑張ってしまう人々がいる。放射能といくらたたかっても、勝つことはできないのに‥‥。

チェルノブイリ原発事故のときに反原発運動をにない、その後チェルノブイリ周辺で起こったことを知り、あるいはそれ以前にも核実験が行われたマーシャル諸島で、死の灰=放射能をあびた人々に起こったことを見てきたものとしては、このままでは福島もまた、マーシャル諸島やチェルノブイリと同じ運命をたどることになると思わざるをえないのです。

放射能は目には見えないし、感じることもできない。そうとう高いレベルでないと身体の異常は感じない。だからそこにいても暮らせると思ってしまうのだけれど、5年、10年たったときにはその正体をあらわす。
福島でも、まず子どもたちのあいだで甲状腺の異常やガンが(チェルノブイリでは4年後から)、それにつづいて様々な病気やガンが、目に見える人数であらわれることになります。でもそのときにはもう手遅れ、時計の針をもどすことはできない。そして政府は、その病気は放射能が原因かどうかはわからないと言うのです。
(先日見たテレビ朝日系列のドキュメンタリーでは、原爆投下のあとで広島に入って甲状腺腫瘍をわずらった甲斐昭さんという人に対して、政府はやっと原爆症の認定をしたものの放射線の影響については否定しつづけていることを伝えていました)
歳をとった人はいいとしても、子どもや若い人はほんとにやばいと思う。いま逃がせるかどうかが、5年後、10年後の運命を決めてしまうのです。

それなのに政府は「避難」ではなく「除染」を語っているし、さらには原発を再開しようとしていて、ベトナムへの原発輸出まで決めてしまった。
そしてこれほどのことが起こっても、「この経験を生かして安全な原発を」と語る人々がいて、原発がないと困るというたくさんの人々がいる。

もう、なんかなあ、いやになってしまう。

そして年の瀬も迫ってもうひとつ、八ッ場ダムの再開の発表がありました。
大震災と原発事故でお金がかかるのははっきりしていて、一方で増税を語っているのに、なくてもいいダムに金をつぎ込むというのだから、いったい何を考えているのか。まっとうにものを考える人はいないのだろうかと思ってしまう。

怒るというよりあきれはててしまって、なんとも晴れない気分の年越しになってしまったという次第。

荒川俊児
映像ドキュメント.com(http://www.eizoudocument.com/)

別記:ちょっと前に腎臓に結石が見つかってしまい、2週間前に破砕術なる治療を受けてきました。まわりからはあれは痛いとか脅されたのですが、実際の治療は痛みもなく、1泊2日で帰ってきました。
石が出るときに痛いという話もあったけど、いまのところ問題なく。ただ風邪気味だったりしてぐだぐだしてたら、いつのまにか年を越してしまったというかんじです。身体にがたがくる年頃のようで‥。

荻大ノート、2年目がスタートしました。
皆様、2012年もどうぞよろしくお願いいたします。

ちなみに12月から1月にかけては、ノンストップで更新し続けることにしました。
そしてきょうから「SAYONARA 2011」に引き続いて、正月企画として、
「KIBOU 2012」の原稿を募集いたします。

大晦日から元旦へ。日本人は上手に気持ちを切り替える文化を持っています。
良い、悪いは別にして、その切り替えの早さは他国に例を見ないほど見事なものです。

もちろん去年のことを忘れるわけには行きません。さすがの日本人もそれほどお人よしではないでしょう。ただ、我々は去年起こった災害と人災から何を学び、今年どうやってそれを「希望」に変えて行けば良いのか、この際「気持ちを切り替えて」考えてみたいと思うのです。

精神論でも組織論でも結構です。具体的な行動でも決意表明だけでも結構です。
こう思ったからこうして行きたい、とか、こういうことが分かったから今年はこうして行こう、とか・・・。 
2011年を語り2012年を展望するために、ぜひ皆様からのご意見を募集したいと思います。

「SAYONARA 2011」への投稿が間に合わなかった方も、すでに投稿していただいた方も、どうぞまた新たな気持ちで原稿を送ってください。

どうぞよろしくお願いいたします。


SAYONARA 2011に投稿を頂きありがとうございました。
皆様の原稿を拝読しながら、今年多くの人が味わったであろう「喪失感」が、今の日本全体を覆っているのだな、と感じました。

個人的には3月に義父をがんで失いました。

その葬儀の日の朝(日本時間の午後)東日本大震災が発生。
戦後最大の惨事となり多くの命が失われてしまいました。

福島第一原発の事故では、日本の科学技術への信頼、
政府・民主党への信頼、
正しい放射線被害について伝えないマスメディアへの信頼が失われました。

毎日食べるコメや肉や魚や野菜への信頼も失われました。
呼吸する空気や水道の水まで、
原発だけでなくあらゆるものの安全神話が失われてしまいました。

誰もが苦労して手に入れた土地や家屋でさえ、
放射能汚染によってその資産価値が失われつつあります。

円高で日本企業の貿易収入や個人の外貨預金も資産価値が失われました。
不況で多くの人の仕事が失われました。
生き残りのための生存競争の中で仁義や友情までも失われてしまいました。

子どもたちの将来の夢や、明るい未来への夢も失われてしまったように感じます。

高田純さん、原田芳雄さん・・・縁のあった方々をも失いました。

いま2011年にSAYONARAするにあたって、じっと両手を見ながら考えると、
すくい取った浜辺の砂がさらさらとこぼれ落ちていくように、
なにもかもが失われていくような「喪失感」を感じざるを得ません。

でも、たとえ2011年にSAYONARAしても、人生と家族と仲間たちにSAYONARAするわけではありません。あらゆるものを失っても大切な人たちとの絆は失われなかったはず。困難な状況の中で新しく知り合った友人や、新しく獲得した知恵や力もあるはずです。

明日からもそれぞれの人生が続きます。
2012年が皆様にとって「希望」の年になるように願って、僕からのSAYONARA 2011といたします。

なお、原稿は引き続き募集いたします。
ただ、明日からは再生への希望をこめて、新企画「KIBOU 2012」を始めたいと思います。

鎮魂から再生へ。
2年目を迎える荻大ノートで「新年の抱負」を語り合いたいと思います。
どうぞ皆様の原稿をお寄せください。
今年は3月の震災無しには語れないと思います。
遠い昔の思い出と今年の震災とのつながりを一つ書きます。

大学の付属高校に通っていたのに志望が変わってT農大を受験しました。
その受験会場でほんの10分くらいだったと思いますが、
緊張しながら受けていた試験の休憩時間に話をした男性とのエピソードです。

隣に座っていた色白の彼は、イタズラで優しそうな目をして
「僕は、ローリングストーンズと縁があるんです」と話しかけてきました。
当時私はストーンズが大好きだったので「は?」と興味をひかれました。
なんでこの人がストーンズ???

そうすると「僕は、ローリングストーンから来たんですよ」というのです。
ますます「はぁ?」と怪訝に聞き返しました。
すると彼は「ははは、石巻って知ってますか?」(笑)と言うのです。

正直、石巻ってどこだ?
と、東北・・・(;´▽`A``という感じでした。

彼は、胸を張って「石巻、ローリング、ストーンです」
とちょっと訛りながら言いました。
私は、思わず「あー・・・」と微笑みました。

ぜんぜんこの人とストーンズとつながらない!!!
とちょっとした心の拒絶感も持ちつつ、素朴で変な人だな~なんて思いました。

確か音楽の話をして休憩時間を過ごし
「合格したらまた会えるかな・・・」と笑いながら話を終えました。
結果は、私は受験に失敗・・・(^^ゞ
二度とローリングストーンの彼とは会うことはありませんでした。

今年の震災で、大きな被害を受けた石巻。
その映像を見ながら、ローリングストーンの彼を思い出しました。
人の良さそうな彼は、どうしているかな・・・。
元気でいてくれればいいな・・・と心の中で祈りました。

今年は、多くの方が亡くなり、傷つきました。
心が痛む出来事の中でふと心に浮かんだ思い出。
一期一会の意味が少しわかった気がしました。

どんな瞬間も思い出につながる道になる。
復興もその瞬間の積み重ね。

友人と共にヨガとアーユルヴェーダのチャリティクラスを
2ヶ月に一度行なってきましたので、
来年も継続して行なっていきます。

あっこ

まだまだ師走の慌ただしさは続くのだけど、小生なりの「SAYONARA 2011」を。

*****

久しぶりに再会して、その人がいかに大切な存在かを知る。しかもそのすぐあとに永遠の別れが待ち構えているとは、なんという残酷な人生のさだめだろう。

高田純さんとの再会と惜別がまさにそうだ。三十五年ぶりにお目にかかり、幾多の修羅場を経たであろう果ての穏やかな笑顔に魅せられた。「銀幕」当 時の思い出を懐かしく語り合うとともに、「もう一花咲かせる」と意気軒昂な胸中も覗かせた。その純さんがあんなに早く亡くなられるなんて...。

原田芳雄さんには昨年九月、銀座シネパトスの特集上映の折に再会、トーク・ショーを拝聴した。席はかなり離れていたのだが、抽籤で直筆サイン入り写真 (『赤い鳥逃げた?』スチル!)が当たり、ご本人からじかに手渡された。病気と聞いてはいたが、全然そうは見えず、往時と変わらぬオーラに立ち眩みした。 その原田兄ィがもういないなんて...。

そしてケン・ラッセル。高校二年のときBBCのTV映画『夏の歌』で凄い衝撃を受けた。あの体験があったから今の自分がある。1987年の来日時 に図々しくサインを頂戴した。来年一月、ロンドンでのトーク・ショーを聴くのを心待ちにしていた矢先の死。言葉を失う。もう一度「ありがとう」と云いた かった...。

自分自身が来年はもう還暦だ。頼もしい人生の先輩たちに先立たれるのも理の当然、致し方ないこと──おのれにそう言い聞かせつつ、それでも彼らの死は耐えがたいほどに不条理だ。
ねえ、みんな、先に死ぬな、どうか生きていておくれ。

<今年最後のメッセージ>

今年2011年という年は、私にとって3人の大切な人物が亡くなったことで忘れられない年となった。

一人目は高校の同級生M。高校を卒業してから40年近く、月に1度は会って居酒屋で何でも腹蔵無く話し合える友人だった。もちろんお互いの転勤や海外勤務などで会えないこともあったが、もしかすると妻よりも私のことを知る存在だった。

二人目は高田純さん。「歌う銀幕スター夢の狂宴」で出会いその後35年間お会いすることもなかったが、1年半ほど前に再会してから、MIXIの日記で頻繁にコメントを交換し、非常に親しく付き合っていただいた。文字どおり私の兄貴分だった。

三人目は原田芳雄さん。今年林美雄さんのお宅で「歌う銀幕スター夢の狂宴」の映像を発掘し、DVDに焼き直したが、そのなかで「プカプカ」を歌う 原田さんの姿は本当に格好良かった。今年のしんゆり映画祭のゲストトークで石橋蓮司さんが「人が死ぬということは、その人間と共有していた言葉の世界が失 われるということだ」と発言していたが同感だ。

さて、荻大メンバーも還暦近くなってきたが、まだ幸いお互いの葬式に出ることなく済んでいる。とにかく、「生きてるうちが花なのよ死んだらそれま でよ党宣言」ということで、しぶとく生きていきましょう。私も飲酒をできるだけ控えるようになりました。といっても飲むのはやめませんけれどね。

それでは、よいお年を!


今年は荻大ノートがスタートした記念すべき年でした。

でも3.11があって楽しい気分も吹っ飛んでしまいました。
その後の対策や原発政策など政府の対応と国民の意識が一致しているようには見えません。
課題は山積しています。

一方、我々と同時代を生きた多くの人々が、今年次々と亡くなりました。
一体どれくらいの方々が亡くなったのか、少しだけ振り返ってみます。

1月 横澤彪、細川俊之、喜味こいし、ジョン・バリー・・・
2月 庄司薫、マリア・シュナイダー、永田洋子、ゲイリー・ムーア・・・
3月 エリザベス・テーラー、坂上二郎、3.11で亡くなった多くの人々・・・
4月 シドニー・ルメット、高田純、田中好子、
大賀典雄・・・
5月 オサマ・ビン・ラディン、団鬼六、岡田茂、児玉清、長門裕之・・・
6月 ピーター・フォーク、柴田泰弘・・・
7月 オットー・フォン・ハプスブルク、原田芳雄、中村とうよう、エイミー・ワインハウス、小松左京・・・
8月 松田直樹、前田武彦、ジョー山中、日吉ミミ、二葉あき子、竹脇無我、滝口順平・・・
9月 辺見じゅん、アキコ・カンダ・・・
10月 バート・ヤンシュ、スティーブ・ジョブス、柳ジョージ、斉藤憐、カダフィ、北杜夫・・・
11月 石堂
淑朗、西岡武夫、ジョー・フレージャー、立川談志、ケン・ラッセル・・・
(敬称略)

こうしてあらためて見ると「ああ、あの人も亡くなったのか・・・」と気づかされます。

この1年は、荻大の仲間たちにとってはどんな1年だったでしょうか?
荻大ノートがスタートして最初の1年が過ぎようとしている今、
みなさんから年末のメッセージを募集したいと思います。

この1年の思い出、考えたこと、来年への決意、亡くなった方への追悼文・・・形式は問いません。
なんでも自由に「荻大ノート」につづってみて下さい。

原稿を(mixiメッセージやFacebookメッセージやメールで)頂ければ、こちらでアップします。
みなさまの投稿をお待ちしています。
大輔
皆様

あれもこれもに二つ投稿します!

まず、明日はヒロミさん30年ぶりの舞台です。
目撃するチャンスは一回だけ。どうぞお見逃しなきように・・・

横須賀市民劇場プロジェクト 第3回公演
我が師・我が街(作:別役実 演出:羽賀義博)
日時:2011年10月8日(土)14:30開場、15:00開演
会場:横須賀市文化会館大ホール
入場料:前売・当日とも一般2000円、高校生以下500円
横須賀市民劇場



次に明日からのりさんが参加しているしんゆり映画祭が始まります。
注目はのりさんが担当する山崎ハコさんのトークです。
こちらは16日、お見逃しなきように・・・
 
 『ヘブンズ ストーリー』上映
ゲスト:瀬々敬久監督、山崎ハコさん
(トーク時間40分)
日時:2011年10月16日(日)14:20~ (上映時間4時間38分 途中休憩あり)
場所:川崎市アートセンター映像館(113席)  (小田急線新百合ヶ丘駅北口徒歩3分)
料金:前売1800円当日2000円(前売は川崎市アートセンター、チケットぴあ等で販売)
KAWASAKI しんゆり映画祭

横須賀のヒロミさんから案内が届いたのでご紹介します。

残暑お見舞い申しあげます
荻大のサイト、見てますよ。知り合いにも何人か知らせまして、面白く(!?)見ているようです。

ところで、こんどは私が舞台に立ってしまう。しかも。1500人の大ホールで‥‥
舞台なんて学生時代より30年ぶり。あと1カ月で台詞入るのか!?
しかも本番2週間後は園の一大イベント「運動会!」
まあ60前の冒険ですね。

ご都合よろしかったら。よろしくお願いします。私に連絡で1800円になります。
サクマヒロミ

横須賀市民劇場プロジェクト第3回公演 2011.10.4
横須賀市民劇場プロジェクト 第3回公演
我が師・我が街(作:別役実 演出:羽賀義博)

ここは確かに美しい重要な場所です...... 。
グローバーズ・コナーズの墓地で、それは丘の上にあります...... 。
風そよぐ丘...... 。有り余る空...... 。
はれた午後ここへ上がってくると、幾重にも重なった丘の頂き見えます。...... 。
それから、あそこに...... 、
(別役実『我が師・我が街』第三場より)

日時:2011年10月8日(土)14:30開場、15:00開演
会場:横須賀市文化会館大ホール
入場料:前売・当日とも一般2000円、高校生以下500円

詳しくは⇒横須賀市民劇場プロジェクト(http://横須賀市民劇場.com/show.html)
カムラさんからギグのお知らせが届きました。

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みなさま、いかがおすごしですか?
7月18日(月)にコンサートをいたします。
前回、ゆんたく高江のギグがきっかけでできた、
I AM A KAMURA のユニットでもういちどコンサートを開きます。
弾き語りのKANABOONもいっしょです。
震災、福島とで日本は戦争下にあります。
音楽の力 を信じてこの難局を生き延びようと思います。


KANABOON(Vo, Guitar)

I AM A KAMURA

カムラ(Vo, Key),mori-shige(Cello),大熊亘(clarinet, from CICALA MVTA)


西荻CLOPCLOP

03-5370-2381

http://www.clopclop.jp/

 2000+オーダー オープン1900 スタート2000 

三浦規成です。

林文子さん(故林美雄氏夫人)からお借りした「歌う銀幕スター夢の狂宴」のDVD化が終了しました。お借りしたVHSには前半第1部(約1時間)しか録画されていなかったのでその部分だけのDVDですが、7月後半か8月に上映会を開きたいと思っています。

場所は植草さんご推薦の「都市小屋 集」(港区西新橋2-13-6ミタニビル3階 tel.03-3504-2387)というところを考えています。 飲食費、上映機材含め一人3000円くらいだそうです。皆さまのご予定をお知らせください。できれば「MIXI」の「荻大」コミュニティーに書き込んでください。よろしくお願い致します。

(追記)

植草さんとメールのやりとりをしていますが、植草さんは、まず自分たちの仲間で8月に上映会を開く予定で、そこに我々「荻大」が参加することも可能だそうですが、 「荻大」の上映会も開きたいと思っています。「都市小屋 集」を使うこともできますし、DVD再生なので誰かの家で見ることも可能です。