KIBOU 2012 (2) 大輔です

荻大ノートでは、年末年始企画として「SAYONARA2011」と「KIBOU2012」というタイトルで皆さんからの原稿を募集しました。東日本大震災と福島原発事故に見舞われた2011年を振り返り、2012年と今後の日本を展望しようと思ったからです。

タイトルを変えたのに大した意味はありませんでした。
2011年中に届いた原稿は前者で2012年になってからの原稿は後者で・・・というくらいのつもりでした。ローマ字にしたのは「さようなら」とか「希望」だと日本語としての意味を限定しすぎるので、できるだけ皆さんが書きやすいように、ローマ字にすることでそれをぼかしたつもりでした。

でも結果は「SAYONARA」で原稿を寄せてくれた方はいましたが、「KIBOU」で原稿を寄せてくれた方はいませんでした。唯一「KIBOU」の原稿を送ってくれたこいぶーさんも、もともとは「SAYONARA」の原稿が年明けに届いたというのが実情です。つまり誰も希望を持って2012年を展望できなかったということです。これは相当深刻だな・・・というのが僕の感想です。

2012年以降を展望するキーワードはまず「脱原発」だと思います。
ですが、これがいまひとつ前に進んでいない。それが「希望」を失わせているのかもしれません。

国民はこぞって「脱原発」を望んでいるのに、電力業界と経団連などが「原発は必要だ」という主張を展開しています。5月1日現在は大飯原発の再稼働問題が当面の焦点となっていますが、これからの日本が国として脱原発で行くのか、それとも(考えたくもありませんが)原発推進で行くのか、根本の方針がどこからも提示されていないのが実情です。

誰もこれから先のことに「希望」を抱けないのは、実はこうした政府及び国民全体の「思考停止」が原因になっているのではないでしょうか?

荻大が実際に荻窪にあった1970年代、私たちはきょうよりも明日が「より面白く」になるように信じていました。「より良く」なるかどうかは分からないけれど「より面白くなる」「面白くしよう」と考えながら社会に巣立って行ったのだと思います。

それから30数年。荻大の皆さんはそれぞれの現場でひとりひとり信じる道をひたすら歩んで来たはずです。それぞれの現場で挫折感も達成感も味わってこられたと思います。そして気がついたらいま現在の日本があります。これは多かれ少なかれ我々の世代が作って来た社会です。

30数年が経ち50代後半から60代になった皆さんは、本当に今の日本に「希望」を抱けませんか?
だとしたら明日からの1日1日を何を糧に生きて行くのでしょうか?

もう一度我々の世代が「希望」について語り合えるように。
荻大ノートの存在がそうした語らいの場になれば良いと、いま思います。

2012年ももう3分の一が終わりました。
でももうしばらく「KIBOU2012」の募集を続けたいと思います。

皆様の「希望」を語って下さい。
よろしくお願いいたします。

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