映画に魅せられた人々 第3回 倉岡明子さん

倉岡明子さんは、かつて30年以上前アテネフランセ文化センターで各種事業を"大車輪"で主宰されていた女性だ。彼女の一番の功績は、上映会の企画上映を行うだけでなく、現在の映画美学校の"さきがけ"となる「映画技術美学講座」を、現場のトップクラスの人材を引っ張ってきて開講したことだ。映画監督からは寺山修司、土本典昭、金井勝、カメラマンからは大津幸四郎、編集マンからは浦岡敬一などを講師としてアテネフランセに連れてきて、実習講座を開くだけでなく、新宿ゴールデン街にまで連れていき、講習生の人生相談にまで付き合わせていた。

私も講習生の一人として初等科のクラスに、1年間通っていたが、その推進力は倉岡さんの情熱だった。彼女はそれに飽きたらず、講座の卒業制作の『東京クロム砂漠』に自らかかわり、その後「アテネフランセ文化センター解体宣言」という文章を残して"アテネ"を去り、『六ヶ所人間記』、『夏休みの宿題は終わらない』など核燃料サイクル立地や核廃棄物をテーマにした映画制作に突入していった。

ポレポレ東中野で見た『六ヶ所人間記』の画面のなかで、倉岡さんはあるときは吹雪のなかで、またあるときは汗まみれになって地元のお年寄りにインタビューしていた。「大変な苦労をされたんだな」と頭が下がった。フランス語も話せたから都会で"格好よく"生きていけたかもしれないのに、やはり「映画に魅せられてしまった」んだろうなと、画面のなかでどんどん「肝っ玉母さん」に変貌していく倉岡さんを見ながら思った。

彼女はとにかく"格好いい"女性だった。美女でスタイルがよく、いつもアテネフランセ文化センターの事務局で、自分の企画を邪魔する相手と戦っていた。フランス大使館経済部で働いていた彼女はフランス語にも堪能で、来日したフランス映画人と流暢なフランス語で会話していた。そんな彼女は講習生の憧れの的だった。彼女は「映画技術美学講座」の男性スタッフの一人だった山邨伸貴さんとその後結婚した。

6年ほど前、「川崎市アートセンター」の指定管理者を目指していた私は、彼女に手を貸してもらえないかと、八方手を尽くして彼女を捜した。最終的に連絡先がわかり、メールのやりとりをすることができたが、彼女は色々な意味で疲れていて手を貸してもらえる状況でないことがわかった。

今年3月ポレポレ東中野の「チェルノブイリ25年特集上映」のビラを見ていたときビラの文字に思わず目がとまった。『六ヶ所人間記』と『夏休みの宿題は終わらない』のトークゲストに『倉岡明子』の文字があったのだ。必ず行かなければならないと思った。
『六ヶ所人間記』のゲストには欠席されたが、『夏休みの宿題は終わらない』にゲストとして現れた倉岡さんは60歳を過ぎられているはずだったが、35年以上前の倉岡さんとまったく変わらなかった。原発について厳しく怒り、これからも戦っていくと宣言された。
ある意味、川崎市アートセンターに誘わなくてよかったと思った。彼女は日本における「反原発」の運動のなかで大切な存在になっていくだろう。ポレポレ東中野の玄関先で「頑張ってください」と挨拶して「反原発」をこれからの人生語り続けるだろう倉岡さんに別れを告げた。

(三浦規成)

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