東日本大震災と福島原発事故について(1)

戦後最大の惨事

2011年3月11日に日本を襲った東北関東大震災。それは10メートルを超える津波を伴って瞬時に2万人近い犠牲者を出しただけでなく、福島原発事故という恐るべき副産物を生み出して現在(3月19日)も進行中だ。

福島原発は1971年に営業運転を開始。その後1979年に6号機の営業運転が開始されるまで、着々と原子炉を増設していった。ちょうど荻大の仲間が出会った頃には2号機の営業運転が始まっていた。70年代は原発が次々と建設されることに地域住民の不安が増大し、我々の前にも公害問題の延長線上に生じた新たな社会問題として「原発」が横たわっていた。

30年以上たった今、我々はこの戦後最大の惨事を前に何を語り発信できるだろうか?

荻大メンバーとの対話の中から探っていこうと思う。

大輔の場合

まず自分のことから始める。地震が起きた時、僕はオーストリアのアルプスのふもとにいた。発生が日本時間3月11日の14時46分。8時間の時差があるオーストリアではまだ朝の7時前だった。その日は2日に亡くなった義父の葬儀の日だった。8時頃起きてネットで朝日新聞をチェックした。その時に宮城県沖を震源とするマグニチュード8.8の大きな地震があったことだけ知った。

10時過ぎ義父の家に親戚が集まり始めた。皆すでに地震のニュースを知っていた。口々に「日本で大地震があった」「君の両親は大丈夫か?」と声をかけてくれる。東北の地震なので横浜に住む両親に影響があるはずは無いと思っていたが、心配になって電話をしてみた。電話の向こうからのんびりした調子の母親の声が聞こえた。何も被害はないということだった。だがこの頃には7メートルから10メートルの津波が東北地方を襲ったという報道が少しずつ伝わってきた。

13時から葬儀が始まり、付近のレストランで親戚や友人一同と食事をしたが、そこでも僕と挨拶する人は口々に「日本の地震は大変なことだ」「君の家族は無事か?」と声をかけてもらうことになった。オーストリア人の関心の高さを感じた。僕は声をかけてくれる皆さんに、被災地は日本の北部なので東京に近い横浜に住む自分の両親は無事だった、と説明した。その時は横浜の両親に避難を勧めることになるとは思ってもみなかった。

津波の脅威と原発事故の恐怖

翌朝届けられた新聞は一面トップで日本の津波による大惨事を伝えていた。テレビのニュースでも映像が出始めていた。僕はUstreamでNHKをはじめとする民放各局の特別番組を見始めた。繰り返し流される津波の空からの映像に息を呑んだ。田園地帯が飲み込まれていく様子が映し出されていた。ヨーロッパでの報道はまず大津波の恐ろしさ、そのメカニズム、そして次に原発問題に絞られていった。

オーストリアはすでに原発を捨てた国だ。だがチェコが国境付近に旧式の原発を稼動させているので、原発事故には非常に神経質になっている。お隣のドイツは原発推進国だったが、政権交代後原発を廃止する路線をとってきた。それがここ数年の地球温暖化でもう一度原発を見直す機運が出てきているところだった。それだけに両国のテレビニュースは日本からの中継を交えながら原発事故の状況を詳しく伝えようとしていた。

週明けの新聞は一面トップが津波の爪あとのすさまじさ、2、3面の見開きは原発問題で埋め尽くされていた。立体的な原子炉のCG画像に詳しい解説が付け加えられていた。最大の関心は、これがチェルノブイリのような汚染を世界中にもたらすかどうかだった。ヨーロッパ人は1986年のチェルノブイリ事故を忘れたことがない。あの時まき散らされた放射性物質は半径300キロを汚染し、ヨーロッパ各国はおろか日本にまで到達した。それが気流に乗って数日でやってくることを彼らは良く知っている。

オーストリア人のカミさんは「私が東京にいたら娘を連れて沖縄に逃げる」と言った。そういえばかつて東海村の臨界事故のときに関西にいたヨーロッパの体操チームがあわてて帰国したことがあった。300キロから500キロの距離ならば、風向き次第で数日で放射性物質が流れてくることがわかっていたからだ。今回、日本政府は福島原発から半径20キロを避難対象とした。だが、仮にチェルノブイリのような事態になれば、原発から250キロほどの横浜に住んでいる僕の両親や姉夫婦にも放射能汚染の危険が生じる。もちろん東京にいる同僚や友人たちにもだ。

不思議の国ニッポン

僕はまず両親と姉夫婦に避難を勧めた。しかし皆まじめに話は聞くものの、いざ避難となると現実的に考えられないようだった。何人かの友人も同じだった。その背景には「冷静な行動」を呼びかける日本政府とNHKや民放各局の論調が影響しているようだ。一方ドイツやオーストリアの外交関係者らはすでに15日には東京を発っている。フランスは自国民に(東京ではなく)日本から出国するように呼びかけてエールフランス便を増発させていた。

日本に住み財産を有する日本人が、おいそれと避難できないのは理解できる。だが僕にも理解しにくいのは、日本政府や保安院や東京電力の人々が妙に落ち着いていて危機感が見られないことだ。一方で菅直人は「最悪の事態では東日本がつぶれる」とまで言い切っている。それなのに首都圏の住民を避難させない。その自信、確信はどこから来るのだろうか?アメリカやヨーロッパの各国が日本政府と日本人を不思議な存在としてみているのは、その根拠のない自信のようなものが理解できないからだと思う。

なんとかなるさ。まさかそんなひどいことにはなるまい。きっと放水がうまく行くよ。きっと電気が来てまた冷却システムが復帰するさ。そうすればラッキー!・・・などといったような期待感がいま日本を包んでいるようだ。それは果たして現実となるのだろうか。

後は祈るだけ

昨日18日はUstreamで原子力資料情報室の記者レクをライブで見た。原子炉の設計者である後藤政志氏と田中三彦氏が、今何が起きているかについて説明してくれた。とてもわかりやすかった。

1号機と3号機では圧力容器に破損が生じている可能性があり、冷却できなければいずれメルトダウンが始まる。2号機では下部の圧力抑制室に破損が生じているので、海水を注入しても抜けてしまい、こちらもいずれメルトダウンが始まる。いずれも冷却システムが復帰しない限り最悪の事態が避けられないという見通しだった。4号機の使用済み燃料はかなりの量になることもわかってきた。

この原発問題、今日からの3連休が山だという。後は祈るばかりだ。

(大輔)

 

 

 

 

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