俳優 原田芳雄さん

俳優の原田芳雄さんが7月19日に亡くなった。高田純さんに続いて旅立たれてしまった。71歳。役者としてまだこれからが楽しみだったのに残念だ。荻大ノートで「この人を語ろう」のカテゴリが賑やかになるのはうれしくないことだ。だがやはり原田さんのことは語っておきたい。

僕の手元に2本のカセットテープがある。35年前、日芸時代に学祭で原田芳雄コンサートの制作に参加したときの取材テープだ。2時間以上のインタビュー。当時はまだマネージャーの富田さん(龍馬暗殺のプロデューサーで映画評論家の夏文彦さんでもあった)もご健在で、みんなで撮った龍馬暗殺のパロディ写真も一緒に保管してある。これらの音源や写真はいずれこのサイトで公開したいのだが、この時のインタビューは実に印象的だったので、少し書いてみたい。

まず、「赤い鳥逃げた?」で見せたアウトローのイメージに憧れた僕にとって意外だったのは、原田さんが「あの映画は嫌いなんだよ」と言ったことだった。「兄貴」と呼ばれたり、「あ、白髪」なんて言われるのが嫌だった。確かに時代を遡って見直した数々のアウトロー映画で、原田さんは若き反逆者だった。例えば「反逆のメロディ」での最初の台詞はこうだ。「淡野組は解散したんだ。兄貴ヅラはよしてくれ!」。つまり時代やしがらみに取り込まれていく「兄貴たち」に反逆する役どころだったわけだ。それが「赤い鳥」では自分が「兄貴」になってしまった。それが嫌だったのだ。

もうひとつ、印象的だったのが「脇役志向」だ。インタビュー当時の最新作は「やさぐれ刑事」だった。だが主役よりも脇役志向が強かった原田さんは、「なんで俺が主役なんだよ」と現場で随分と監督にからんだらしい。楽屋で出番が来る前にアーリータイムスが1本開いてしまうほど飲んでいたという。役者として悩んでいた時期だったのだろう。テレビドラマで「和気一作」という役名で出演していたのもこの頃だったかもしれない。

それから、若い頃の話。そもそも最初は歌手になりたかったそうだ。憧れたのは美空ひばりだったとか。そう言えば原田さんの歌は、そのイメージから渋い低音かと思いきや、実はかん高い高音で歌うのが原田節だ。それは美空ひばりに憧れた青春時代と深く関わっていたのかもしれない。

当時、一番うれしそうに語った映画が「祭りの準備」だった。それは映画の出来についてとか、自分の役柄についてではなく、撮影中に体験したことが理由だった。舞台は土佐の高知、中村市。原田さんは彼の地に住み込んで撮影に臨んだ。俳優たちはひとりずつ別々の家に寝床を提供してもらった。土佐の住人たちは彼らを東京からやってきた有名な俳優さんとしてではなく、仲間として同等に扱ってくれたという。そのことに原田さんは一番感動していた。土佐での暮らし、そこで体験したすべてが彼をとりこにしているようだった。

アウトローとしては繊細過ぎるほど細やかな感性を持った原田さん。田舎の共同体が自分のような人間を受け入れてくれることへの感謝と感動を語っていた。あれから30年以上がたって、原田さんが「大鹿村騒動記」へと向かって行った原点がこの時の土佐での体験にあるのではないか、と僕は今想像している。遺作となった「大鹿村」を観て確かめてみたいと思う。

原田さん安らかに。あなたは最後までかっこいい「兄貴」でした。


コメント(1)

ぬまべ Author Profile Page:

前々から噂に聞いている35年前のその原田芳雄インタヴュー、なんとしても聞いて(読んで)みたいものです。

昨年秋に「銀座シネパトス」でのトークショーで原田さんは「赤い鳥逃げた?」の撮影現場をしみじみ懐かしんでいました。40年近い歳月がそうさせたのでしょう。でも「芳雄、ここで泣いてくれ」と監督に言われたのには強く抵抗した、と言っていました。

今夜(7/21)10時からNHK・BSプレミアムで原田芳雄・主演ドラマ「広島発ドラマ 火の魚」を再放送するそうです。

日本映画専門チャンネルでも(期せずして追悼番組となってしまった)「俳優 原田芳雄 自薦傑作選」が進行中。詳しくは以下を参照。
http://www.nihon-eiga.com/harada/index.html

小生のTVでは観られない…。誰か「赤い鳥逃げた?」を録画してくれないかなあ?

コメントする