宮崎デジタル化計画(2)未知への航海

今月も宮崎デジタル化計画について報告する。

 

今年の元旦、荻大ノートの発進と共に宇宙探査船「宮崎号」は白山の荒川宇宙センターからデジタルの大宇宙へ打ち上げられた。打ち上げ技術とその後のモニタリングはおらが技術部長が責任者として担当。搭乗員との交信はぬまべ研究員と僕が担当している(ような感じだ)。

 

足掛け5年の計画だったが、いざ打ち上げてみたら「宮崎号」は非常に優秀な性能を発揮し、見事に順調な飛行を続けている。これは「宮崎号」にとっても地上で見守る我々にとってもまさに「未知への航海」。情報の大宇宙への旅である。

 

旅の成果を知る貴重なデータのひとつが「宮崎号」から寄せられる報告の数々だ。このシリーズの第一回で既にその一部を紹介したが、PCの不調に苦労しながらもそれを克服していく様子が伝わって来た。第2回はその後の航海の様子と不思議な現象について伝える。

 

まず3月のことだが「宮崎号」も多くの友人たちと同様に東日本大震災の大きな波動を受けた。CDが頭に降り注いだというそのときの状況は「震災と津波と原発」のカテゴリーの(8)に掲載してあるので読んで欲しい。

 

この震災の後「宮崎号」は再びPCの不調に見舞われたという。そのため地上の僕からのリポート要請に対して応答が無い状態が続いた。その後おらが技術部長の献身的な努力が功を奏して再び連絡回線が開くと「宮崎号」からの詳しいリポートがぬまべ研究員の元に寄せられた。それが前述した「震災と津波と原発」の(8)のリポートである。さらに「宮崎号」は(9)と(10)のリポートも送ってくれた。一連の報告を通じて「宮崎号」の素晴らしい情報収集とその発信能力が証明されたことになる。

 

しかしこの間不思議な現象も起きた。それは(9)と(10)のリポートだ。リポートはなぜかおらが技術部長からの発信になっていた。これがPCの不調に関係しているのかどうか、今のところ僕には確かなことがわからない。

 

ただ現時点でわかっているのは「宮崎号」が様々な困難と闘いながらも果敢に「未知への航海」を続けていることだ。その証左となるのが前述の(10)のリポートだ。ここではデジタル宇宙を飛行中に発見した小惑星「藤波心」についての詳細な報告をしている。また、mixiというネットワークを通じて情報収集のアンテナを増殖させている様子も地上の様々な関係者によってモニタリングされている。

 

つまりすでに「宮崎号」は、自らアンテナを伸ばし独自の視点で発見した新しい情報を我々に発信してくれるようになったのだ。かつて惑星探査船ボイジャーが未知の惑星の写真を送ってくれたように、そして宇宙望遠鏡ハッブルが数千の銀河の存在を我々に教えてくれたように。

 

今後の航海ではユリシーズがセイレーンに出会ったような危険も体験するかもしれない。それでも「宮崎号」が多くの困難を克服して航海を続けることを願ってやまない。その写真入りの航海日誌がおらが技術部長のもとで編纂されているといううれしい情報もある。

 

シリーズ第3回でその「おらが日誌」が公開されることを願って今月の僕の報告を終えることにする。

みなさま、「宮崎号」に励ましのコメントをよろしくお願いいたします。

(大輔)

 

 

 

コメント(2)

ぬまべ Author Profile Page:

>しかしこの間不思議な現象も起きた。それは(9)と(10)のリポートだ。
>リポートはなぜかおらが技術部長からの発信になっていた。
>これがPCの不調に関係しているのかどうか、今のところ僕には確かなことがわからない。

発信は恐らく宇宙船「宮崎号」から直接なされていると推察されます。同号の通信機材は少し前まで「おらが先端技術センター」で送受信する際に使用されていたため、発信者名が「おらが技術部長」のままになっているのだと考えられます。当方がリポート(8)を受信したときも「おらが」名義になっておりました。

このたびの「宮崎号」の旅立ちは「未知への航海」であると同時に、「処女航海」と称すべきでしょう。すなわち遠い昔、宮崎飛行士が自主制作した8ミリ映画のタイトルと同様に!

以上、ぬまべ研究員からの追加報告でした。

大輔 Author Profile Page:

なるほど。そういうことですか。ぬまべ主任研究員、ありがとうございました。引き続き該船のモニタリングをよろしくお願いいたします。

それから「処女航海」の件、「そうであった」と思わずひざを打ちました。本人からもコメントが入るかもしれませんね。

おらが部長の航海日誌が待ち遠しいです。

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