第1回サマークリスマス(1974年8月25日)

その日は朝から雲行きが怪しかった。中国大陸にいったん上陸した台風14号がなぜか引き返して日本列島へと針路を定め、東海地方に接近しつつあった。その影響で関東一帯はどんより厚い雲で覆われ、湿った不穏な南風も吹き始めていた。
集合時刻は午後1時だったか、2時だったか。原宿駅前に降り立つと、空模様はいよいよ険悪になっている。今にも雨が降りだしそうな気配だし、気紛れな突風が巻き起こっては街路樹を揺さぶる。駅前の雑踏をすり抜け、足早に目的地の代々木公園へと急ぐ。

「どうしてクリスマスは冬にしかないんだ、夏にあってもいいじゃないか!」──こんな屁理屈とも身勝手ともつかない言い分から「サマークリスマス」なる催しを提唱したのは、TBSアナウンサーの林美雄さんである。自分の誕生日がたまたま8月25日なので、みんなに祝ってもらいたいという、いささか虫のいい主張がその発端だった。

もはや記憶がおぼろげなのだが、林さんが番組でサマークリスマスを口にしたのは1974年になってからではないか。ふざけたニュースを大真面目に読み上げる「苦労多かるローカルニュース」のコーナーに届いた投書がきっかけだったと思う。ヒョウタンから駒というか、嘘から出たまことというか、いったん弾みがついたらもうとまらない。ことはトントン拍子に進み、いつしか「第1回サマークリスマス」を催す手筈が整ってしまった。

そうした気運に拍車をかけたのが、「パックインミュージック」第二部への突然の打ち切り通告である。4年間も手塩にかけた「ミドリブタ・パック」終了により、林さんは手足をもがれるような痛みと喪失感を覚えたはずだが、その一方で「サマークリスマス」熱をいっそうかきたてられたとおぼしい。どうせ最初で最後だ、やりたいようにやらせてもらおう、31歳の誕生日をリスナーと一緒に祝うのだ──それはもうヤケッパチに近い心境だったと想像される。

開催場所に代々木公園が選ばれた理由はわからないが、とにかく当日ここにこぞって参集する。石川セリ、荒井由実、中川梨絵ら、番組のマドンナたちにも声をかける。何をするのかといえば、せいぜい「手つなぎ鬼」か「水雷艦長」。童心に帰って無邪気に遊べばいい。「第1回サマークリスマス」、または「代々木公園にみんなで集まって何もしない会」にぜひご参加を──番組で誇らかにそう呼びかける林さんの声が、今も耳の底でこだましている。

代々木公園→赤坂、嵐のなかの「民族大移動」

集合場所はたしか正門からずっと奥へ進んだ芝生広場の「あずまや」付近だった。すでに大勢の若者がたむろしている。といっても、同じ深夜ラジオを聴いているだけで互いに面識はないので、荒天の下でおし黙って佇むばかり。なんとも異様な集団にみえただろう。
ほどなく顔見知りの「パ聴連」数名と遭遇した。2週間前の8月12日、千駄ヶ谷区民会館の集会で知り合ったばかりの仲間たちである。しばらく待つうちに参加者は300人以上にまで膨れ上がった。ざっと見渡すと男性が七割といったところか。

開始時刻が近づくにつれ、風はますます激しく、立っているのが苦しいほどだ。横なぐりの雨も降り始めたが、傘を開くことができない。少々の雨ならそのまま決行という話だったのだが、台風接近がすべてをぶち壊しにしてしまった。中止もやむなし、誰もがそう観念した。
やがて林さんが進み出て声を張り上げた。「この天候ではここでの開催はとても無理と判断した。代わりにTBSのスタジオを用意したので、申し訳ないが赤坂まで移動してもらいたい」──風音にかき消されがちだったが、そんな内容だったと思う。

関係者は裏で目まぐるしく動き回ったに違いない。数百人が収容できる代替スペースはないものか──代々木公園とTBSの間で何度も電話が交わされたはずだ。携帯など存在しない時代の話である。吹き荒れる嵐のなか、公衆電話まで走って窮状を訴えたのだろう。たまたまその日が日曜日だったためか、林さんの「顔」が利いたのか、幸運にも空きスタジオが借りられたのである。

こうして暴風雨のなかの「民族大移動」が開始された。
代々木公園からTBSまでは大した距離ではない。2年前の1972年に開通した営団地下鉄・千代田線で、明治神宮前から赤坂までわずか3駅なのだ。揃いも揃って風体の怪しい数百人の若者が公園から駅前までぞろぞろ行進し、地下鉄へと吸い込まれていく。にわかに満員になった車両の先客たちは何事かと驚いただろう。

肉声で歌ったセリとユーミン

そのスタジオはかなりの広さだった。ラジオ番組収録用なのか、天井はさほど高くなく、一方の壁に横長のガラス窓があって、ほの暗いモニタールームがのぞいている。それ以外は殺風景なただの四角い空間だが、片隅にはグランドピアノが置かれていた。
嵐のなかを移動してきた若者たちは難民さながら、われがちにスタジオの床に腰を下ろす。広々した空きスタジオはたちまち人で埋まり、瞬く間に満員札止め状態と相成った。坐る場所が確保できず、壁際に立つ者も続出した。かく言う小生もピアノの脇にようやく陣取り、その脚に体をもたせるようにしゃがみこんだ。

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あまりにも急な予定変更だったため、「サマークリスマス」主催者側は会場をおさえるのが精一杯だったのだろう、スタジオにはマイク一本用意されていなかった。放送局だというのに会話はすべて肉声、したがって録音も残されていない。
このあとスタジオでは何がどう展開されたのか。ゲームでもしたのだろうか。室内ではまさか「手つなぎ鬼」でもあるまい。残念ながらそのあたりの記憶は曖昧である。

手元に残る当日の写真を見ると、司会進行役の山口君(ファン代表で「パ聴連」の主導的メンバー)がみんなの前で何かしゃべっている。その傍らに並んで腰かけているのがゲストの石川セリと荒井由実である(中川梨絵は台風のため来られなかったのだろう)。この写真からも当日の汗牛充棟ぶりが彷彿とされよう。文字どおり立錐の余地のない鮨づめ状態で、立ち見の者が少なからずいたことがわかる。室温がたちまち上昇し、人いきれで蒸し風呂さながらだったように憶えている。

この日の林さんはみんなから誕生日を祝ってもらう、いわば主賓の立場なので司会役は引き受けなかったわけだが、思いも寄らぬ展開となったため、随所で立ち上がっては当意即妙の話術で助け舟を出してその場を和ませる、という具合に会が進められたのだと思う。

ゲストのユーミンとセリは、荒れ模様の代々木公園ではすっかり群衆のなかに埋没していたのだが、改めて満場の拍手を浴びながら中央に坐ると、殺風景なスタジオがにわかに華やいだのは言うまでもない。ユーミンはチェックのシャツにジーンズ地のホットパンツというスポーティな軽装、セリはブルーの半袖シャツに深紅のロングスカートというシックな装いだったことが写真からわかる。

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のちに親交を深めることになる両人だが、この時点で顔を合わせるのが2度目(8月16日の「林パック」出演が最初)ということもあって、打ち解けた間柄とはほど遠く、互いに会話を交わすでもなく、むしろマドンナ同士が見えない火花を散らし合うような雰囲気を漂わせていた。
やがて参加者との一問一答へと進み、「おふたりは互いにどう思ってらっしゃるんですか?」という質問に、ユーミンは「セリさんのような歌唱力で唄えたら、どんなにいいだろうか...」、セリは「由実さんみたいに自分で詞も曲も創れるなんて羨ましい。私はただのシンガーだから...」と、互いに褒め合うという一幕もあった。

質疑応答が済むと、自然な流れとしてぜひ一曲ずつ披露してもらおうという展開になった。事前のリハーサルも、カラオケもマイクの用意もなしに、「素」のままで歌わされるのは気の毒だったのだが、それでもユーミンは傍らのピアノに向かって自作の「ベルベット・イースター」を健気に熱唱し、セリはその場に佇んだまま、伴奏なしで「八月の濡れた砂」をしみじみと歌いあげた。スタジオはしんと静まりかえり、物音ひとつしない。誰もが息をひそめて、夢のようなひとときを心ゆくまで味わっていた。

たまたまピアノの脇にしゃがんでいた小生は、期せずして生のユーミンを至近距離から見上げる成り行きになった。鍵盤を奏でる両手こそ隠れて見えないが、ホットパンツから形のよい両脚がすらりと伸び、厚底のスニーカーがペダルを踏むさまを目の当たりにして、少々どぎまぎした。
創り手の体から発した音楽が、なんの媒介物もなしに、いきなり耳から飛び込んで心を鷲づかみにする。そんなストレートな感動があった。まだ実演経験の乏しかった彼女がひどく緊張しているのが傍目にもわかった。なんといっても20歳の美大生だったのだ。

(numabe)

コメント(22)

こいぶー Author Profile Page:

林さん若いなぁ・・・・・しみじみ・・・・(笑)

写真、とっても懐かしいです。でも、私はグランドピアノの下(!)に座っていたので写真に写っていないのがちょっと残念

ぬまべ Author Profile Page:

…ということは、こいぶー君はあの日、すぐ頭上(!)で轟音のように鳴り響く「ベルベット・イースター」を耳にしたわけですね。それこそ得がたい体験というべきですね!

大輔 Author Profile Page:

サマークリスマスの投稿は大田区の阿北省奈(あきたしょうな)特派員からでした。本当は筆名を「あほくせいな」と読んで欲しかったそうです(笑)。そのハガキを読んだのは実は林さんではありません。酔っ払って出演していた中川梨絵さんでした。その翌週が「セリとユーミンいやさユーミンとセリ」ですから、投稿が紹介されたのは1974年8月の第2週の放送ということになるかと思います。当時の録音があるのでいずれアップしたいと思います。それにしてもこいぶーさんとぬまべさんは二人ともピアノの下にいたわけですね。(笑)

ぬまべ Author Profile Page:

ええっ、そうなんですか! つまり「サマークリスマス」のアイデアそのものが8月9日に初めて電波に乗ったものだと。なんともはや、思いつきを即座に実行に移したイヴェントだったわけですね!

そんな急な話だったのに、ユーミンもセリもちゃんと駆けつけてる。律儀といえば律儀だけれど、ふたりとも暇だったんですね~

あっこ Author Profile Page:

私は確か、真ん前の一番前に座っていたような気がします。
はるか昔のことで・・・かなり記憶は曖昧ですが(笑)
とっても近くで見ていた感じがするのですが、私がどこに座っていたのか・・・誰か教えてください・・・(^^♪

ぬまべ Author Profile Page:

あの日、嵐の代々木公園からTBSまで、「パ聴連」の仲間たちと一緒に地下鉄で移動した鮮明な記憶があります。

一枚目の写真をよ~く見ると、壁を背にして持塚、いけちん、伊藤さん(チェ・ゲバラのTシャツ!)の立ち姿があり、ピアノのすぐ傍らに坐る阿北さんらしき男性がちらと写っています。その周辺に(写真には写ってないけれど)こいぶーや小生もいたわけですから、あっこちゃんも間違いなく前方、ピアノ近くに陣取っていたはずです。

あっこ Author Profile Page:

ぬまべさん
ありがとうございます。
そうですか~おぼろげながらに、前には誰も座ってなかったので、ユーミンやセリのスラリとした立ち姿を下から見上げた記憶があるのです。

ぬまべ Author Profile Page:

あっこさんの記憶に間違いないと思います。ユーミンとセリの立ち姿を同時に観る機会といえば、この日以外には考えられませんから。

それにしても、あのときスタジオでは両人の歌唱のほかにどんな演しものがあったのでしょう。何かゲームでもしたのか。さっぱり思い出せません。

もうひとつ謎なのは、すでに二週間前に発足していた「パ聴連」はこの集まりで署名集めをしたのか否か。しなかったはずはないと思うのですが、その記憶が全くないのです。誰か覚えていないかなあ。

大輔 Author Profile Page:

上に書いた事実関係について訂正・補足します。古いカセットを確認したところ、さらに驚きの事実が・・・。サマークリスマスのはがきが読まれたのは1974年8月23日です。当時の録音を聴き直すと・・・
8月09日野坂昭如特集
8月16日セリとユーミン
8月23日歌う銀幕スター特集(中川梨絵を招いて)
8月30日最終回
・・・となっています。
つまり梨絵さんが酔っぱらってサマークリスマスのはがきを読んだのは23日で、実際に代々木公園に集まったのが2日後の25日ということになります。実は16日の放送の最後に林さんが25日はセリとユーミンと一緒に代々木公園で遊ぼう!と聴取者に呼びかけています。ハンカチ落としなんかをやりましょうと。そして23日の放送では梨絵さんからも25日に来てくれるという約束を取り付けています。つまりはじめは25日が自分の誕生日なのでリスナーと何か代々木公園でやろうと考え、セリとユーミンを誘ったら来てくれることになり、そこへサマークリスマスというアイデアが加わり・・・という流れだったようですね。ともかく「サマークリスマス」とは23日に「提唱」され25日に「実施」されたという信じられないような展開だったようです。

大輔 Author Profile Page:

30日の放送で林さんが語った当日の顛末は以下の通りです。

そもそもセリとユーミンと代々木公園で「何もしない会」をやろうと言ったのがはじめ。放送で雨天決行と言ったもののこの天気なら4、5人だろうと思っていた。
ところが1時20分の段階で400人集まっているとスタッフから聞いて驚いた。
ユーミンも今頃何かのデモか別の集会でもあるのかと思ったそうだ。
ゲストは全滅だと思ったがユーミンは既に来ていた。
セリと梨絵さんはそれぞれ既に自宅を出ていた。
TBS第1スタジオに移動したものの入りきらず冷房も効かない状態。
別のスタジオを空けてもらってそこで2時間ほど遊んだ。
ハンカチ落としはしなかったが、ムカデ競走などをやり、
負けた組が「カステラ一番」とか「カエルの歌」などを歌った。
ユーミンが弾き語りで「ベルベットイースター」を歌い、
セリが演奏無しで「八月の濡れた砂」を歌った。
バースデーケーキを買うために司会者が帽子をまわして10円カンパを頼むと、
4436円か63円集まった。それでケーキを買ってろうそくを立てた。
大きいろうそく3本と小さいろうそく1本(31歳)をふっと吹き消すと、
紙吹雪が舞って、生まれて初めての胴上げに。
やる方も初めての胴上げだったので崩れて落ちてしまった。
(引用ここまで)

・・・どうでしょう?ぬまべさん。これで思い出しましたでしょうか?

  

ぬまべ Author Profile Page:

いやはや、これはもう、驚き、桃の木、山椒の木、ですね!

8月16日に誕生日を祝おうと思いつき、23日に「サマークリスマス」と命名(by 阿北さん)して提唱、25日にはもう当日を迎えたのですから、まさに急転直下の早ワザというほかありませんね。
やはり番組の打ち切りで「もうあとがない」という火事場の馬鹿力めいたノリで一気にやってしまったのでしょう。

当日のスタジオはけっこう催しが盛りだくさんだったんですね。

> 別のスタジオを空けてもらってそこで2時間ほど遊んだ。
> ハンカチ落としはしなかったが、ムカデ競走などをやり、
> 負けた組が「カステラ一番」とか「カエルの歌」などを歌った。

全く記憶にないなあ。そんなアクティヴな催しだったのか! バースデーケーキや胴上げのことなども、綺麗サッパリ忘れています。

それでいて、ユーミンとセリの歌唱のことは明瞭に覚えているのだから、人の記憶とはなんとも「まだら」なものだと痛感させられました。

イケチン Author Profile Page:

懐かしい写真掲載ありがとうございました。
当日の途切れ途切れの記憶が甦ります。

「パ聴連」の署名活動ですが、確かにこの日も行いましたよ。
それは覚えておりましたが、
5年後に結婚することになるダンナが、私の隣に立っていたとは…。

ぬまべ Author Profile Page:

イケチンさま、貴重な証言をありがとうございます。やっぱり当日TBSで署名集めをやったんですね! それが判明して、ようやく胸のつかえが下りた思いです。
そうですよね、せっかく選り抜きの「林パック」ファンが400人も集まっている場所で、署名運動をやらないわけがないですよね。でも、小生にはその記憶がすっぽり抜け落ちていたのです。

イケチンがここで将来の旦那さまと隣り合っているのも運命──というか、なんとも不思議な因縁ですね~

イケチン Author Profile Page:

そうなんです。因縁が深~くて…。

この写真を見たダンナが、「隣に立ってたね」
「え~っ!あなたの隣にいるの私? 写真見たけど気付かなかった」
そうなんです。だんなの隣にいる伊藤姉さんのお姿に
「懐かしいな~。お元気かしら」との感が強くて自分が判らなかった。

ぬまべ Author Profile Page:

一枚の写真から実にさまざまな記憶が蘇るものですね。

こうして誰もが見られる場に掲げた資料が「呼び水」になって、きれぎれの個人的な思い出がひとつに撚り合わされ、より大きく、より正確な、公式「史」が語れるのではないか──そんな気がしています。

杉本和夫 :

この写真にある大きなスタジオは本来小沢昭一のラジオ番組の録音スタジオでしたが、林氏が交渉して別のスタジオに移動してくださったのです。またこのときゲームをしましたがそれを仕切ったのは当時保育園?の保母さんをしていた人でした。

もんちゃん :

はじめまして。レポートありがとうございます。もう40年前なんですね。よく覚えていませんが、確かにこんな感じでした。まさか写真があったなんて。
私もピアノの下にいたような気がしますが、よく思い出せません。荒井、石川、中川の三氏にサインをいただいたと思っていましたが、中川さんは来てなかったんでしたっけ。
あらためて、ありがとうございます。

ぬまべ Author Profile Page:

もんちゃん様、コメントありがとうございます。

>私もピアノの下にいたような気がしますが、よく思い出せません。

もしそうならば、小生とほぼ同位置に陣取っておられたのですね。40年前のあの日の記憶は、もはや「まだら」状態──はっきり憶えている部分、曖昧で不確かな部分、さっぱり記憶にない部分が混在するパッチワークです。もしも思い出せる細部がありましたら、些細なことでも結構ですから、どうか情報をお寄せください。

>荒井、石川、中川の三氏にサインをいただいたと思っていましたが、
>中川さんは来てなかったんでしたっけ。

つい最近、実家を片づけていて、当日の夜したためた「メモ書き」が出てきました。それによると、中川梨絵さんは大遅刻して到着、持ち歌を何曲も唄った、とありますので、もんちゃん様がマドンナ三人からサインを貰ったのは間違いないと思いますよ。


もんちゃん :

ぬまべ様ありがとうございます。サインは実家のどこかに埋まったままです。
あのびしょ濡れになった日のことは大切な思い出ですが、細かいところは忘れてしまいました。このようなサイトを作っていただき、たいへん感謝いたします。
何か思い出しましたら、書き込ませていただきます。
あらためて、ありがとうございます。

ぬまべ Author Profile Page:

二つ上の拙コメントで紹介した、サマークリスマス当日の夜したためた「メモ書き」の全文を筆写し、少し言葉を補ったうえで公開しました。本エントリーと併せてお読みください。

もう40年も昔のことなので、こうしたメモを残したこと自体すっかり忘れていました(そもそも後年これを読み返すとは思わなかったはず)。それを読むと、思いもよらぬ事実が書かれていて、人間の記憶の不確かさをつくづく思い知らされます。

もんちゃん様、もしご実家から三人のマドンナの肉筆サインが発掘されたら、ぜひご一報ください。「あの日」を偲ぶ大切な記念物ですから。

もんちゃん :

サインは発掘されました。
中川さんの冥福をお祈り申し上げます。

ぬまべ Author Profile Page:

もんちゃん様、マドンナたちのサインが発掘されたとのこと、とても嬉しく思います。42年前の「あの日」を偲ぶ貴重きわまりない記念品ですね。ぜひ家宝として末永く大切になさってください。

中川梨絵さんの訃報、あまりにも突然のことで言葉もありません。ただただ冥福をお祈りするばかりです。

すでにご存じかと思いますが、ノンフィクションライター柳澤健さんのご著書『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』(集英社)が刊行されました。

表題にあるとおり、第一回サマークリスマスの一部始終が詳しく語られるほか、林さんの生い立ちと修業時代、TBSの若いアナウンサーたちの奮闘ぶり、林パックから世に出たセリ、ユーミン、中川梨絵、山崎ハコらの回想、当時のリスナーたちの動向、家庭人としての林さんの知られざる一面など、関係者への綿密なインタヴューをもとに林美雄のすべてを描き出した好著です。ぜひご一読ください。もんちゃん様の感想もお寄せいただければ幸いです。

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