編集長大輔のつぶやき 2011.4.3 

3月某日 

オーストリアのアルプスのふもとで暮らす義父が亡くなった。がんとの壮絶な闘いだった。2年前手術したが再発し2回目以後の手術を拒否して自宅療養していた。74歳。自分もあと20年か・・・。

 

3月11日

東日本大震災が発生。津波が町を飲み込む映像にぞっとする。さらにその後の福島原発事故。1週間ほどは何も手につかず、ただUstreamで各局の震災特番を見続ける。

 

3月某日

荻大ノートでもメンバーの体験や意見を発信することに。続々と集まる原稿を次々とアップし続けた。しゅんさんは映像ドキュメントの関係者と一緒に、デモや上映会などの活動に入った。

 

3月某日

東京および関東周辺に住む仲間たちは皆なんらかの影響を受けていた。仕事と年老いた親を抱えて避難もままならない。こうした状況は多くの仲間たちに共通している。原発事故がなかなか収束しない中、放射線の数値が出始める。それぞれ神経をすり減らす毎日が続いているに違いない。

 

3月某日

東京で原発事故後初めてのデモがある、という情報がしゅんさんから寄せられる。オーストリアにいて参加できないが、自分もあらゆるチャンネルを使って脱原発への発信をしようと心に決める。残り20年の目標が決まったようなものだ。

 

3月某日

4月の更新作業に入る。手元にメンバーからの原稿は1本もなし。(笑)無理も無い、状況が状況だ。せめて明るい話題を提供したいということで、おらが写真館へ持ち込みで去年の秋の「横浜散歩行」の模様をアップ、また「宮崎デジタル化」の第2回をアップする。

 

3月某日

4月中旬にはまた東京へ行く予定。荻大メンバーに放射線対処法を教えてもらわなくては・・・。いつのまにか花見の季節になった。今年の桜を日本人はどんな思いで見つめるだろう?

皆さまの無事と原発事故の1日も早い収束、そして被災地の復興を祈りつつ。

(大輔)

 

 

 

      

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