震災と津波と原発
宮崎からの投稿~藤波心のブログ
みなさんは 藤波 心 という 13歳のアイドルをご存知ですか?
私は知りませんでした
深夜 ネットをさまよっているうちに彼女のブログに出会いました。
http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10833564288.html
http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html
(注:3月17日と23日の日記です。消されている場合はグーグルでキャッシュを開いて下さい)
13歳のアイドルが書いた事に驚いたが それ以上に
ストレートで無防備な意見や感想は 原発事故以来 一番私の
心に迫る文章でした。
長年芸能界と仕事をしてきた私は驚愕しました ブログという
システムは事務所も管理出来ないのか 老婆心ながら
アイドル生命を危惧しています 売名行為だ というコメントも
ありましたがリスクが高すぎて考えられません。
彼女のブログのコメント欄には したり顔の大人達が 非難し
罵倒し 説教しています (賛同の意見も載っています)
単純だろうが 危険な原発はいらない という意見を原点にして
知識を知恵に昇華させ発信していく。
この事を自分なりに考えていくつもりです。
荻大の仲間もこのサイトをご覧の方も 彼女のブログを読んで
もらいたくて投稿しました。
宮崎
●3月27日 銀座デモ・パレード3月27日(日) 集合13:45、出発14:00集合場所:銀座の水谷橋公園(ホテル西洋銀座・テアトル東京の隣)地下鉄銀座一丁目または京橋駅下車数分。解散は日比谷公園予定。いつもは、『STOP再処理 LOVE六ヶ所 パレード』としてきましたが、今回は、福島原発震災発生のため、タイトルも変更してデモを行いたいと思います。横断幕やプラカードなど持って来て下さい。日比谷公園では短時間ですが、最新状況も報告します。【行動の主催】再処理とめたい!首都圏市民のつどい呼びかけ団体:原水禁国民会議(03-5289-8224)/プルトニウムなんていらないよ!東京(旧称 ストップ・ザ・もんじゅ東京)/大地を守る会/福島老朽原発を考える会/日本山妙法寺/日本消費者連盟/ふぇみん婦人民主クラブ/グリーンピース・ジャパン/原子力資料情報室/たんぽぽ舎
宮崎からの返信(2通目)
年老いた母親と二人で暮らす宮崎から2通目の返信がありました。13日にPCが壊れてしまったこともあって、テレビの震災・原発報道をつぶさにウォッチしてきたそうです。これまでドラマの制作スタッフとしてテレビ局の内部でも仕事をしてきた宮崎が、テレビ報道の裏話を交えながら語ります。
福島原発事故に思う
福島原発で作業員が被曝したニュースを見ながら書いています
NHK以外では取り上げ方が小さく解説もありません(18時のニュース)
私は 荻大の仲間の現状認識や意見に同意で付け加える意見はありません。
PCが壊れた為 地上波のTVを見つ続けました
この間 放射性よう素入りのまずいインスタントコーヒーを何杯も飲み雨にも濡れました
しかし後から危険性を知らされたら狼狽し怒り狂ったでしょう
最近ワイドショウを中心に 直ちに危険性の無いデータの発表が多すぎる 無用な恐怖を煽り風評被害を増長するだけだ という趣旨の発言が多くなっています。
民放は電源が通った(まだ全面的に稼動しいない)頃から事故は収束すると判断したのか 家族を失って悲しみに耐えている人に誘導質問して号泣させ 悲劇を嘆き事故現場の作業員を英雄と讃えても 現場の問題点や安全管理は伝えていない。
電力会社は バブル後最大級のスポンサーです。
ワイドショウは報道部では無くヴァラエティーに属します(NHKについてはしりません)
プロデュウサーはスポンサーに直接プレゼンテーションし スタッフは神経を使います。
スポンサーが降りたら番組は終わってしまい 契約スタッフは職を失います
スポンサーの影響力は絶大です 現在スポンサーで無くても電力会社を本質的に批判するのは無理でしょう
報道部にどの位影響力があるのかは私は知りません
しかしニュース番組で原発事故の報道の割合は短くなっています
ここ数日 NHKのニュースで 今すぐには問題ないと付けながらも 深刻な状態 を連発している 民放の報道が被災者の支援に急激にシフトしたのと対照的だ
これは慎重なNHKが変わったのでは無く 事態は好転していない と判断しているのではないか
作業員の被曝の危険性についても何回も言及していた 収束するにはまだ幾つもの高いハードルを越えなくてはいけない事を無視は出来ないと判断しているのか
以上がワイドショーのスタッフの隣で仕事をしていた私の率直な感想です。
ネットで情報を得たりTVなんてその程度だと思っている人には分かりきっている事を書きましたが まだまだ多くの人々がTVを視聴し ニュースよりもとっつきやすいワイドショーから情報を得ている中高年も多いいのです。
電力会社は 原発反対の人は 感情的 非科学的 悲観論者 少数 と断定し黙殺して来たと思います
これからは 停電を人質に大量エネルギー社会から後戻りはできないと訴えてくるのでは?
計画停電も不便な生活を刷り込み 夏には大規模な計画停電が避けられない
もうTVでは 原発は大丈夫だった 電源が津波にやられただけ 電源を津波の被害から会わない様にすれば安全 と言う 大学教授
緊急事態だから綿密な調査などせず すぐに火力発電所をつくるべき と言う 専門家
現場の決死の努力で収束したら日本は事故をバネにして 世界トップの原発先進国として邁進していける と言う みのもんた
ネットで自ら情報を得ている人との差は大きい(色々な意見があるけれど)
ネットについては ネットではデマやありえない事態になるなど いいかげんな情報が飛び交っています 政府や私たちTVが大丈夫と言っているんだから信じなさい。
ネットでいいかげんな事を言ってる人は出てこないんだよな と言う 小倉智明
原発推進の御用学者を選んでいるのはTV局の方で事故の深刻さを発言している専門家を一緒に出演させて両方の意見を聞くなんて番組は無い。
早く収束して元の生活に戻りたいと言う話はでても 今までの生活を見直そうと言う
話はこれまで一度も聞いた事は無い。
このような情報の洪水を浴びている多くの人々に 我々の意見を届ける画期的なアイ
ディアを私は思いつかない。 でもあきらめず自分なりに考えていこうと思う。
追伸
中国電力は福島原発の事故後も上関原発の建設工事を中止していなかった
地元住民の反対や町や県の要請で ようやく中断し
「当面、地元住民への説明に最優先で取り組む」そうだ
でもM9の地震を体験したばかりの国でM8.6の耐震性しかない原発を
どう説明するんだろう (マーク・ラパポートのtwitter を見て)
以上宮崎からの返信2通目を紹介しました。
皆様のコメントをお待ちしています。
(大輔)
宮崎からの返信
デジタル化進行中の宮崎から返信がありました。地震の前後からメールを出しても返信が来なくなったので実は心配していましたが、今回届いた荒川さんの文章の中に「宮崎からの電話で起き出しテレビをつけると」という一文があったので、無事らしいということはわかっていました。彼は高齢の母親と二人暮らし。震災の時、高齢者をどうやって守れば良いのか・・・これもまた大きな課題です。
頭に降り注ぐCD
アンケート遅くなってすみません。
13日の深夜にPCが壊れてしまい 昨日の午後(3月21日)に おらが君が自分のPCを持って来てくれるまで PC無しの生活でした。
地震当日は自宅(東京都中央区)にいました。
レコード棚に入りきれないCDをレコード棚の上に天井近くまで積み上げていたので CDが降りそそぎ散乱しケースが大量に破損 襖には穴が3ケ所あきました
頭髪で防御できない私は痛みに耐えながら必死にレコード棚を押さえていました
幸い流血はなかったものの 揺れが長く何度もCDの直撃を頭部に受けました。
81歳の母親が外出していた
問題は母(要支援「2」の81歳)が外出している事でした。
弟夫婦が母の誕生日(3月2日)に花と一緒にプレゼントした 大好きなタンゴのコンサートに 叔母(78歳)の介添えで二人だけで 中野サンプラザに行っていました。
14時開演なので会場にはいるはずと思い 万一の為に持たせた携帯を鳴らしても つながりません、30分おきに掛けましたがダメでした。
TVでは九段会館の天井落下の事故も伝えていました、24時までに3回つながりましたが でてくれません。
24時過ぎに 疲れ果てて帰って来ました。バスを待つ長蛇の列に何時間も並び 何回も乗り継ぎ 大江戸線の春日までたどり着き 勝どき(最寄り駅)にようやく戻ってきたそうです。
車中では 若い人たちが素早く席を取り座っていたので一回も座れなかつたそうです。
「あの人たちも疲れていたのよね」 ポツリと母がいいました。
公衆電話は長蛇の列で並ぶ気がせず 携帯は気がつかなかったそうです。膝と腰が悪いのでエレベーターを使えず大変だったとおもいます。
都営アパートはまるで「姥捨て山」
自宅は築10年の都営アパートの2階で 両親の介護の為に 50年も培ってきたコミュニティから2年前に引き剥がして 引越してきたのです。
このアパートは姥捨て山の様です 老人ばかりでほとんどの人が都営アパートの老朽化で取り壊しになって 単身者、夫婦と部屋のサイズで振り分けられ 親しい近所や町内の人達から引き剥がされた人達です。
そういえば 父はよく いつ家に帰るんだ と言っていた。
このアパートは 1フロア6世帯(単身者用3 夫婦用3)で14階建てで 住居は2階から14階、2階は母より高齢の一人暮らしの婦人が3世帯(毎日の様にヘルパーが来ている) 老夫婦が1世帯 母子家庭1世帯に 我が家という構成です。
地震直後 心配になり各家のインターホンを鳴らしました 母子家庭は不在だったがお年寄り達は全員無事でホッとした。
災害時に助けてくれる人はいない!
夕方 外の様子を見に階段を降りたら玄関のエレベーターの前に車椅子のお年寄りが2人いました 聞くと デイサービスから帰って来たところ とりあえず 福祉センターの人が12階へ行ってご主人と部屋の様子を見に行っているという。もう一人は 散歩中に地震に会いなんとか戻ってきて こちらも車椅子を押していたご主人が8階の部屋を見に行っているという。
母から電話があるかもしれないと思ったが 二人が降りてくるまで その場を離れる事はできませんでした 結局 福祉センターの青年がおぶって部屋まで二人をはこびました。
膝の具合が悪いのでといって車椅子さえはこべない自分が情けなかった。
確かに老人を一箇所に集めておけば 管理するには都合いいだろう
平常時は暮らしぶりや障害の状況など把握するには効率がよい
でも 災害時このアパートには助けてくれる人はいない!
老人ホームには職員がいる いても多くのお年寄りが犠牲になった
でも 職員達は必死に救助した 彼等がいるといないのでは・・・・・
壁にはひび割れが残っている
部屋に帰る時 廊下に細かいひび割れがたくさんあるのを見つけた
部屋に戻って調べるとベランダと外壁の境の所から上に外壁が10センチ位ひび割れているのを2ケ所みつけた。これがどの位危険なのかは知らない
でも このアパートにはエレベーターが止まれば避難出来ない人がいる事は知っている。
先日 からだの悪い妻と必死に逃げたが 津波にのまれ 手が離れてしまった と
瓦礫になった家の前でしゃがみこんでいる老人をTVが写しだしていた。
すみませんがアンケート2)は もう少し時間を下さい。 今日はもう限界!
以上宮崎からの第一報でした。
福島原発については、宮崎から次のメールが届き次第アップします。
皆様のコメントをお待ちしています。
(大輔)
あっこちゃんからのメール
数年前に大企業の中枢から飛び出して、いまではヨガのインストラクターとして毎日のように首都圏を飛び回っているあっこちゃん。最近は韓国やニューヨークにもヨガのネットワークを広げています。3月11日の午後3時少し前には中目黒にいたそうです。あっこちゃんの報告です。
揺れ始めたら3つ数える
あっこです。
3月11日地震のとき、私は中目黒にいました。ヨガ(インストラクターをしています)のクラスが終わった後、友人と妹の3人で食事をしていました。とってもお腹が空いていたので、3人ともがっつりとハンバーグ定食を食べてから、ずっとヨガの話をして、そろそろ帰ろうか・・・といいつつ、さらにおしゃべりを続けていた時です、めまいかと思ったら地震でした。
新しいビルのなかにいたので、免震構造によって揺れはあまり激しいとは感じませんでした。揺れを感じてから、心の中で1、2、3・・・とカウントしました。それは、関東大震災を経験した祖母から子供のころに聞いた、大地震は揺れ初めて3秒以内にずしんと大きな揺れに変わるから、3つ数えて大きくならなかったら、大丈夫・・・という言葉をずっと信じているからです。何の科学的根拠もないと思われる言葉ですが、いつも3つ数えることで気持ちは落ち着きます。今回も慌てることなく、揺れがだんだん大きくなる中で、みんなに「大丈夫」「大丈夫、新しいビルだから絶対に安全」と声をかけ続けました。
何時になったら終わるのかと思うくらい長い地震でしたが、これもまた以前サンシャイン60の上層階にある会社に勤めていたので、大きな揺れで船酔のような感じを覚えるくらい長い揺れも経験していましたから、恐怖感はなかったです。3人とも落ち着いていたのと、のんきな性格からか、きっとそのうち電車も動き出すだろう・・・としか思っていなくて、そのときはこんなに大きな災害になるとは思っていませんでした。
電車はストップ、バスに長蛇の列、トイレは30分待ち
友人が渋谷までタクシーに乗るというので、同乗し渋谷へ向かいました。そこにはすでにバス停に長蛇の列ができつつありました。電車はすべてストップしていたのですが、のんきな私は、4時から始まるヨガのクラスが渋谷であるので、電車を待つ間にヨガでもやろう・・・と友人を誘いスタジオに行くと、ビルは閉鎖されていました・・・。
なんとまあ、危機管理意識が低いのか・・・と今思い出すと恥ずかしくなります。結局約2時間、渋谷でも比較的新しいビルのマークシティの中で、温かい場所を見つけ、電車の運転再開を待ちました。6時を過ぎても動く気配がなかったので、妹の住む池袋に歩いて帰ることを決めて、その前にトイレに行くと、30分の長蛇の列。
渋谷では、買物する人あり、座って携帯で情報収集する人あり・・・いたって平穏な雰囲気でした。ワンセグでニュースを見ると、東北での被害、とりわけ津波による被害を目にして、とんでもない事が起こっているのだと知りました。
生きる力を高めたい
池袋に向かって歩き始めると、歩道を埋めつくす人、人、人・・・。のんびり歩く会社の仲間の集団、自転車に乗り急ぐ人、私たちのように早歩きをする人・・・みんなそれぞれのペースで新宿方面に向かいます。途中、東中野近辺のコンビニでトイレを借り、パンとスープで一息。コンビニの店員さんたちはとても親切で、道案内をしたり、お気をつけて・・・と声をかけるなど、温かい対応でした。ハンバーグ定食をがっつり食べていたせいか、疲れもあまり感じず、ハイペースで3時間弱歩いて、妹の家に到着。一息つきました。
私が経験した、震災の夜・・・都内は大きな被害もなかったことから、秩序も一定に保たれ、金曜日の夜になんとか家にたどり着きたいと思っている人達が、地図を手に黙々と帰宅の徒を進めていたのです。妹の家で、ダンナと落ち合い、電車が動き始めたのでなんとか家に帰ることができました。津波による被害をテレビ画面で見たときの驚きは、鮮明に心に残っています。自然の力、畏れと恐れ紙一重であると思い知らされました。
地震のあとヨガスタジオやクラスはお休みになっていたところが多いのですが、地元のクラスは翌日も通常通り行いました。こんなときだからこそ、私たちは元気でいることが大切です。自分が元気であれば、人を助けたり励ますことができます。今は、そのためにもヨガを行なうことで、私たちが本来持っている生きる力をより高められるようにできたらと思い、仕事を続けています。
福島原発事故に思う
それから原発・・・。私たちは危険と引き換えに、便利さを手に入れてきました。
なんとか収束に向かって欲しいと願うばかりです。家族の中で唯一の未成年である妹の息子は、すでに西に疎開しています。政府の対応を見ていると、友人や家族で協力して、自分たちを守るしかないと思っています。
今回の地震では、国内外の友人からたくさんのメッセージをもらい、またヨガの仲間とは連携して祈りを捧げる小さな行動も行いました。人のつながりのありがたさ、大切さを強く感じました。
荻大の仲間とのつながり・・・それぞれの体験をシェアすることにも大きな意味があると思っています。
Love & Light
以上あっこちゃんからの報告でした。
皆様のコメントをお待ちしています。
(大輔)
おらがさんからの返信
おらが写真館のおらがさんから返信がありました。黙々と歩いて帰宅する人の波が気味悪かったということです。おらがさん、もし写真があったら送ってください。
仕事場で遭遇~歩いて帰宅
仕事場で遭遇しました。大通りに面しているので、外を見てみると車が全て停車していました。そんな風景は初めてで、地震の大きさを感じさせられました。
その後は3時間かけて上野から自宅まで、14キロほどの道のりを徒歩で帰りました。
街道沿いを歩いたのですが、その間ずっと人波が途切れることなく続いており、皆が黙々と歩いていたのが印象的でした。それを日本人の気質といっていいのかはわかりませんが...。
地震に関して海外では日本人の国民性に対する賞賛の声が報道されており、この時期、皆に自信を持たせようという意図を除いても、気味悪さを感じます。
福島原発事故に思う
原子炉を冷却する電源が、送電線と予備電源の2系統しかなかったということに、大変驚かされました。原子炉はとにかく冷やさなければいけないものなのに、地震と津波でそのシステムがダウンするとは。
それで安全、安全と声高に叫んでいた東電、いや全国の電力会社の姿勢は恐ろしさすら覚えます。
そして、聞こえてくる「想定外」の声。ふざけんなよ、そんなことでごまかされるわけないだろ、甘く見るなよ。
ほかにも、余りにもレベルの低いマスコミ、特に週刊誌報道等をみると、それは取りも直さず、そんな記事を喜ぶと思われている我々の質の低下を表すものであり、情けなくなります。
どうにも感度の悪さを自覚するこのごろですが、原発の問題に関しては、事故の現状・対応と影響だけでなく、ひと段落ついてからの(つかなければ困ります)「その後」を注目しなければなりません。
責任逃れや「電気がなければ今の生活を維持できないぞ」というレベルの低い恫喝に惑わされないように、おのれを保たなければならないと感じています。
リビア情勢についても・・・
もうひとつ、地震に隠れてほとんど報道されないけれど、米英仏のリビア爆撃。
他国の領域を爆撃、ミサイルで攻撃することを正当化する理屈とは何なのか。こうなったらカダフィを潰すまでやらなければおさまらないだろうが、正義を平然と主張する「西欧」の心根に恐怖を覚えます。
とまあ、いろいろと思うことの尽きない今日このごろです。
以上おらがさんからの報告でした。
被災地の状況も原発の状況もまだまだ予断を許しません。
引き続き皆様からの報告やコメントをお待ちしています。
(大輔)
のりさんからの返信
「荒川に何か書いて欲しい」というのりさんの一言がきっかけで、このシリーズは始まりました。それに応えて荒川さんも原稿を寄せてくれました。事態は進行中なので今後もどんどん更新していきたいと思います。今回はのりさんからの返信です。
のりさんは職場で遭遇した
仕事場(NHKエンタープライズ)でパソコンに向かい『さらばモハメド・アリの時代』という番組の翻訳チェックをしていました。地震の瞬間は隣の机の本棚が"大崩壊"しそうになったので同僚と必死に支えていました。
福島原発事故に思う
福島第一原発の5基の原発がトラブルに陥り、しかもその時点での冷却機能が失われているのを見て背筋が凍り付き、「もし、事故が収束することがあったら、これからは原発がなくても暮らせる社会をつくるしかない」と思いました。
これまで電力の多くを原発に頼ってきたわけですが、たとえ想定を越えた津波であったにせよ、1回の災害で「東日本を放棄せざるおえない」ような"種の危機"を
招くのはリスクが多き過ぎます。「より安全な原発をつくるべきだ」との議論も聞こえてきますが、経済規模は小さくしても安全な社会をつくるべきだと思います。
以上のりさんからのメッセージでした。
皆様コメントをお寄せください。
(大輔)
◎100万キロワット級の原発を1年間運転したときに生まれる核分裂生成物の量(つまりは核燃料のなかにある放射能)放射能の量は全量で18万(10×15乗ベクレル)、摂取限度の約2500兆倍。このうち、希ガス(クリプトン、キセノン)は放射能の量で3.5%、摂取限度でゼロ(気体で体内には蓄積しないと考え摂取限度は定義されていない)ヨウ素は放射能の量で1.7%、摂取限度で3.2%。セシウムは、放射能の量で2.4%、摂取限度で12.2%。ストロンチウムは、放射能の量で2.4%、摂取限度で4.2%。そしてプルトニウム。放射能の量で33.9%、摂取限度で32.4%。3分の1はプルトニウム↑
机の下にもぐるとすぐに強い横揺れ。一瞬のうちに大きな地震であることが分かった。揺れが長く続き、少し収まった後も再びゆれだす。揺れの大きさがこれまで体験したことないものであることを認識。とても怖かった。コンクリート校舎なので、「このまま潰れたら死ぬなぁ・・・」と死をちょっと覚悟。
近くの教室からは叫び声や泣き声がずっと続く。しかし、我がクラスの子どもたちはかなり冷静で、叫ぶ子も無く、静かにしていた。ときおりしゃべる声が聞こえたので、「静かに!」と注意。この注意は2回か3回した。
しばらくすると校内放送があり、上履きのまま校庭に避難して並ぶ。学級ごとの人数確認がすぐに終わる。こういう場合、子どもたちは静かにしていることになっているのだが、結構うるさい。私の担任しているクラスはここでもおおむね静かだったが、他のクラスでは泣いたりしている子も。隣に並んでいる5年生はおしゃべりがうるさい。うーーむ。
全クラスの人数確認が終わり、校長が「私が長い間生きてきた中でも一番大きな地震でした」というようなことを子どもに話す。 と、ここで生徒指導主任の教員が子どもたちがうるさいことに対してやや長い時間を使って説教。 何人かの教員から「集団下校」をしたらどうか、という声が出始める。この「集団下校」の担当者は私。そこで、校長のところに行き、その提案をするとその場で「集団下校」が決定。
「オレンジメール」という名の携帯電話への一斉送信システムで保護者に「集団下校」を通知。しかし、このシステムは遅延が生じることがよくあり、また、携帯電話を登録していない保護者や、携帯電話を変えたり、メールアドを変更しても学校に連絡してこない保護者もいるのであてにならない。
そこで、校長が「電話連絡網でも連絡してください」と言う。が、職員室には少数の教員がいただけなので徹底されず。私はすぐにPTAの学級委員長に電話をした。 一旦、教室に戻り、帰りのしたくをすぐにして再び校庭に出る。今度は靴に履き替える。 校庭に出る際、他の教員が「こんなときに電話連絡網なんて言ったって、時間が無いよ」とぼやく。ごもっとも。 ここで再びクラスごとの人数確認。2年の4クラスはすぐに確認できたので、学年主任の私が校長に報告。
しかし、他の4つほどの学年がなかなか確認できない。その原因は、迎えに来た親がいたための混乱。 地震の大きさと「集団下校」の連絡を受け、保護者が続々と学校にやってきて子どもを連れ帰る。一応、担任に話してから帰るのだが混乱。
「3時20分に校庭に出て、3時30分に下校開始」という当初の予定は崩れ、3時40分頃?に下校開始。教員は「集団下校」訓練時に決められた通りに子どもたちと一緒に歩いて下校の安全を確認。
私の勤務校では、避難訓練が年3回、「集団下校」訓練も3回で計6回の訓練をしていて、逃げたり校庭に並んだりというのはかなりよくできました。だめだったのは「おしゃべり」。「泣き・叫び」は、まあしょうがないんだけどね。
机の下にもぐったとき「死」を意識しましたが、1号炉の爆発映像を見て再び「死」を意識しました。 原発はもう廃止して欲しいです。 これまで、反戦平和運動・労働組合運動にはかなり労力を注いできましたが、もし、このまま無事に生き延びることができたら、反原発運動にも労力を注ぎたいと思います。
これを書いている3月19日午後8時30分現在。関東地方でのテレビ映像のすべてで原発報道番組が無くなっています。 NHK総合は、マッキンリー登山、教育テレビは料理・・・。画面の枠には文字情報が流れていますが・・・・。 私としては原発ライブ映像を24時間流していて欲しいです。 (が、NHKの30キロ離れた距離からのテレビ映像は驚異的!! あんな距離からあれほどの映像が撮れるの??!!)
でもって、ほんとは群馬から避難したいんだけど、まだ学校が終わっておらず、このまま沖縄に逃げると生き延びることができると思うけど、もしも、原発事故が大きくならずに収束した場合、職場に戻れなくなることは確実。うーむ困った。
すでに、勤務校では、家族ぐるみで避難した子どもが私の知る限り1家族います。連絡帳で「なぜ前橋市は終業式を早めないのか?」というような苦情を学校に伝えてきた保護者も私の知る限り2名。 前橋市教育委員会からは教員向けに文書が出た。放射能について群馬県のHPに載っているものをほぼそのまま載せ、隅に手書きで「保護者からの問い合わせには数値をあげて・・・」と安全を強調するもの。
ところで、群馬は公共交通機関が貧弱で、車がないともうたいへん。で、、私の車の燃料残量メモリは残り2個。ガソリンスタンドは軒並み「品切れ」。うー。まあ、自転車通勤すればいいんだけど、この時期は花粉症がひどく、放射能も心配で・・・・・・。 以上です。