震災と津波と原発

またまた急な告知ですが、明日4月3日、蔵の映画会があります。
会場が狭くて(30人くらい)、入りきれるかということもあるのですが、どうぞ。

フクシマ・シンドロームに晒されているなか、「記憶の蔵」で一時、映像の中でニュークリア・クライシスについて考えてみようという企画。

◎谷根千・記憶の蔵「ニュークリア・シネマ」

・『脱原発 銀座デモ・パレード3月27日』映像ドキュメント制作(約7分)
・『ゾーンZONE〜核と人間〜』
・『ドキュメント・チェルノブイリ』高木仁三郎監修(16ミリ、22分)
  ↑荒川や吉川がつくったやつです

日時:4月3日(日)午後3時より
会場:谷根千〈記憶の蔵〉
 文京区千駄木5-17-3(映画保存協会の表札あり)http://www.filmpres.org/about
 児童公園の隣ですが、現在公園からは入れません。公園隣の居宅看護事業ステーションきょうわ(在宅看護協和会)左側の奥になります。 

ついで4月8日には白山のJazz喫茶「映画館」でも「ニュークリア・シネマ」があります。
こちらは「渚にて」をメインに。4月8日(金)夜7時〜
詳細は追って。

次ぎの東京の反原発デモは4月10日(日)に予定されています。
(会場など未定)

宮崎からの投稿~藤波心のブログ

みなさんは 藤波 心 という 13歳のアイドルをご存知ですか?
私は知りませんでした
深夜 ネットをさまよっているうちに彼女のブログに出会いました。

http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10833564288.html

http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html


(注:3月17日と23日の日記です。消されている場合はグーグルでキャッシュを開いて下さい)

13歳のアイドルが書いた事に驚いたが それ以上に
ストレートで無防備な意見や感想は 原発事故以来 一番私の
心に迫る文章でした。
長年芸能界と仕事をしてきた私は驚愕しました ブログという
システムは事務所も管理出来ないのか 老婆心ながら
アイドル生命を危惧しています 売名行為だ というコメントも
ありましたがリスクが高すぎて考えられません。

彼女のブログのコメント欄には したり顔の大人達が 非難し
罵倒し 説教しています (賛同の意見も載っています)

単純だろうが 危険な原発はいらない という意見を原点にして
知識を知恵に昇華させ発信していく。
この事を自分なりに考えていくつもりです。

荻大の仲間もこのサイトをご覧の方も 彼女のブログを読んで
もらいたくて投稿しました。

宮崎 

あした3月27日(日)に、東京では事故後初のデモ・パレードが行われるとの情報が入ってきました。
思いのある人は、ぜひ参加を。

●3月27日 銀座デモ・パレード

3月27日(日) 集合13:45、出発14:00
集合場所:銀座の水谷橋公園(ホテル西洋銀座・テアトル東京の隣)地下鉄銀座一丁目または京橋駅下車数分。解散は日比谷公園予定。

いつもは、『STOP再処理 LOVE六ヶ所 パレード』としてきましたが、今回は、福島原発震災発生のため、タイトルも変更してデモを行いたいと思います。横断幕やプラカードなど持って来て下さい。日比谷公園では短時間ですが、最新状況も報告します。

【行動の主催】再処理とめたい!首都圏市民のつどい
呼びかけ団体:原水禁国民会議(03-5289-8224)/プルトニウムなんていらないよ!東京(旧称 ストップ・ザ・もんじゅ東京)/大地を守る会/福島老朽原発を考える会/日本山妙法寺/日本消費者連盟/ふぇみん婦人民主クラブ/グリーンピース・ジャパン/原子力資料情報室/たんぽぽ舎

私はビデオカメラを持って行って、参加者から「いま一番に言いたいこと」ということで、いろんな声が集められたらと思っています。

来られる人は、現場でお会いしましょう。

荒川俊児

宮崎からの返信(2通目)

年老いた母親と二人で暮らす宮崎から2通目の返信がありました。13日にPCが壊れてしまったこともあって、テレビの震災・原発報道をつぶさにウォッチしてきたそうです。これまでドラマの制作スタッフとしてテレビ局の内部でも仕事をしてきた宮崎が、テレビ報道の裏話を交えながら語ります。

 

福島原発事故に思う

福島原発で作業員が被曝したニュースを見ながら書いています
NHK以外では取り上げ方が小さく解説もありません(18時のニュース)

私は 荻大の仲間の現状認識や意見に同意で付け加える意見はありません。

PCが壊れた為 地上波のTVを見つ続けました
この間 放射性よう素入りのまずいインスタントコーヒーを何杯も飲み雨にも濡れました
しかし後から危険性を知らされたら狼狽し怒り狂ったでしょう


最近ワイドショウを中心に 直ちに危険性の無いデータの発表が多すぎる 無用な恐怖を煽り風評被害を増長するだけだ という趣旨の発言が多くなっています。
民放は電源が通った(まだ全面的に稼動しいない)頃から事故は収束すると判断したのか 家族を失って悲しみに耐えている人に誘導質問して号泣させ 悲劇を嘆き事故現場の作業員を英雄と讃えても 現場の問題点や安全管理は伝えていない。

電力会社は バブル後最大級のスポンサーです。

ワイドショウは報道部では無くヴァラエティーに属します(NHKについてはしりません)
プロデュウサーはスポンサーに直接プレゼンテーションし スタッフは神経を使います。
スポンサーが降りたら番組は終わってしまい 契約スタッフは職を失います
スポンサーの影響力は絶大です 現在スポンサーで無くても電力会社を本質的に批判するのは無理でしょう


報道部にどの位影響力があるのかは私は知りません
しかしニュース番組で原発事故の報道の割合は短くなっています
ここ数日 NHKのニュースで 今すぐには問題ないと付けながらも 深刻な状態 を連発している 民放の報道が被災者の支援に急激にシフトしたのと対照的だ


これは慎重なNHKが変わったのでは無く 事態は好転していない と判断しているのではないか
作業員の被曝の危険性についても何回も言及していた 収束するにはまだ幾つもの高いハードルを越えなくてはいけない事を無視は出来ないと判断しているのか

以上がワイドショーのスタッフの隣で仕事をしていた私の率直な感想です。

ネットで情報を得たりTVなんてその程度だと思っている人には分かりきっている事を書きましたが まだまだ多くの人々がTVを視聴し ニュースよりもとっつきやすいワイドショーから情報を得ている中高年も多いいのです。

電力会社は 原発反対の人は 感情的 非科学的 悲観論者 少数 と断定し黙殺して来たと思います
これからは 停電を人質に大量エネルギー社会から後戻りはできないと訴えてくるのでは?
計画停電も不便な生活を刷り込み 夏には大規模な計画停電が避けられない

もうTVでは 原発は大丈夫だった 電源が津波にやられただけ 電源を津波の被害から会わない様にすれば安全 と言う 大学教授 

緊急事態だから綿密な調査などせず すぐに火力発電所をつくるべき と言う 専門家 

現場の決死の努力で収束したら日本は事故をバネにして 世界トップの原発先進国として邁進していける と言う みのもんた

ネットで自ら情報を得ている人との差は大きい(色々な意見があるけれど)
ネットについては ネットではデマやありえない事態になるなど いいかげんな情報が飛び交っています 政府や私たちTVが大丈夫と言っているんだから信じなさい。
ネットでいいかげんな事を言ってる人は出てこないんだよな と言う 小倉智明

原発推進の御用学者を選んでいるのはTV局の方で事故の深刻さを発言している専門家を一緒に出演させて両方の意見を聞くなんて番組は無い。

早く収束して元の生活に戻りたいと言う話はでても 今までの生活を見直そうと言う
話はこれまで一度も聞いた事は無い。

このような情報の洪水を浴びている多くの人々に 我々の意見を届ける画期的なアイ
ディアを私は思いつかない。 でもあきらめず自分なりに考えていこうと思う。

 

追伸

中国電力は福島原発の事故後も上関原発の建設工事を中止していなかった
地元住民の反対や町や県の要請で ようやく中断し
「当面、地元住民への説明に最優先で取り組む」そうだ
でもM9の地震を体験したばかりの国でM8.6の耐震性しかない原発を
どう説明するんだろう  (マーク・ラパポートのtwitter を見て)

 

 

以上宮崎からの返信2通目を紹介しました。

皆様のコメントをお待ちしています。

(大輔)




 

宮崎からの返信

デジタル化進行中の宮崎から返信がありました。地震の前後からメールを出しても返信が来なくなったので実は心配していましたが、今回届いた荒川さんの文章の中に「宮崎からの電話で起き出しテレビをつけると」という一文があったので、無事らしいということはわかっていました。彼は高齢の母親と二人暮らし。震災の時、高齢者をどうやって守れば良いのか・・・これもまた大きな課題です。

 

頭に降り注ぐCD

アンケート遅くなってすみません。
13日の深夜にPCが壊れてしまい 昨日の午後(3月21日)に おらが君が自分のPCを持って来てくれるまで PC無しの生活でした。

地震当日は自宅(東京都中央区)にいました。

レコード棚に入りきれないCDをレコード棚の上に天井近くまで積み上げていたので CDが降りそそぎ散乱しケースが大量に破損 襖には穴が3ケ所あきました
頭髪で防御できない私は痛みに耐えながら必死にレコード棚を押さえていました
幸い流血はなかったものの 揺れが長く何度もCDの直撃を頭部に受けました。

81歳の母親が外出していた

問題は母(要支援「2」の81歳)が外出している事でした。
弟夫婦が母の誕生日(3月2日)に花と一緒にプレゼントした 大好きなタンゴのコンサートに 叔母(78歳)の介添えで二人だけで 中野サンプラザに行っていました。

14時開演なので会場にはいるはずと思い 万一の為に持たせた携帯を鳴らしても つながりません、30分おきに掛けましたがダメでした。
TVでは九段会館の天井落下の事故も伝えていました、24時までに3回つながりましたが でてくれません。

24時過ぎに 疲れ果てて帰って来ました。バスを待つ長蛇の列に何時間も並び 何回も乗り継ぎ 大江戸線の春日までたどり着き 勝どき(最寄り駅)にようやく戻ってきたそうです。
車中では 若い人たちが素早く席を取り座っていたので一回も座れなかつたそうです。
「あの人たちも疲れていたのよね」 ポツリと母がいいました。

公衆電話は長蛇の列で並ぶ気がせず 携帯は気がつかなかったそうです。膝と腰が悪いのでエレベーターを使えず大変だったとおもいます。

 

都営アパートはまるで「姥捨て山」

自宅は築10年の都営アパートの2階で 両親の介護の為に 50年も培ってきたコミュニティから2年前に引き剥がして 引越してきたのです。

このアパートは姥捨て山の様です 老人ばかりでほとんどの人が都営アパートの老朽化で取り壊しになって 単身者、夫婦と部屋のサイズで振り分けられ 親しい近所や町内の人達から引き剥がされた人達です。
そういえば 父はよく いつ家に帰るんだ と言っていた。

このアパートは 1フロア6世帯(単身者用3 夫婦用3)で14階建てで 住居は2階から14階、2階は母より高齢の一人暮らしの婦人が3世帯(毎日の様にヘルパーが来ている) 老夫婦が1世帯 母子家庭1世帯に 我が家という構成です。

地震直後 心配になり各家のインターホンを鳴らしました 母子家庭は不在だったがお年寄り達は全員無事でホッとした。

 

災害時に助けてくれる人はいない!

夕方 外の様子を見に階段を降りたら玄関のエレベーターの前に車椅子のお年寄りが2人いました 聞くと デイサービスから帰って来たところ とりあえず 福祉センターの人が12階へ行ってご主人と部屋の様子を見に行っているという。もう一人は 散歩中に地震に会いなんとか戻ってきて こちらも車椅子を押していたご主人が8階の部屋を見に行っているという。

母から電話があるかもしれないと思ったが 二人が降りてくるまで その場を離れる事はできませんでした 結局 福祉センターの青年がおぶって部屋まで二人をはこびました。
膝の具合が悪いのでといって車椅子さえはこべない自分が情けなかった。

確かに老人を一箇所に集めておけば 管理するには都合いいだろう
平常時は暮らしぶりや障害の状況など把握するには効率がよい

でも 災害時このアパートには助けてくれる人はいない!

老人ホームには職員がいる いても多くのお年寄りが犠牲になった
でも 職員達は必死に救助した 彼等がいるといないのでは・・・・・

 

壁にはひび割れが残っている

部屋に帰る時 廊下に細かいひび割れがたくさんあるのを見つけた
部屋に戻って調べるとベランダと外壁の境の所から上に外壁が10センチ位ひび割れているのを2ケ所みつけた。これがどの位危険なのかは知らない
でも このアパートにはエレベーターが止まれば避難出来ない人がいる事は知っている。

先日 からだの悪い妻と必死に逃げたが 津波にのまれ 手が離れてしまった と
瓦礫になった家の前でしゃがみこんでいる老人をTVが写しだしていた。

すみませんがアンケート2)は もう少し時間を下さい。 今日はもう限界!

 

 

以上宮崎からの第一報でした。

福島原発については、宮崎から次のメールが届き次第アップします。

皆様のコメントをお待ちしています。

(大輔)

あっこちゃんからのメール

数年前に大企業の中枢から飛び出して、いまではヨガのインストラクターとして毎日のように首都圏を飛び回っているあっこちゃん。最近は韓国やニューヨークにもヨガのネットワークを広げています。3月11日の午後3時少し前には中目黒にいたそうです。あっこちゃんの報告です。

 

揺れ始めたら3つ数える

あっこです。
3月11日地震のとき、私は中目黒にいました。ヨガ(インストラクターをしています)のクラスが終わった後、友人と妹の3人で食事をしていました。とってもお腹が空いていたので、3人ともがっつりとハンバーグ定食を食べてから、ずっとヨガの話をして、そろそろ帰ろうか・・・といいつつ、さらにおしゃべりを続けていた時です、めまいかと思ったら地震でした。


新しいビルのなかにいたので、免震構造によって揺れはあまり激しいとは感じませんでした。揺れを感じてから、心の中で1、2、3・・・とカウントしました。それは、関東大震災を経験した祖母から子供のころに聞いた、大地震は揺れ初めて3秒以内にずしんと大きな揺れに変わるから、3つ数えて大きくならなかったら、大丈夫・・・という言葉をずっと信じているからです。何の科学的根拠もないと思われる言葉ですが、いつも3つ数えることで気持ちは落ち着きます。今回も慌てることなく、揺れがだんだん大きくなる中で、みんなに「大丈夫」「大丈夫、新しいビルだから絶対に安全」と声をかけ続けました。


何時になったら終わるのかと思うくらい長い地震でしたが、これもまた以前サンシャイン60の上層階にある会社に勤めていたので、大きな揺れで船酔のような感じを覚えるくらい長い揺れも経験していましたから、恐怖感はなかったです。3人とも落ち着いていたのと、のんきな性格からか、きっとそのうち電車も動き出すだろう・・・としか思っていなくて、そのときはこんなに大きな災害になるとは思っていませんでした。

 

電車はストップ、バスに長蛇の列、トイレは30分待ち

友人が渋谷までタクシーに乗るというので、同乗し渋谷へ向かいました。そこにはすでにバス停に長蛇の列ができつつありました。電車はすべてストップしていたのですが、のんきな私は、4時から始まるヨガのクラスが渋谷であるので、電車を待つ間にヨガでもやろう・・・と友人を誘いスタジオに行くと、ビルは閉鎖されていました・・・。

なんとまあ、危機管理意識が低いのか・・・と今思い出すと恥ずかしくなります。結局約2時間、渋谷でも比較的新しいビルのマークシティの中で、温かい場所を見つけ、電車の運転再開を待ちました。6時を過ぎても動く気配がなかったので、妹の住む池袋に歩いて帰ることを決めて、その前にトイレに行くと、30分の長蛇の列。

渋谷では、買物する人あり、座って携帯で情報収集する人あり・・・いたって平穏な雰囲気でした。ワンセグでニュースを見ると、東北での被害、とりわけ津波による被害を目にして、とんでもない事が起こっているのだと知りました。

 

生きる力を高めたい

池袋に向かって歩き始めると、歩道を埋めつくす人、人、人・・・。のんびり歩く会社の仲間の集団、自転車に乗り急ぐ人、私たちのように早歩きをする人・・・みんなそれぞれのペースで新宿方面に向かいます。途中、東中野近辺のコンビニでトイレを借り、パンとスープで一息。コンビニの店員さんたちはとても親切で、道案内をしたり、お気をつけて・・・と声をかけるなど、温かい対応でした。ハンバーグ定食をがっつり食べていたせいか、疲れもあまり感じず、ハイペースで3時間弱歩いて、妹の家に到着。一息つきました。

私が経験した、震災の夜・・・都内は大きな被害もなかったことから、秩序も一定に保たれ、金曜日の夜になんとか家にたどり着きたいと思っている人達が、地図を手に黙々と帰宅の徒を進めていたのです。妹の家で、ダンナと落ち合い、電車が動き始めたのでなんとか家に帰ることができました。津波による被害をテレビ画面で見たときの驚きは、鮮明に心に残っています。自然の力、畏れと恐れ紙一重であると思い知らされました。

地震のあとヨガスタジオやクラスはお休みになっていたところが多いのですが、地元のクラスは翌日も通常通り行いました。こんなときだからこそ、私たちは元気でいることが大切です。自分が元気であれば、人を助けたり励ますことができます。今は、そのためにもヨガを行なうことで、私たちが本来持っている生きる力をより高められるようにできたらと思い、仕事を続けています。

 

福島原発事故に思う

それから原発・・・。私たちは危険と引き換えに、便利さを手に入れてきました。
なんとか収束に向かって欲しいと願うばかりです。家族の中で唯一の未成年である妹の息子は、すでに西に疎開しています。政府の対応を見ていると、友人や家族で協力して、自分たちを守るしかないと思っています。

今回の地震では、国内外の友人からたくさんのメッセージをもらい、またヨガの仲間とは連携して祈りを捧げる小さな行動も行いました。人のつながりのありがたさ、大切さを強く感じました。
荻大の仲間とのつながり・・・それぞれの体験をシェアすることにも大きな意味があると思っています。
Love & Light

 

 

以上あっこちゃんからの報告でした。

皆様のコメントをお待ちしています。

(大輔)

おらがさんからの返信

おらが写真館のおらがさんから返信がありました。黙々と歩いて帰宅する人の波が気味悪かったということです。おらがさん、もし写真があったら送ってください。

仕事場で遭遇~歩いて帰宅 

仕事場で遭遇しました。大通りに面しているので、外を見てみると車が全て停車していました。そんな風景は初めてで、地震の大きさを感じさせられました。

その後は3時間かけて上野から自宅まで、14キロほどの道のりを徒歩で帰りました。
街道沿いを歩いたのですが、その間ずっと人波が途切れることなく続いており、皆が黙々と歩いていたのが印象的でした。それを日本人の気質といっていいのかはわかりませんが...。

地震に関して海外では日本人の国民性に対する賞賛の声が報道されており、この時期、皆に自信を持たせようという意図を除いても、気味悪さを感じます。

福島原発事故に思う

原子炉を冷却する電源が、送電線と予備電源の2系統しかなかったということに、大変驚かされました。原子炉はとにかく冷やさなければいけないものなのに、地震と津波でそのシステムがダウンするとは。
それで安全、安全と声高に叫んでいた東電、いや全国の電力会社の姿勢は恐ろしさすら覚えます。
そして、聞こえてくる「想定外」の声。ふざけんなよ、そんなことでごまかされるわけないだろ、甘く見るなよ。

ほかにも、余りにもレベルの低いマスコミ、特に週刊誌報道等をみると、それは取りも直さず、そんな記事を喜ぶと思われている我々の質の低下を表すものであり、情けなくなります。

どうにも感度の悪さを自覚するこのごろですが、原発の問題に関しては、事故の現状・対応と影響だけでなく、ひと段落ついてからの(つかなければ困ります)「その後」を注目しなければなりません。
責任逃れや「電気がなければ今の生活を維持できないぞ」というレベルの低い恫喝に惑わされないように、おのれを保たなければならないと感じています。

リビア情勢についても・・

もうひとつ、地震に隠れてほとんど報道されないけれど、米英仏のリビア爆撃。
他国の領域を爆撃、ミサイルで攻撃することを正当化する理屈とは何なのか。こうなったらカダフィを潰すまでやらなければおさまらないだろうが、正義を平然と主張する「西欧」の心根に恐怖を覚えます。

とまあ、いろいろと思うことの尽きない今日このごろです。

 

 

以上おらがさんからの報告でした。

被災地の状況も原発の状況もまだまだ予断を許しません。

引き続き皆様からの報告やコメントをお待ちしています。

(大輔)

のりさんからの返信

「荒川に何か書いて欲しい」というのりさんの一言がきっかけで、このシリーズは始まりました。それに応えて荒川さんも原稿を寄せてくれました。事態は進行中なので今後もどんどん更新していきたいと思います。今回はのりさんからの返信です。

 

のりさんは職場で遭遇した

仕事場(NHKエンタープライズ)でパソコンに向かい『さらばモハメド・アリの時代』という番組の翻訳チェックをしていました。地震の瞬間は隣の机の本棚が"大崩壊"しそうになったので同僚と必死に支えていました。

 

福島原発事故に思う

福島第一原発の5基の原発がトラブルに陥り、しかもその時点での冷却機能が失われているのを見て背筋が凍り付き、「もし、事故が収束することがあったら、これからは原発がなくても暮らせる社会をつくるしかない」と思いました。

これまで電力の多くを原発に頼ってきたわけですが、たとえ想定を越えた津波であったにせよ、1回の災害で「東日本を放棄せざるおえない」ような"種の危機"を
招くのはリスクが多き過ぎます。「より安全な原発をつくるべきだ」との議論も聞こえてきますが、経済規模は小さくしても安全な社会をつくるべきだと思います。

 

 

以上のりさんからのメッセージでした。

皆様コメントをお寄せください。

(大輔)



連日テレビをつけっぱなしにして、「最悪の事態」には陥らないでほしいと、いらだちながら祈る日々です。
これをアップしている3月19日夜、福島原発では3号機への放水作業がつづき、周辺自治体の自主避難がつづいています。

この間、私がかかわっている映像ドキュメントのメーリングに2回、福島原発事故をめぐって日々のことを書いたので、それをここにアップすることにします。長文だけど。

私は原子力の専門家ではないし、原発や放射能のことを勉強したのはチェルノブイリ原発事故のときのこと。正確ではないところや、私が間違って理解しているところもあると思う。それぞれの時点で考えたことを書いたので、その後の発表から修正すべきところもあるはず。そのつもりで読んでほしい。
わかりにくいところもあるので、そのへんは質問してくれたらできるだけ答えます。

荒川俊児


●福島原発事故をめぐって 第1信(3月15日昼記)

荒川です。この数日間、仕事も手につかない状態で、テレビをつけっぱなしにして、福島原発がどうなるかばかり気にしていました。(まあ仕事に追われていないということもあるのですが。仕事がばたっととまった)
ことの深刻さに見入り、いらだつばかりで、やっと福島原発について考えをまとめようとはしはじめたのですが、この事態のなかでいま何が言えるのか、さらには何ができるのか、まだすっきりはしていません。まあ、ともかくこの間のことを書いてみます。

3月11日(金)

福島原発は地震の直後に自動停止はしたのですが(核分裂はとまった)、その日の夕方近くに非常用ディーゼル発電機の一部が動かないという話が出て、その後、すべてが動かなくなったと報道されたときには、ショックというのか、なんとも言いようのない気持ちになりました。

核分裂はとまっても熱は残っているし、発電によって燃料棒のなかには核分裂生成物(死の灰ともいう)が大量に生まれていて、それは崩壊をつづけるので熱を発する。だから崩壊がおちつき冷めるまでは、給水ポンプをまわしつづけ、冷却しないとならないのです。
ところが停電でポンプがとまり、さらには非常用発電機も動かなくなったというのです。

もし冷却できないとなると、その熱で核燃料が溶け始め、つまり炉心溶融(メルトダウン)が起こり、さらには内部の圧力上昇などで原子炉容器が壊れでもすれば、核分裂生成物、つまり放射能(放射性物質)が次々と外に出てしまう。その壊れ方が爆発的なら、チェルノブイリ原発事故と同じような事態になるわけで、そうなるとほとんど打つ手はなく、「最悪の事態」です。
だからそれを避けるには、なんとしても炉心を冷却するしかないのです。

3月12日(土)

3月11日の夜中、発電車が到着したという報道を聞いて、一安心と思ってこの日は寝たのですが、翌12日になると事態は収まるどころか悪い方向へ向かってました。
いったい電源車はどうなったんだと怒鳴りたくなったのだけど、冷却装置が働かず圧力制御ができず、内部の水蒸気を放出するという話になっているのだった。

午後2時すぎには1号機の周辺でセシウムを検出。本来セシウムは燃料棒のなかにおさまっているべき核分裂生成物で、つまり燃料棒の一部が損傷していた。それが外に出たということは、外へ漏れ出すルートもできてしまったのか、それともすでに放出されていたのか。

そうこうするうちに5時ごろだったか、午後3時36分に福島第一の1号で爆発が起こったという話。日テレがその場を遠くから撮っていて、見るとすごい勢いで爆発している。
原子炉は大丈夫なのかと思ってはらはらしているところにやっと夜9時前、枝野官房長官の会見で格納容器の破損はないという話。
そして1号炉を海水で満たすことを決めたという。
海水で満たすということは、この原発は二度と使えなくなるわけで、それでもやるとすれば冷却用の水がもうなくなっているのだろうか。

夜10時には、TBSが周辺住民が被ばくしていたことを報道。福島第一から約3.5キロの双葉高校グランドで避難ヘリを待っていた双葉厚生病院の患者たちが1号の爆発を目撃、ヘリが来ないので病院に戻り被ばくをチェックしたら、調べた3人のうちすべてが除染が必要なレベルだったという。
この爆発による被ばくの可能性もあるが(のちの報道で爆発の衝撃というのか圧力をかんじたという)、すでに放射能入りの水蒸気の放出は行われていたので、この爆発以前にも相当量の放射性物質が周辺に放出されていた可能性も高い。

その後、1号機の海水注入作業が進められているのだか、どうなっているのかわからないまま明け方5時半、原子力安全・保安院の記者会見で海水注入はできて、このまま海水の供給が続けば問題はないと発表される。
が、このとき裏方からペーパーが届いて読み上げられたのだが、福島第一の3号で「全給水流出」が起こったという。
ええ?なんで、と思っていると記者から、電源車は何台も入っていましたよね?といった質問。答えを聞いて驚いた。「電源車は2号を優先して3号にはついていない」。なんでなんだ。

3月13日(日)

翌13日は昼前に映像ドキュメントの桜井さんの電話で起き出し、テレビをつけるのだが‥‥、こんどは3号が危ないという話になっていた。明け方の保安院記者会見で出た話が進行していた。
発表されていなかったのだが、3号機は夜中の3時前には冷却機能をすべて失っていて、こちらも水蒸気の放出と注水を進めるという話。
この3号機は、プルトニウムを燃料にして燃やすプルサーマルという危ない発電を実施している原子炉。つまり燃料棒にはウランだけではなく、プルトニウムもつまっている。
事故当初から原発の事情を知る人たちのあいだでは、3号機だけは何も起こらないでほしいと話が出ていた原子炉。(昨年9月23日より発電開始)

午後2時半ごろには、東北電力の女川原発で異常な放射線値を測定したとの発表。
異常値が出たのは前日夜11時ごろからで、最大値は通常の約700倍とのこと。
推測だけど、前日の1号炉の爆発のときに上空にまきあげられた放射能が風に乗って約120キロ、7時間半かかって女川原発にたどり着き始めたということだろう。

この日は、周辺住民の被ばくが次々と明らかになり、人への除染作業が始まったことが伝えられる。
その影響が広がるのを恐れているのか、不安をあおらないという方針なのか、テレビのコメンテーターにしても解説者にしても、「不安はない」「問題はない」といった発言ばかり。ウソつくなと、腹立つばかり。あおる必要はないけど、事実は事実としてきちんと語るべきだ。

よく語られるのが「直ちに人体に影響をおよぼすレベルではない」「健康に影響が出る被ばく量ではない」というやつ。「被ばくと言っていいのかどうか、被ばくではなく、服が汚染されただけ」なんて言いだすやつもいるし、「レントゲンで受ける被ばく線量に比べるとたいしたことはない」、「東京ニュ─ヨーク間の航空機に乗れば受ける程度」とか。

確かにすぐに目に見える障害(急性障害)が出るレベルではない。除染も行ったわけで、その意味で、「直ちに人体に影響をおよぼすレベルではない」はウソではないけど、時間がたったらどうなのか? 時間がたってから出る障害(晩発性障害、ガンや白血病)は、受けた被爆線量に応じてある確率で必ず出るのだから、「急性の障害は出ないけど、長期間たってからの障害はわからない。何年かたってからガンや白血病になる可能性はある」と語るべきなのだ。(被爆線量に応じてガン白血病発症の確率は一応計算できる)

胃へのレントゲンは身体の一部(胃)に対しての照射で、全身への被曝ではないから、同列に比較するのはまずいと思う。全身への被曝に換算するとその何分の一かになるはず。それとも全身に換算した数字を出しているのだろうか。

しかも単位の混同があって、この日、福島第一原発の境界で測定された1000マイクロシーベルト/時というのはとんでもない線量なのに、公衆の被曝線量の限度は1000マイクロシーベルトだから同じ程度なんて言う人までいた。

公衆の線量限度は1年間に受ける累積の線量限度を決めたもので、一方いま語られているのは1時間あたりの値。もし福島原発の境界にいたなら、たった1時間で年間の線量限度に達するというレベル。そこに10時間いればその10倍もあびてしまう大変な数値なのだが‥。それで解説者といえるのだろうか。
(ちなみに、福島原発の事故前の通常値が0.04マイクロシーベルト/時。5マイクロシーベルト/時が原子力災害対策特別措置法で「異常事態」を通報すべき値で、500マイクロシーベルト/時は「緊急事態」を通報すべき値)

水蒸気の放出にしても「弁が開いてガスの放出に成功しました」なんて語っているが、それは放射能放出に「成功」したということなのに。
どれだけの放射能が放出されたのか、記者は問おうとはしないけれど(いまわからないかもしれないけど質問したっていいだろう)、放射能放出は1基ではないのだから、根拠のない推測をしてしまえば、スリーマイル原発事故をすでに超えている気がする。

この日、3月13日に広河隆一さんと日本ビジュアルジャーナリスト協会の計6人が現地に入ったところ、福島第一原発から約4キロの双葉町役場玄関(10時20分)、双葉厚生病院(10時30分)と、両地点とも1000マイクロシーベルト/時まで測れる測定機の針が振り切れたと伝えられる。
OurPlanet-TVのYouTubeチャンネル(http://www.youtube.com/watch?v=IqqLU4q1dBg)

4キロ離れてそれだけ出て、女川原発の120キロでも検出できてしまう、今日14日には「救援」に来たといわれる米軍ロナルド・レーガン号までもが放射能を検知して北へ移動した(要するに逃げた)というのだから、かなりの放射能が出ていると理解すべきだ。そのうちロシアも検出したと発表するときがくるのかもしれない。
まだ雨が降らないだけ幸いで、雨が降ったら上空の放射能は落ちてきてもっとひどいことになる。

ネットで調べると、『朝日新聞』が16時30分付で、東電社員2人が不調を訴え搬送されたことを伝えている。1号、2号機の中央制御室で全面マスクを着用して作業中だったという。
考えてみるとあの現場で働いている人たちのことはまったく伝わっていない。いったい何人の人が、どのような態勢で対処しているのかといったことが記者会見で質問されるのは見たことがない。

放射能入りであっても原子炉が圧力で壊れないようガスを放出し、海水を注入して炉心を冷やし炉心溶融を少しでも抑えるのは、「最悪の事態」を避けるため。私もほかに方法はないだろうと思うし、現場の職員たちが命がけで努力しているのを想像すると、なんとかやりとげてほしいとしか言えない。
でも東京電力にしても保安院にしても記者会見に出てくるお偉いさんたち、少しは謙虚に語れと言いたい。マスコミもそれに乗っちゃまずいだろう。もっと追及すべきだし、あとになって、避難した人たちは戻れないとなったらどうする気なんだ。ちょっとあつくなってますが‥。

3月14日(月)

そして今日3月14日、こんどは3号機が爆発した(午前11時)。あとで現場の映像を見たが、1号機のとき以上の爆発力で、白煙がほぼまっすぐと上空に向かい、かなりの高さまであがっている。
午後5時ごろには2号機も冷却機能喪失という発表。はじまりは外部電源がなくなったためだという。またもや発電車だ。

福島第一原発は、1号、2号、3号が自動停止して、そのすべてがいまなお「最悪の事態」をかかえている。
そして第一原発の陰に隠れて注目されていないけれど、福島第二原発も1号、2号、3号、4号が自動停止し、うち冷温停止にいたり安定したのは3号だけ。内部ガスの放出も行っているようだし、ポンプが故障したという話も断片的に伝わってきたりする。(いまネットで調べたら、1号、2号はポンプが再稼働し冷温停止したとのこと。一安心。4号はポンプを修理しているという)

と書いたのは昨日というか今日の明け方。
で、起きた3月15日昼。事態は大変なことになっていた。

動いていなかった4号で爆発音がして火災。2号でも爆発音がして圧力抑制プールが破損、つまり格納容器の一部が破損。3号機周辺で40万マイクロシーベルト/時が出て、30キロ圏が屋内待避。東京、埼玉、神奈川、千葉でも放射能が検出されているという。


●福島原発事故をめぐって 第2信(3月17日記)

荒川です。前回のつづきをとは思ったのですが、次々と悪いことが起こり、何をどう書いたらいいのやら‥。

3月15日(火)

まず一昨日3月15日に起こったことであげるなら、最大の問題は、運転していなかった4号機までが爆発(朝6時ごろ)と火災を起こしたこと。
建屋外壁に8メートル四方の穴が2つあき、白煙(水蒸気)があがっている。使用済み核燃料を入れていたプールの冷却ができなくなり、水素が発生し爆発したもようという。原子炉だけでなく、使用済み核燃料までもが‥。

地震直後からプールの循環がとまっていて、前日14日04:18には84℃に達していたというのだから、なぜ放っておいたのだと腹立ちがおさまらない。

これはこれまで以上に深刻で、使用済み核燃料には発電によって生まれた核分裂生成物(放射性物質=放射能)が大量に入っていて、しかも、過去に運転した核燃料が何百体と入っている。さらに、プール内では水に覆われている(覆われていた)だけで、外気に解放されている。

いま海水を入れてなんとか冷却しようとしている原子炉内の核燃料は、それでも圧力容器と格納容器に覆われている(すでに格納容器の損傷も起き放射能を放出しているにせよ)わけだが、使用済み核燃料になにかあれば、そのまま外気に出てくる。
しかも圧力容器内の燃料と違って、こっちには制御棒がささっていない。
そして最大の問題は、そこにある核燃料の数だ。破損・溶融が起こったときの放射能放出量は、桁違いの話になってくる。

いま正確な数がみつからないけど、4号機のプールには783体入っていて、うち約130体が交換直後という話があるので、ざっと6基分の使用済み核燃料がそこにあることになる。

使用済み核燃料のなかには、報道によく出てくるヨウ素、セシウム、ストロンチウムのほか、プルトニウムも含まれている。
以前のデータがあったと思って調べたら以下のデータをみつけた。放射能の種類ごとに細かく書いてあったのだけど、要点だけ。

◎100万キロワット級の原発を1年間運転したときに生まれる核分裂生成物の量
(つまりは核燃料のなかにある放射能)

放射能の量は全量で18万(10×15乗ベクレル)、摂取限度の約2500兆倍。
このうち、
希ガス(クリプトン、キセノン)は放射能の量で3.5%、摂取限度でゼロ(気体で体内には蓄積しないと考え摂取限度は定義されていない)
ヨウ素は放射能の量で1.7%、摂取限度で3.2%。
セシウムは、放射能の量で2.4%、摂取限度で12.2%。
ストロンチウムは、放射能の量で2.4%、摂取限度で4.2%。
そしてプルトニウム。放射能の量で33.9%、摂取限度で32.4%。
      3分の1はプルトニウム↑

翌3月16日には、4号機の使用済み核燃料プールだけでなく、14日の爆発で建屋上部が吹き飛んだ3号機でも白煙(水蒸気)があがり、3号機のプールも危ういという。(3号には514体、4基分の使用済み核燃料)
4号も3号も燃料プールが沸騰していしているという(それが水蒸気になるから白煙として見える)。3号の圧力容器内の燃料棒にはウランだけではなく、前回に書いたようにプルトニウムもつまっている。

いま必死になってヘリコプターやら放水車やらで水を入れようとしているのは、上のような放射能が放出する事態が考えられるからで、抑えられないと桁違いにやばい、ほんとに「最悪の事態」。

戻って3月15日に起こったことでもうひとつあげると、2号機でも爆発音(朝6時14分)がして、圧力抑制プールの一部が破損したこと。
圧力抑制プールというのは格納容器の一部で、3気圧が1気圧になったというから、格納容器は外とつながったことになる。
核燃料の入っている圧力容器はまだ保っているようだが、圧力容器から出た放射能は格納容器に出て、さらには外部へと出っぱなしになる可能性が高い。海水を送り込んでも、流れ出てしまう可能性もある。
(翌3月16日午後には、2号機につづき3号機でも圧力抑制プールの圧力が低下、同様の事態に陥った可能性が伝えられる)

3月15日午前の枝野長官の記者会見では、3号機付近で400ミリシーベルト/時が出たことを発表。つまりは40万マイクロシーベルト/時。
このときは枝野長官もケタが違うことを指摘して「人体に影響をおよぼすレベルであることは間違いない」とはっきり語った。
このとき30キロ圏の屋内待避を発表。屋内ではなく、ちゃんと圏外へ避難させろよ。

原発の周辺の放射線が高く、作業がむずかしくなっていることも伝えられる。
夜中には、厚生労働省が事故に対処している作業者の被爆線量限度を250ミリシーベルトまで引き上げると発表。
(従事者は1年で50ミリシーベルト、5年で100ミリシーベルト以内となっていて、国際的には事故対応時には500ミリシーベルト以内となっている)

この日3月15日には、福島県いわき市、茨城県北茨木市、栃木県宇都宮市、群馬県前橋市、埼玉県さいたま市、東京都、神奈川県横須賀市と、つぎつぎと放射線が測定されたことが明らかになった。
そのほとんどが空間放射線値で、それをひき起こす放射性物質の種類がわからないのだが、東京では微量のヨウ素とセシウムが検出されたという。
これらは3月14日11:01の3号機の爆発でまきあげられた放射能だと思える。

それで東京にいてもいいのかという話も出始めるのだが、そのことはあとでまとめて。

3月16日(水)

翌3月16日、昨日は昼過ぎ、宮崎からの電話で起き出しテレビをつけると、いったいどうなっているのだこれは?。
テレビで現場の映像が出たのだが、3号からは白い煙がもくもくと上がり、2号の海側の壁の穴からは灰色がかった煙が上がっている。

15日のところで書いたが、4号につづき3号でも使用済み核燃料プールが沸騰して、使用済み核燃料があやういという。

夕方近く、自衛隊ヘリコプターによる空中からの海水散布が準備されるが、放射線量が高いとやめてしまう。
事故対応には250ミリシーベルトとなったはずなのに、自衛隊は50ミリシーベルトなんだそうだ。
時間とのたたかいになっていて、時間がたてばたつほど使用済み核燃料は沸騰する水の中で損傷していくわけで、そうなれば250ミリシーベルトどころではなくなるのに。

3時すぎに事務所に行くと、川原さんがやってきて、夕方には吉川もやってきて話になる。
森まゆみさんからも電話がかかってきて話。森さんは仕事先の九州にいて、娘に避難しなさいと話しているという。

避難するか避難しないかは、特に東京のように少しは離れている場所では(といっても230キロ)、こうすべきと語るのがむずかしい。最終的にはひとりひとりが判断して、自分でどうするか決定することだと私は思う。
現在の東京の放射線量で避難する必要はないけど、「最悪の事態」になった場合には、東京でも避難が必要になるかもしれない。そのときには、逃げようはないと私は思っている。いまのうちに避難できる人は(特に若い人は)東京を出るというのは、ひとつの選択肢だと思う。

1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故は、爆発を起こして炉心がむき出しになるという、史上最悪の原発事故だった。爆発によって放射能は風にのってヨーロッパを襲い、日本にも放射能が降った。炉心がむき出しになったことで、その後も放射能は継続して放出された。
それから25年たったいまでも、チェルノブイリ原発の30キロ圏は居住禁止(永久立入禁止)となっているし、250〜300キロ離れた地域にも広大な立入禁止地域ができている。(風による放射能の流れと、そのときに降った雨が高汚染地域を決めたのだと思う)

菅首相は「チェルノブイリとは違う」などと語ったが、福島原発だって格納容器が壊れ、圧力容器も壊れて、炉心がむき出しになれば、放射能は大量に出てくる。それが爆発的なら、上空にあがって、風にのってチェルノブイリであったのと同じように広範囲に広がる。
しかも、使用済み核燃料はいまなお冷却ができていないわけで、すでに書いたようにこっちは外気に解放されていて、なにかあれば炉心がむき出しになったと同じこと。4号で6基分あり、3号には4基分ある。1、2号機にも使用済み核燃料が貯められている。
つまり放射能の量でいえば、福島原発では"数十基分"の原発事故が進行している。チェルノブイリどころではない。

◎放射線量をどう考えたらいいのか

放射線量について、その数値をどう考えたらいいのか、ひとりひとりが判断する材料を書いておくと‥

公衆の被曝線量の限度は、累積で年1000マイクロシーベルト=1ミリシーベルトと決められている。

この数値ならいいのかどうかはおいておいて、また空気中に浮遊する放射性物質を内部に取り込まないという前提で(内部に取り込むとその後、体内被曝がつづく)、計算の方法を書くので、それぞれの人が計算してほしい。

◎何日で公衆の限度に達するのか

年1000マイクロシーベルトというのは累積なので、もし報道で1マイクロシーベルト/時と伝えられるなら(毎時の線量なので)、1日あたりの被爆線量は1× 24時間=24マイクロシーベルト。
累積の1000マイクロシーベルトに何日で達するのかは、
1000 ÷(1マイクロシーベルト × 24時間)=42日
つまり、同じ放射線量がずっとつづくならそこに42日間いると、法律が定める限度に達する。

10マイクロシーベルト/時なら、1000 ÷(10マイクロシーベルト × 24時間)=4日。つまり同じ放射線量のなかで4日間いると、法律が定める限度になる。

20マイクロシーベルト/時なら、1000 ÷(20マイクロシーベルト × 24時間)=2日。つまりそこに2日間いると、法律の定める限度に達する。

実際には時間とともに変動するので、正確には1時間ごとの数値を足していくのだけれど、ここではざくっと把握すればいいので、朝と夜で変わったら、そのまんなかあたりで計算。
これは数値が上がったときで、平常値なら、1000に行くことはないです。350くらい。
(別の単位もあって、マイクログレイ/時=マイクロシーベルト/時で計算)

15日に東京で出た0.4マイクロシーベルト/時というのは、平常が0.03〜0.04だから約20倍で、たしかに異常だけど、1000に達するのは52日間それがつづいたときで、今回は1日で風向きがかわって太平洋沖に流れていった。

呼吸などでとりこんだ内部被ばくのことをいう人もいるけど、このレベルでは考えてもしょうがないと思う。内部被ばくは、いまは原発周辺の人たちが問題で、東京では食品の汚染が出たとき。

人に勧める気はないけど、私の個人的な目安は東京で1マイクロシーベルト/時が出たときと、5〜10マイクロシーベルト/時が続くとき。

被ばくはしない方がいいに決まっているし、公衆の被曝線量限度というのも引き下げた方がいいと私は思っているので、人にこうしたらいいと勧める気はないです。上のことはあくまで目安としてあげたと受けとめてください。あとは自分で計算して、私は法律の半分とか、特に子供や赤ん坊は最低限に抑えようとか、自分で判断することです。

◎まずは周辺住民を避難させるべき

問題は東京ではなく、周辺の人たちだ。

この間、福島県では3月15日から南相馬市(30キロ圏内)で20マイクロシーベルト/時、福島市で23マイクロシーベルト/時といった数字が明らかになって、それは多少減りつつも、17日現在もつづいている。

先ほど、17日23時すぎのNHKでは、各地の測定値が地図上で示され、福島は12.3マイクロシーベルト/時と出ていて、このときに解説者は「福島市にしても、だいぶ高いけど問題はない」などと言っていた。ほんとにひどいと思う。
福島市ではもう2日続いているわけで、明日には累積で法律が決める1000マイクロシーベルトに達してしまう。

私はまずなによりも屋内待避中の30キロ圏の人々を避難させてほしい思う。すでに空気中にはヨウ素やセシウムも出ていると思えるので、内部に吸い込まない手立てをとって。
そして避難範囲を拡大し、1000マイクロシーベルトに達しそうなところから、順次避難させてほしい。
法律が1000マイクロシーベルトと決めているのだから、法的にも国が率先してやるべきことだ。
そして想像したくはないけど、「最悪の事態」のときのことを考えたら、近い人からともかく避難させるべきだ。

米国が80キロ圏の米国人に避難勧告をしたのは、だから根拠のないことではない。彼らなりのデータ分析を行った結果だと思う。まあ、帰るところがあるなら、無理にいる必要はないわけだし。

3月17日(木)

そして今日3月17日。昨夜は庄屋に明け方まで飲みに行ったこともあって、ぐっすり寝入って3時すぎになって起き出したのだけど、ともかく白煙だけは見えなくなっていた。(白煙があがるということは、放射能がそれといっしょに上空にあがり、広範囲にまき散らされるということ)
午前中に自衛隊のヘリコプターによる放水があって、夕方には警察の高圧放水車の放水、自衛隊の消防車の放水があるという。
そして事務所に出て、これを書き始めた。

今日驚いたというか、日本でもやってほしいと思ったのは、ドイルのシュピーゲル紙のサイト。
福島原発から出た放射能が、どのように拡散していたかをシュミレーションして、動画にしている。
記事部分(http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/0,1518,750988,00.html)から地図をクリック。

3月12日15:36(地図上では時差が8時間?あるようだ、ドイツ語わかる人は教えて)の1号機の爆発では、放射能は北へ宮城、岩手を通って東の太平洋に向かったが、14日11:01(地図で3:00)の3号機の爆発以後には風向きが南へと変わっていき、15日02:00(地図で18:00)ごろには東京に到達。これが東京で測定されたわけだ。そして静岡の浜岡原発あたりまで覆い、その後、風の向きが変わって、16日16:00(地図で08:00)には太平洋へ流れていった。17日14:00(地図で6:00)まで。

何を根拠にこれが出ているのか不明で、ドイツ語がわかる人は教えてほしい。

遠くのドイツで、限られた情報をもとにしてこれだけのことができるのに、なぜ日本ではできないのだろうか。遅れてでも公開されるなら役立つと思うのだが。
順次更新されているようで、いま見たら18日14:00(地図で06:00)まで出ていた。半日ぐらいでサイトに反映されている。
誰か日本の気象庁、気象学者でこれができる人はいないのだろうか。

17日未明の東電の記者会見で、送電線の設置を準備しているとの話あったという。すべては非常電源が使えなかったことに始まるんだから、電源を復活させるのは最優先課題のひとつ。とっくに始めていたんじゃなかったのか。腹の立つ。

放水は始まったが、3号、4号の核燃料プールはいまだおさまっていない。

荒川俊児

追伸:映像ドキュメント.com(http://www.eizoudocument.com/)の方でも発信をはじめました。
こいぶーさんはその時生徒たちの前にいた

群馬のこいぶーさんから返信がありました。
こいぶーさんは群馬県で教師をしています。
震災の瞬間にはクラスの中で生徒たちを前にしていました。

机の下に入って、机の足を持って!

小学校の校舎2階の教室内。5時間目が終わり、そろそろ放課という時刻。私は子どもの前に立っていました。地震発生直後に3~4人の子が「揺れてる」「地震だ」とそれほど深刻な表情ではなく言った。私もその直後に揺れを感じたので、いつもの避難訓練と同様に「机の下に入って」と言う。私は事務机の下に、子どもたちは児童用の机の下に。その後「机の脚を持って!」と声をかける。 

机の下にもぐるとすぐに強い横揺れ。一瞬のうちに大きな地震であることが分かった。揺れが長く続き、少し収まった後も再びゆれだす。揺れの大きさがこれまで体験したことないものであることを認識。とても怖かった。コンクリート校舎なので、「このまま潰れたら死ぬなぁ・・・」と死をちょっと覚悟。 

近くの教室からは叫び声や泣き声がずっと続く。しかし、我がクラスの子どもたちはかなり冷静で、叫ぶ子も無く、静かにしていた。ときおりしゃべる声が聞こえたので、「静かに!」と注意。この注意は2回か3回した。 

人数確認〜集団下校を決定

しばらくすると校内放送があり、上履きのまま校庭に避難して並ぶ。学級ごとの人数確認がすぐに終わる。こういう場合、子どもたちは静かにしていることになっているのだが、結構うるさい。私の担任しているクラスはここでもおおむね静かだったが、他のクラスでは泣いたりしている子も。隣に並んでいる5年生はおしゃべりがうるさい。うーーむ。 

全クラスの人数確認が終わり、校長が「私が長い間生きてきた中でも一番大きな地震でした」というようなことを子どもに話す。 と、ここで生徒指導主任の教員が子どもたちがうるさいことに対してやや長い時間を使って説教。 何人かの教員から「集団下校」をしたらどうか、という声が出始める。この「集団下校」の担当者は私。そこで、校長のところに行き、その提案をするとその場で「集団下校」が決定。

 迎えにくる保護者で少々混乱

「オレンジメール」という名の携帯電話への一斉送信システムで保護者に「集団下校」を通知。しかし、このシステムは遅延が生じることがよくあり、また、携帯電話を登録していない保護者や、携帯電話を変えたり、メールアドを変更しても学校に連絡してこない保護者もいるのであてにならない。 

そこで、校長が「電話連絡網でも連絡してください」と言う。が、職員室には少数の教員がいただけなので徹底されず。私はすぐにPTAの学級委員長に電話をした。 一旦、教室に戻り、帰りのしたくをすぐにして再び校庭に出る。今度は靴に履き替える。 校庭に出る際、他の教員が「こんなときに電話連絡網なんて言ったって、時間が無いよ」とぼやく。ごもっとも。 ここで再びクラスごとの人数確認。2年の4クラスはすぐに確認できたので、学年主任の私が校長に報告。 

しかし、他の4つほどの学年がなかなか確認できない。その原因は、迎えに来た親がいたための混乱。 地震の大きさと「集団下校」の連絡を受け、保護者が続々と学校にやってきて子どもを連れ帰る。一応、担任に話してから帰るのだが混乱。

無事に集団下校が完了 

「3時20分に校庭に出て、3時30分に下校開始」という当初の予定は崩れ、3時40分頃?に下校開始。教員は「集団下校」訓練時に決められた通りに子どもたちと一緒に歩いて下校の安全を確認。 

私の勤務校では、避難訓練が年3回、「集団下校」訓練も3回で計6回の訓練をしていて、逃げたり校庭に並んだりというのはかなりよくできました。だめだったのは「おしゃべり」。「泣き・叫び」は、まあしょうがないんだけどね。 

福島原発事故に思う

机の下にもぐったとき「死」を意識しましたが、1号炉の爆発映像を見て再び「死」を意識しました。 原発はもう廃止して欲しいです。 これまで、反戦平和運動・労働組合運動にはかなり労力を注いできましたが、もし、このまま無事に生き延びることができたら、反原発運動にも労力を注ぎたいと思います。 

これを書いている3月19日午後8時30分現在。関東地方でのテレビ映像のすべてで原発報道番組が無くなっています。 NHK総合は、マッキンリー登山、教育テレビは料理・・・。画面の枠には文字情報が流れていますが・・・・。 私としては原発ライブ映像を24時間流していて欲しいです。 (が、NHKの30キロ離れた距離からのテレビ映像は驚異的!! あんな距離からあれほどの映像が撮れるの??!!) 

でもって、ほんとは群馬から避難したいんだけど、まだ学校が終わっておらず、このまま沖縄に逃げると生き延びることができると思うけど、もしも、原発事故が大きくならずに収束した場合、職場に戻れなくなることは確実。うーむ困った。 

すでに、勤務校では、家族ぐるみで避難した子どもが私の知る限り1家族います。連絡帳で「なぜ前橋市は終業式を早めないのか?」というような苦情を学校に伝えてきた保護者も私の知る限り2名。 前橋市教育委員会からは教員向けに文書が出た。放射能について群馬県のHPに載っているものをほぼそのまま載せ、隅に手書きで「保護者からの問い合わせには数値をあげて・・・」と安全を強調するもの。 

ところで、群馬は公共交通機関が貧弱で、車がないともうたいへん。で、、私の車の燃料残量メモリは残り2個。ガソリンスタンドは軒並み「品切れ」。うー。まあ、自転車通勤すればいいんだけど、この時期は花粉症がひどく、放射能も心配で・・・・・・。 以上です。

以上こいぶーさんからの報告でした。
皆様コメントをよろしくお願いします。
(大輔)